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Memorial days 〜若様&カヤの場合〜



 この辺りに生まれたものなら誰でも必ずその【森】の事を聞かされる。
 正しい名前などとうに失われたその【森】のことを、人々は畏怖と恐怖を持って【悪魔の森】と呼び現す。その名の通り、その【森】には異形の悪魔が棲みついており、足を踏み入れる人間を引き裂こうと鋭い爪と牙を持って待ち構えていると言われる。
 言われる、と不確かな形でしか伝えられないのは、そもそもその【森】に足を踏み入れようと考える者が滅多にいないからだ。ましてこのリペン大陸を東北から南西へと隔てるように黒々と横たわる【森】を実際に通ろうと考える者など、まれにしか存在しない。そしてそういう者のほとんどが二度と【森】からは帰ってこないと言われている―――――これすら、確かめた者も居ないので確かなことではない。
 ただ、人々は知っている。かの【森】には確かに異形の何かが棲んでいる。ソレは時として【森】から溢れ、人々に害悪を成し、また【森】へと帰っていく。
 この事実さえちゃんと知っていれば、この辺りで暮らすのはそれほど、難しいことではない。




 フワリ、と緑の衣を翻らせて彼女が座ったのは、苔生した灰緑色の墓石の前だった。そこに刻まれている名前はすでに長年の歳月によって擦れていて、ちょっとやそっとでは読み取ることが出来そうにない。
 けれども彼女―――――カヤにとって、その墓石に刻まれた文字を読み取ることは、ひどく容易いことだった。目を凝らすまでもなく、ただ少し意識を傾けて知りたいと願えば、次の瞬間には必要な情報はカヤの中に存在している。カヤはそもそもそう言う存在として生まれたのであり、そして厳密には今もそういう存在である自分を知っていた。
 ファサ……………
 カヤの背に生える六対の翼が、それ自体が意志を持つ生き物であるように羽ばたいた。純白の羽はかつて、天の父たる神の側に侍っていた頃、最も尊き白と讃えられたこともある。天使―――――そう呼ばれる存在として生まれた彼女が、そうあるべく存在していた頃は。
 カヤと言う存在を、正確にさす言葉が何なのか、カヤは知らない。けれども解っていることは、カヤはかつて、天の父たる神に背を向けたと言うことだ。その事実は歴然としており、その瞬間から常に側に包み込むようにあった神の気配が彼女から遠ざかったことを、彼女は深い歓喜と絶望の狭間で知った。その瞬間から、彼女は堕天使と名乗り、天の御使いの対極たる悪魔に分類される身となった。
 プツリと、カヤは自身の翼から一枚羽を抜き取り、祝福の口付けを与えた。堕天使たるこの身で与えた祝福など、もしかすれば悪魔の呪詛ほどの役にも立たないかもしれない。そう思いはしたものの、カヤには他に取るべき術がなかった。

「マトリュシカ様」

 カヤは白く輝く羽を墓石に掲げ、そっとその名前を口にした。決して力を使って読み取ったのではない―――――そんなことをしなくても、カヤはすでにその墓石に刻まれた文字を知っていた。
この墓石を築いたのは、他ならぬカヤ自身だ。

「マトリュシカ・イファン・エンリッヒ・ツェーレンドルフ様―――――」

 今度は正しくその名前を口にしながら、カヤは穏やかな微笑みを浮かべ、しなやかな指先からはらりと白い羽を落とした。それは一瞬、目もくらむような白光を放ち、すぅっと墓石に吸い込まれていく。
 その最後の瞬間までをじっと見守って、カヤは小さく息をついた。にもかかわらず柔らかな微笑みを浮かべたのは、きっともうとっくにそれが彼女の習い性になっているからだ。

