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秘め事



 戦乱の影にシルバーバーグ家あり、と言われる。
  シルバーバーグ家の流れを汲み、あるいはシルバーバーグ家を師と仰いで学んだ者たちは、世界各地に広がってその教えを駆使し、時には敵味方となってすら陰に日向に軍師として活躍している。そしてシルバーバーグの教えを持つ軍師を迎える事が出来れば、それは百万の援軍を得たも同じことである、と。
  その名をもっとも有名にしたのは、数十年も昔に起こった三つの戦争だろう。かつての赤月帝国で起こった継承戦争の折、バルバロッサを支えて勝利へと導き皇帝の座に就かせた軍師レオン・シルバーバーグ。その赤月帝国の腐敗によって苦しむ民を解放しようと解放軍を結成し、門の継承戦争、またの名を解放戦争を始めたオデッサ・シルバーバーグ。そのオデッサ亡き後に解放軍を率いて門の継承戦争を戦い抜いたリーダーを陰で支え、知略によって勝利へと導いたマッシュ・シルバーバーグ。そしてジョウストン都市同盟とハイランド王国の間で起こったデュナン統一戦争の折には、マッシュ・シルバーバーグの弟子シュウが同盟軍の軍師として指揮を執り、ジョウストン都市同盟を勝利へと導いた。その折、ハイランド側にはレオン・シルバーバーグが軍師として就いており、結果は敗戦だったにせよ、ハイランド王国が幾度も同盟軍を敗戦ギリギリまで追い込めたのは彼の策が大きかった、と言われている。
  シルバーバーグ家は言ってみれば、戦争における謀略知略のエキスパートだ。今やその名声を、妬みこそすれ疑うものはほとんど居ない、と言ってもいいだろう。
 その礎を築いたレオン・シルバーバーグの孫として生まれた彼、 アルベルト・シルバーバーグは、言ってみれば戦争の恩寵を受けて生まれ、戦況を操ることを宿命として育った、戦争の申し子のようなものだ。
  屋敷に山と積み上げられた学問書を、アルベルトは、そして7歳年下の弟シーザーは絵本代わりに読んで育った。 寝物語の代わりに語られたのは祖父たちの活躍や古来より伝えられてきた戦略、戦術、そんなものばかり。食卓の会話すら血生臭い戦争の話が飛び交って、否応なしに幼い二人に現実を突きつけた。
  名軍師を輩出するシルバーバーグ家、その血を繋ぐものとして生まれた、その意味。シルバーバーグの名が示すもの、その重さ。
  アルベルトは常にその重みを両肩に感じ、背後にかかる得体の知れない重圧を背負って生きてきた。それは言うなれば亡霊のようなものだ。過去から自分を絡めとらんと伸びてくる腕におびえ、半ば諦める、そんな感情は同じ境遇に生まれたものにしか判らないだろう。
  周囲の期待に押し潰されそうな恐怖。それに打ち勝とうと必死に学んだのは、今から思えばまるきり思惑通りに踊り狂っていただけの愚かな行為だ。けれども幾度考えても、それ以外に選択肢が思いつけない。
  文字通り、アルベルトは戦争の申し子だった。己の境遇を疎ましく思った事がなかったとは言わないが、それでも此処以外に自分の立つ場所を思い描けないくらいに、彼はまさしく『シルバーバーグ家』の人間だった。
  そうして普通の人付き合いすら疎ましく、周囲の出来事にもどこか無感情ですらあったアルベルトに比べて、弟のシーザーはひどく人懐こい子供だった。誰にでも愛想よく振舞い、そこに居るだけで自然と空気を和ませるような所のある、言ってみれば有り触れた子供で、愛想は良いけれどアルベルトに比べて出来の悪い不肖の弟、というのが周囲の評価だった。
 もっとも、 ある意味ではシーザーもまた『シルバーバーグ家』を名乗るに相応しい子供でもあったのだ。血筋なのだろうか、シーザーは同年代の子供たちと遊ぶとき、例えば陣取りゲームなどに興じていれば、息をするように戦略を紡ぎだし、知略を編み上げた。兄ながらその才能には恐れすら感じるほどだったが、不思議とその才能に気付いているのはアルベルトだけのようだった。
  あるいは重すぎる周囲の期待が、無用に幼い心を追い詰めたのかもしれない。シーザーは決して遊び以外の場面でその才を見せることはなかったし、次第に何かと比較されるアルベルトの側にも近寄らなくなった。
  代わりにいつも感じるのは、痛いほどにアルベルトを射抜く眼差し。いっそ憎まれでもしているのか、と思えるほど真っ直ぐに向けられる激しい感情。こちらから視線を返せば途端にそっぽを向いてどこかに行ってしまうくせに、気付けばまたじっとアルベルトを見ているのは、余りにも周りから比較されすぎたが故なのか。
  ―――それは多分、アルベルトが本格的に家を出る、と決めた日の、夜のことだっただろう。
  普段からシーザーは絶対にアルベルトの側に近寄ってこない。祖父や母に叱られると判っていても、アルベルトが帰ってくる日には必ず街へ遊びに出て帰ってこないくらいだ。だからその決意を告げた食卓の場に弟の姿がないのは、むしろ当然のことだった。
  昔からアルベルトの行動にとやかく言うような祖父たちではなく、彼の決意はあっさりと、あっけないほどに受け入れられた。元々長らくハルモニアへ留学していたのだから、今更のことだと思われたのかもしれない。
  殆どの荷物はハルモニアに送ってあり、実家に残っているのは昔の感傷じみた品しかない。それでも何か持っていこうか、と珍しくめったに戻らぬ自室をあらためていると、カタ、と窓の鳴る音がした。

(………?)

  今日は風はなかったはずだが、と不審に振り返ったアルベルトは、彼にしては珍しく、驚きに目を見張って一瞬思考を停止させた―――――そこにあった、居るはずのない弟の姿に。
  久し振りに会う、7歳年下の弟。姿自体は帰って来たときに遠くから見つけることもあったが、こうして真正面から向き合うのはずいぶんと久し振りだ。ことにハルモニアに留学してからはアルベルト自体、滅多に家には帰らなかったから。
  次の瞬間にはいつも通りの落ち着きを取り戻したアルベルトは、何を考えているとも知れない不機嫌な様子で窓から不法侵入してくるシーザーに、あからさまなため息を吐いた。

「シーザー。礼儀知らずにもほどがあるぞ」
「………」

  けれどもシーザーは何も答えぬままカチャ、と窓を元通り閉めると、そのままぶすくれたように立ち尽くし、じっとアルベルトを睨みあげている。と言ってアルベルトと視線が合えばふいとそっぽを向いて床を睨みつけ、またしばらくするとアルベルトの方へと厳しい視線を向ける、その繰り返し。
  そうして黙ったまま何も言わず立ち尽くすシーザーに、アルベルトは手の中にあった本をパタン、と閉じて机の上に戻し、本格的にシーザーの方へと向き直った。その気配にピク、とシーザーの肩が動く。
  言葉を発したのは、やはりアルベルトの方が先だった。

「お前はそうして立っているために来たのか」
「………ッ」
「違うというならさっさと用件を話すんだな。こう見えて忙しい。明日にはハルモニアに戻らねばならないのだから、用がないなら部屋に戻りなさい」

  思えば、シーザーがアルベルトの側に近寄らなくなった一つの要因には、彼のこのしゃべり方も起因するだろう。祖父レオン譲りの古めかしい言い回しに加えて、元来アルベルトは人の感情に敏くはあっても配慮するタイプではなかった。
  軍師として大成したいなら、人の心理に無頓着ではいられない。戦略とは軍の配し方もさることながら、味方の士気を高めて敵の心理を揺さぶる、いわば心理戦も重要なのだ。
  そういった意味でアルベルトは人間心理には詳しかったが、生憎、それを戦略に利用する方法には長けていても、己の人間関係に利用する方法には無頓着だった。否、その必要性すら感じていなかった。
  弟のことを、嫌っていたわけでは、だからない。むしろシーザーのことは可愛がっていた方だと思う。ただいかんせん、その愛情の示し方がまずいのもまたシルバーバーグ家の血のなせる業なのだろうか。
  案の定、兄の厳しい物言いにシーザーの顔が奇妙に歪む。思い返せばもうずいぶんと、アルベルトは弟のこんな表情しか目にしていなかった。そうして激しい瞳でアルベルトを睨みつけ、いつも無言でふいと姿を消してしまうのだ。
 だがいつもと違うことには、シーザーは歪んだ表情を貼り付けたまま、掠れた声を絞り出した。