「お久し振りです、マトリュシカ様」

 その墓に眠っている人を、カヤはよく知っていた。否、堕天してカヤと言う名を与えられる前、天の父なる神から与えられた聖なる光り輝く名を持っていた頃、マトリュシカは彼女にとって最も親しく、最も守るべき存在としてこの地上に生きていた。
 カヤはそもそも、【悪魔使い】ツェーレンドルフ家の守護天使として地上に遣わされた身だ。それが一体どれほど昔のことだったのか、カヤはもう覚えていない。もしかしたら一つの時代が始まり終わる、そのぐらいの時間はこの地上に居たかもしれない。とにかくそれほどの間中、カヤは守護天使として代々のツェーレンドルフ家の当主に仕え、ツェーレンドルフ家を守護し続けてきた。
 マトリュシカ、と言う名を持つ当主の側にいた時間は短かった。それはツェーレンドルフ家の業とも呼ぶべきものだと言うことを、カヤは地上に降りる前から知っていた。ツェーレンドルフ家の当主は代々短命だ―――――そして代を重ねるごとに、その当主の余命はひどく短くなってゆく。
 だからマトリュシカの側にいた時間が短かったのは、疑問に思うまでもないことだった。

「マトリュシカ様。貴方は今、どちらにおいでですか?」

 問いかけることが無意味だと言うこともカヤは理解している―――――此処にあるのはマトリュシカの抜け殻だ。そうであることを、元は天使であるカヤは誰よりもよく知っていた。マトリュシカの本体とでも言うべき魂は、とうの昔に天に上り、天の父たる神自らの手によって篤く保護されているに違いない。【悪魔使い】ツェーレンドルフ家はこの世でもっとも父なる神の庇護を受ける一族なのだから。
 けれども彼女は問いかけの言葉を口にした。それもまたもうずいぶんと長い間続けられてきた習慣で、止めようと思って止められるものではなかった。
 もちろん、マトリュシカは答えない。答えられるはずもない。そしてマトリュシカが答えない以上、カヤの問いかけは常に虚しく風に攫われ、跡形もなく散じるはずだった。
 ……………だが、今回の問いかけは違った。

「ここに居ないのは確かだな」

 彼女の問いに答えた言葉はもちろんマトリュシカのものではなかったが、カヤはそうであったとしてもこれほどは驚かぬだろう、と言うほどの驚愕を感じて慌てて声のほうを振り向いた。ここに居ないはずの人間、と言う意味ではマトリュシカとそう大差はない―――――否、マトリュシカ以上にこの場に居るはずのない人間のそれ。
 振り返った彼女の空色の瞳を受け止めたのは、一見して12歳ほどの少年だった。オリエンタルの顔立ちに、存在を誇示する透明な黒と蒼の二色の瞳。カヤがこの地上で最も愛する美しい宝石の色。
 【悪魔使い】ツェーレンドルフ家の若き現当主たる少年は無造作に腕を組み、不機嫌そうな表情で墓石を睨みつけていた。その髪も、身につけているスラックスもベストも漆黒であり、対照的にわずかに覗いている肌とシャツは陶磁のごとき白。白と黒で表されるべき少年の中に間違ったように存在する蒼の中に自分の姿が映っているのを見て、カヤはどこかほっと息が緩むのを感じた。

「若様。いつからそこに?」
「……………カヤ、それは答えるべき質問とは思えないな。いつから、と言う言葉に意味はない」

 そう、少年の言葉は正しい。カヤはそれを、少年よりもよく知っているはずだった。少年がツェーレンドルフ家の当主として【悪魔の森】で過ごしたよりも、カヤが代々のツェーレンドルフ家の当主に仕えて過ごした時間の方が遙かに長い。
 あの【森】の中には明確な時間の流れはない。過去から現在へ時間が流れるとは限らず、現在から未来へ時間が流れるとも限らない。時として未来から現在へ、現在から過去へと時間は流れ、そしてまた過去から未来へと一足飛びに時間が進む。かと思えば未来から過去へと時間はつながる。
 なのに【いつ】なんて時間を語るのは、とても無意味な事だ。
 カヤは困ったような微笑みを浮かべ、コクリと首を傾げた。それにあわせてふわりと純白の翼が広がり、風に嬲られたように金色の髪が波打つのを、少年は無表情に見つめる。
 それから、再び墓石へと視線を戻した。