「………あんたはいつもそうだ」

 もうずいぶんと聞いていない弟の声が、不思議と懐かしく心に響いた。思えばまともに向き合うのが久し振りなのだから、会話などそれ以上に絶えて久しい。そんな当たり前の事実に今まで気付かなかったのが我ながら笑えた。
  ふ、と口元を微かに綻ばせる。その瞬間またシーザーがピク、と肩を強張らせて、この弟がまた何かろくでもない誤解をしたのだろう、と知れた。
  一気にシーザーの表情が変わり、ギリッ、と歯軋りすら聞こえてきそうな様相で、両手をきつく握り締める。キッと視線を上げ、睨みつけてくるのはアルベルトへの憎悪ゆえか。

「どうせあんたに比べりゃオレなんか馬鹿で出来の悪いどうしようもないヤツだろうよ。爺様だって他の連中だってみんなそう思ってるさ。オレはどんなに足掻いたって『アルベルトの弟』でしかない」
「………シーザー?」
「おまけに当のあんたはオレがどんだけ追いかけたってこっちを振り返りもしないで前を見たまま、オレを置いてどんどん行っちまうんだからなッ。おまけに今度は家を出てハルモニアで暮らすって………?あんたはいつもいつもそうだ。涼しい顔したまんま『オレ』を見ない!何をやったって、どうしたってだ!あんたは……どうやったら『オレ』を見る……ッ!?」

  あまりにも激しく叫ばれた言葉の数々に、アルベルトは再び驚きで目を見張った。それほど、シーザーから向けられた言葉は意外なものだった。
  最初にアルベルトから離れて行ったのはシーザーだ、とアルベルトは記憶している。幼い頃はよく懐き、いつもアルベルトを慕って後ろを追いかけてきたシーザーは、いつの頃からか決して彼の側には近寄らなくなった。あからさまに二人を比較して揶揄されれば、射抜かんばかりにアルベルトを睨みつけ、そうしてふいと視線をそらして忌々しそうに顔を歪める。
  だが―――思い返してアルベルトは、確かにそうかもしれない、と内心シーザーの言葉にうなずいた。いつも追いかけてきた可愛い弟、その存在がいつの頃からか当然となって、アルベルトを追ってくるシーザーを振り返ることを忘れていた。追いかけられるのが当たり前になってしまっていた。
  それがシーザーに言わせれば『涼しい顔をしたまま彼を見ない』ということになるのだろう。
  ギリギリと歯を食いしばって激しい視線を向けてくるシーザーを見下ろす。こんな簡単なことに言われるまで気付かないとは、自分もまだまだ甘い。

「まるで熱い告白を受けているようだな」

  シーザーを馬鹿にするつもりはなかったが、結果的にそう聞こえたであろう響きでアルベルトは呟いた。振り向いてくれない、と詰る様がまるで、かつて付き合ったことのある少女を思い出させた。
  もう名前も忘れてしまった彼女の中で、覚えているのはやっぱりシーザーと同じように睨みあげてきた激しい眼差しだ。その視線に込められていた感情に、やっぱりアルベルトは長い間気が付かないままだった。そういう意味でとことん、自分は鈍いのだろう。
  あの少女と同じ眼差しを向けてくる、シーザーの視線に込められているのはアルベルトへの憎悪か、嫌悪か。あの頃と同じように、否、それ以上にシーザーの感情を推し量ることは難しい。
  こう言う所がまだまだ未熟だ、と祖父に言われる所以なのだろう。
  淡々と己の胸の内を分析していたアルベルトは、続いたシーザーの言葉に、三度驚きに眼を見張った。

「………だとしたら?」

  奇妙な調子でシーザーは乾いた笑いを零しながら言った。常なら眠たそうに半開きになっている瞳が、今ばかりはしっかりと見開かれ、自分の言葉がアルベルトを驚かせたのを満足そうに眺めている。
  この弟がこんな表情を持てることを、アルベルトは知らなかった。彼の知っているシーザーの表情は、街の悪童どもと転がりまわっているときの、楽しげでありながらどこか投げやりな笑み。あるいはもっと前、シーザーがアルベルトを避けだす前に向けられた、兄さん、と慕っていた頃の無邪気な笑み。それからいつの頃からか向けられるようになった、挑まれるような憎まれるような険しい表情。
 それが、アルベルトの知るシーザーのすべて。
  可愛い弟、などと嘯いていながらずいぶんとアルベルトはシーザーを知らない。 今更ながらにその事実に気付かされる。
  アルベルトはあきれた風を装って、だが半ばは己を落ち着かせるために殊更ゆっくりとシーザーから視線をそらして顔を伏せ、背後の本棚にもたれかかった。ギシ、と彼の体重を受けてきしむ木の音を聞きながら軽く腕を組み、小さく息を吐く。
  そうして再び顔を上げた時もまだ同じ姿勢でこちらを見ているシーザーに、どうしたものか、と思考を巡らせた。