「こんな所に先代の骸を隠していたとはな」

 その言葉は叱責ではなく感心の響きを持っていたが、カヤはそっと肩をすくめ、「申し訳ありません」と謝罪の言葉を口にした。その言葉に、少年は軽く肩をすくめるだけで答える。
 もちろんカヤにだって、少年が自分を責めてなど居ない事はよく分かっていた。にもかかわらず謝ってしまったのは、ただの条件反射と一抹の罪悪感だ。カヤは自分の行動が間違っていない事を確信していたが、同時に少年がカヤの行動を快く思ってはいないだろうことも予想していた。
 膝まづいたまま見守るカヤの前で、少年は足音もなく墓石に近寄り、ふん、と鼻を鳴らした。

「今日、だったか?先代が死んだのは」
「はい、若様」

 カヤはうなずいてそっと少年に頭を下げた。【悪魔使い】ツェーレンドルフ家の先代当主マトリュシカ、カヤが堕天してなお主と呼ぶ少年の前にツェーレンドルフ家を治めていたかの存在が、天に召されたのは少年が当主となってから間もなくだった。
 もっとも、先にも延べた通り時間の流れが一通りではない【悪魔の森】で数えた暦が、世間のそれと同じである保証はまったくない。本当はマトリュシカがこの世から去ったのはまったく別の日なのかもしれない。
 だがカヤは知っている。死者を悼むのに必要なのは、その者の魂が肉体から離れた日付ではなく、ただ純粋にその存在を思う気持ちだ。日付は切っ掛けに過ぎない。だから【今日】マトリュシカがこの世から去った事を悼む事に、間違いは存在しない。
 少年自身もその矛盾はあえて指摘せず、ふん、ともう一度鼻を鳴らした。見定めるような視線を墓石に注ぎ、ふた色の瞳が別々の輝きを宿す。

(若様はご存知なのでしょうか)

 そっとカヤは考えた。なぜここにマトリュシカの骸が存在し、なぜカヤがマトリュシカの死を悼むのか、その理由をこの少年は知っているのだろうか。
 知っているかもしれない、とカヤはかぶりを振った。少年がひどく聡い事を誰より知っているのは、もっとも少年の側近くに仕えているカヤ自身だ。たとえ知らなかったとしても、カヤがここに居る事実からその理由を推測する事は、少年にはたやすい事だろう。
 だが、少年はその理由に言及する事はなく、またカヤを責める事もしなかった。かといってマトリュシカの死を悼んでいる様子もなく、ただ冷酷な視線を苔生した墓石に注ぎ続けている。
 死を悼む事も本当は意味がない。特に【悪魔使い】である少年にとって、肉体の死と言うただの儀式に感傷を抱く事は本当に意味がない。【悪魔使い】とは人々の死を見つめ、人々を死に導く存在なのだ、と言っても過言ではない。
 二度とその肉体を纏った魂に出会えぬ事を、人々は嘆き悲しむ。けれどもカヤや少年にとっては人間の肉体は洋服程度の価値しか持たず、人の魂とて決して二度と巡り合えないものではないのだと、カヤと少年は誰よりも知りすぎているからこそ、本当の意味で人の死を悼む事がない。
 そのカヤがなぜ、ただマトリュシカの死だけを悼み、マトリュシカの命日を数えるのか、その理由を少年はきっと、知っている。知りながらあえて沈黙しているのだろう。
 カヤは考える―――――これは少年の慈悲だろうか。それとも哀れみだろうか。
 少年がカヤの気持ちを理解していたとしても、それを許しているとは思えなかった。少年は代々の当主がそうであったように、誰よりも【悪魔使い】にふさわしく、誰よりもツェーレンドルフ家の当主としての己に誇りを持っている。カヤの願いがその誇りを汚すものだと、少年はきっと理解しているはずだ。
 だからカヤは考える。それでも責められないのは、少年がカヤに慈悲を与えているからだろうか。それとも無駄な願いにあがくカヤを哀れみ、好きなようにさせてやろうと思っているだけなのだろうか。
 ふと、少年の視線が無造作にカヤに向けられた。まるでカヤの思考を読み取ったかのように。