「―――――正気なのか」
「正気なわけないだろ」

 確かめるアルベルトの言葉に、文字通り狂気じみた瞳でシーザーは吐き捨てる。激昂が高じてダンッ!とすぐ側の壁を殴りつけた。

「あんたが側に居ないのが不安で仕方ない。あんたが俺の知らないところで何かしてるかと思うと吐き気がする―――いっそ恨めしいくらい、オレはあんたの事しか考えられない」

  こんなのが正気なわけがないだろう、とシーザーは自嘲しながらアルベルトを睨みあげ、皮肉に口元を歪めた。

「だからオレは、あんたを側に置いとけるなら………あんたの側に居られるんなら、この感情の名前が何だって良いんだ。あんたがオレを見るんなら、オレのこの訳の判らない狂った感情の正体が何だったってかまやしない」
「………」

  恐らくは一種のコンプレックス―――――こんな俗っぽい言葉で括る事が許されるなら、ブラザーコンプレックスの類なのだろう。それを自暴自棄になってこんな馬鹿馬鹿しいことを言い出しているのに違いない。
  アルベルトはそう判断して、けれども彼にしては珍しく、その判断を口にすることはためらったまま激昂するシーザーの様子を眺めた。
  今まで通り、それを口にして弟を教え諭すのは簡単だ。お前のその感情は間違っていると、勘違いなのだと、あまりにも自分と比較されすぎたための精神的付加がその抑圧を間違った方向へ向けたのだと、その事実を指摘するのはひどく簡単なことだ。
  けれども、それを口にしたところで恐らく、シーザーの考えも感情も、何一つ変わらない。此処でアルベルトが諭して変わるぐらいなら、最初からこの弟はここまで追い詰められなかった。
  アルベルトに対する歪んだコンプレックス、それがシーザーの抱く感情の正体。けれどもそれを口にしたところで、シーザーの感情は恐らく高まりこそすれ、収まりはすまい。
  だから。

「―――――それで」

  その言葉を口にしたのは、弟に対する救済のつもりだったのか。
  あるいはアルベルト自身もまた、弟に対して気付かぬ間に鬱屈した感情を抱えていた、という証拠なのか。

「お前は、どうして欲しいんだ?」
「………はぁ?」
「わざわざこの夜中に人の部屋に忍び込んで、一体どうして欲しくて、お前はそんなことを言い出した?オレに抱かれたくて来た、とでも言い出すつもりか?」

  アルベルトの言葉に、はっきりとシーザーが戸惑いを見せる。まさかこんなことを言われるなんて予想もしていなかったのだろう―――アルベルト自身、まさか自分がこんなことを口にするなんて思いもしなかったのだから。
  ギシ、と本棚から身を起こす。ゆっくりと、感情を見せぬまま近付いてくる兄の姿に、シーザーが始めてたじろぎ、怯えたように一歩後ずさった。けれどもすぐに壁にぶつかり、それ以上逃れられない。
  その反応に何故だかひどく満足している自分自身に、アルベルトはやはり表情には出さぬまま、そうか、と納得する。
  どうやら自分は、いつの頃からか後をついてこなくなったシーザーに、物足りなさを感じていたらしい。何故ついてこないのか、何故アルベルトを避けるのか、と―――そう判ってみれば、思い当たる感情はいくつも彼の胸のうちにある。
  ふ、と苦笑した。
  難なくシーザーの前に到達し、アルベルトは久しぶりに間近で見る弟の、戸惑いを隠さない表情をじっと見下ろす。それはまるで、怯えた野兎を眺めているかのようで。
  トン、とシーザーの顔の横に両腕をついて逃げられないように閉じ込め、吐息が感じられるほど間近に顔を近づけて、不思議と楽しげに囁いた。

「お前が望むなら、かなえてやろう、シーザー?可愛い我が弟よ」
「……ッ!そんなこと、思ってもないくせに………ッ」

  アルベルトの言葉にシーザーが歯軋りする。それすらもどこか心地よく、アルベルトは喉の奥で低い笑い声を上げた。弟の言葉がひねくれた彼への返事だと判ったからだ。
  やがてシーザーの腕がおずおずとしがみついて来るのにもう一度、今度は何の含みもない小さな笑い声を上げて受け止めると、久方ぶりに腕の中に戻ってきた小さな弟に柔らかな口付けを落とした。



  それは未だ焔の嵐も遠い日のこと。



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