「お前を責めるつもりはない」
「はい、若様」
「ただし、同じ事を繰り返す事は許さない」
「…………ッ」

 カヤは唇をかんだ。それでは同じ事だ。責められずとも許されなければ、結局は責められているのと同じ事だ。
 予想はしていたけれども、実際にその言葉を聞いて、カヤは深くうな垂れた。きっと少年がカヤの行動を好まず、その結果を望まないだろう事は知っていたけれど、それでもカヤは動かずにはいられなかったのだ。だがついに、それを少年に咎められてしまった。
 けれどもカヤには少年に逆らう事が出来ない。否、逆らいたくないのだ―――――かつて、この少年の為に神に背を向けるのだと決めたその瞬間から、少年はカヤにとって絶対の存在だったから。何があっても、自分自身を曲げてもこの少年を守るのだと、カヤ自身が決めた瞬間からカヤは天の父なる神の手を放した。
 逆らいたくない、それは感情。そして真理。カヤの行動が間違っていて、少年の行動が正しいのだと、カヤが誰より理解しているからこそ、あえて少年に逆らおうと思えない。
 カヤが少年を守りたいと言うその感情の存在すらすらきっと、この少年はカヤを哀れむがゆえに許してくれているだけなのだ。

「…………はい、若様」

 数瞬の沈黙ののち、顔を伏せたまま絞り出すように答えたカヤを、少年はじっと静かに見下ろす。その瞳に映る感情の種類が何なのか、読み取る事はひどく難しい。言葉もなく、ただ無表情に沈黙を守って、ふた色の瞳が自身の僕たる堕天使を見下ろし続ける。
 ふいに、何かの合図のように少年は一度瞳を閉じた。ただそれだけで自分の感情を閉じ込める術に、少年はいつの頃からか長けていた。
 瞳を、開く。そうしていまだ顔を伏せて膝まづいているカヤを見下ろした。

「なら良い。帰るぞ、カヤ」
「はい、若様」

 カヤはふわりと微笑んで立ち上がり、六対の純白の翼を大きく広げた。それが明らかな意図を持って純白の光を放ち始める。移動の術を行い、一足飛びに空間を飛び越えて【悪魔の森】へと帰還するのだ。
 少年が側によってくるのを微笑んで待つカヤに、そっと少年は呟いた。

「繰り返す事は許さない―――――だがカヤ、お前が先代を個人的に悼むのを、止めはしない」
「若様…………?」
「たまにはそういう当主が居ても悪くはないだろう」
「………若様!」

 カヤが歓喜の声を上げる。完全に許された訳ではなくとも、今のカヤにとってはそれだけで十分だった。マトリュシカを悼む事を許されただけで―――――それだけでも、ずいぶんな進歩だ。
 「ありがとうございます!」と満面の笑みを湛えて礼を言うカヤを、やはり少年は無感動に見つめるだけだった。




 【悪魔使い】ツェーレンドルフ家二十三代当主マトリュシカ・イファン・エンリッヒ・ツェーレンドルフ―――――その名は悪魔使い家の当主でありながら唯一、死後その肉体を僕の悪魔たちに貪られる事のなかった当主として、後世に伝えられている。


.....fin.






現在メルマガでも連載中の堕天使と悪魔使いの男の子。

今回の話はかなりツェーレンドルフ家の核心に迫る話ですな。

カヤにとって特別な日だけれど若様にとっては特別でもなんでもない日。

名前が何となくロシア系なのは単なる趣味です。

多分。


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