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Memorial days 〜ニチェ・ブロンクス&スウェイ・アル=カーデャーの場合〜



 ねっとりとまとわりつく様な空気の中で、ニチェはひそやかなため息を漏らした。
 どこか視線が気だるげなのは、今が仕事明けの早朝だからだ。仕事―――――まぎれもない男でありながら春を鬻いで銭を得る、おそらくこの首都ヴァガスにおいてたった一人の娼夫、それが彼ニチェ・ブロンクスが14歳の頃から続けている仕事だった。
 一体なにがそんなに良かったのか知らないが、最初の頃はまったく見向きもされず、どちらかと言えば気持ち悪がられるばかりだったようなニチェは今や、押しも押されぬ色町ブロンクス街の人気No.2として【忠実なる〈欲望〉の女神ザザーラの使徒】なんて二つ名で呼ばれるまでになっている。いかに娼婦が多くとも二つ名で呼ばれるのはブロンクス街ではあと一人、娼婦たちの纏め役である【妖艶なる芳華の舞姫】メイシェルのみであり、それがいかに特別な事であるかをうかがわせた。
 全身を包む倦怠感にも似た気だるさにため息を漏らしながら、ニチェはしなやかな細い指を―――――つい先刻まで淫猥に客のモノを嬲っていたとも思えぬ清らかな指を重たげに持ち上げ、壁掛けの万年カレンダーの上に滑らせた。パチン、とまるでちゃちなおもちゃのような木片をずらして、今日の日付を確認する。
 帝国暦416年 炎節 3月24日。あと7日で秋の地節に移り変わろうとする夏の終わり。
 それを確認したニチェは再び重苦しいため息を漏らし、捲り上げていた覆い布で再びカレンダーを覆い隠した。まるでそう、そのカレンダー自体がニチェに何か、悪しき物を運んでくるとでも言わんばかりに。
 すっかりカレンダーを覆い隠すとニチェは今度はわずかに安堵の息を漏らし、水瓶から柄杓で汲み置きの水を汲んだ。そっと指を浸し、わずかに念じて水の温度を下げる。水の温度を下げるのは通常であれば〈氷結魔法〉か〈吸温魔法〉を使うものと決まっているが、力が弱いとは言え〈水使い〉であるニチェにはこの程度は出来て当たり前の事だった。
 凍り付く寸前にまで冷やした水で喉を潤しながら、ぼんやりとニチェは日付を反芻する。炎節3月24日。昨日が炎節3月23日、一昨日が炎節3月22日。毎日数えていたのだから、今日が炎節3月24日である事は間違いない。
 飲み干して、もう一度大きなため息を吐く。全身を覆う気だるさはわずかに取れてきたものの、一晩で3人の客を相手にした身体の疲れは早々癒されるものではない。
 けれどもニチェのため息が、そういった仕事から来る疲れではない事は、何より本人が良く知っていた―――――良い事ばかりではないにせよ、ニチェは好きでこの仕事を選んだ。
 そう、彼自身が選んだのだ。きっちり3年前の今日、それまでの自分の地位も何もかも捨てて娼夫として生きる事を、どんな事情があったにせよ選んだのはニチェ自身だった。
 たとえその事実が今、こうして自分の胸を重たく塞いでいるのだとしても。

(…………あれから、3年)

 たった、と言うべきなのだろうか。もう、と言うべきなのだろうか。
 そのどちらの言葉を選ぶべきなのかもニチェには解らぬまま、もう一度水瓶から水を汲み上げ、今度は側に置いてある手桶に注ぐ。それから中に入れてあった布を絞って全身を軽く拭き清めた。疲れているにしても、気持ち悪くない程度に汗やその他の体液を拭き取っておきたいのは、娼夫も他の人間も同じだろう。

(3年前だってそうだった)

 カタン、と柄杓を水瓶に戻しながら思う。3年前の自分は間違いなく娼夫ではなく、むしろ街を歩くのに何のてらいもはばかりもない身分だった。〈炎神殿〉の見習い神官。双子の弟と共に与えられたその身分は、当の神殿では意味もないものだったけれど、〈六神殿〉がそれなりに権力を持つフォレシア帝国では十分なステータスだ。
 そこから、逃げ出した。逃げ出して、この街に娼婦となるべくやってきた、3年前―――――帝国暦413年 炎節 3月24日に。〈炎神殿〉では炎節の終わりを偲んで最後の一週間は祭事が行われる、そのまさに前日に自分はあの場所から逃げ出したのだ。
 自分が感傷的になっている自覚は在った。それは珍しい事ではない、去年も、一昨年もニチェは、この日が来るたびに悲観的な、罪悪感にも似た感情に押し潰されそうになっていた。
 だったら日付なんて数えなければ良いのに、理性のどこかがそう言うのが聞こえたが、ニチェはその言葉を乾いた気持ちで聞くのみだった。数えてしまうものは仕方がない。だいたいカレンダーなんて御大層なものでなくても日付を表すものぐらいはたいていの家庭には存在しているものであり、ましてや色町ブロンクス街で暮らすのには、全く日付が解らない様では話にならない。
 そしてそこに日付を示すものがある以上、ニチェは数えずにはいられない―――――3年前の出来事はそれほど強く、ニチェの胸に刻み込まれているのだ。
 はぁ、とため息を吐いてニチェは寝乱れた寝台に戻った。仕事後の寝台などグチャグチャでお世辞にも気持ちの良いものではないが、いつものように寝具を換えて眠るだけの余裕すらもう残っていない。
 ぐったりと倒れ込むように寝台に突っ伏したニチェが最後に見たのは、もう一週間もすれば秋になるなど到底信じがたい強さで輝く、真っ白な陽光が窓板の隙間から射し込む瞬間だった。




 色町ブロンクス街は、〈炎神殿〉のお膝元と称される娼婦街だ。とは言えもちろん当の神殿からは多少離れた場所に賑やかに存在しており、ブロンクス街に所属する娼婦たちは概ね明るく気が強い事で有名である。
 公式にはギルドと神殿の認可を得た正式な職業として認定されている娼婦だったが、実際の地位はやはり低い。けれども帝国の方針として娼婦を保護しており、貴族たちの間では人気のある娼婦を侍らせるのが一種のステータスにもなっていた。ましてそんな娼婦の〈華翁〉―――――後見人となれればある種、垂涎の的だ。
 しかしながら、フォレシア帝国の建国以来変わらず帝国の儀典一般を司る一族として知られるアル=カーデャー家の嫡男、スウェイ・アル=カーデャーがそんな娼婦たちの一人であるニチェ・ブロンクスと知り合い、あまつさえ【常連客】にまでなってしまったのは、はっきり言ってしまえば必然と偶然の結果だった。
 必然―――――それはスウェイがその時、ニチェと言う名の娼夫に会ってみたいと強く思っていた事。
 偶然―――――それはニチェがその時、誰でも良いから彼を無茶苦茶に扱える男を求めていた事。

(ニチェは病気なのかもしれない)

 ニチェの住む街外れの家までのんびりと歩きながら、スウェイはぼんやりとそんな事を思った。そう、病気なのかもしれない。それもきっと精神的な。
 ニチェの元に通うようになって知った事だが、彼は時々、まるで発作にでもかかったようにひどいやり方で抱かれる事を求めた。それはまさに発作と呼ぶのがふさわしく、ニチェはたいていそういう時正気を失ったような瞳で、追いつめられた獣のようにスウェイを見る。その光は渇望と、絶望が入り交じっている。
 それがスウェイに限った事ではない事もまた知っていた。スウェイの幼なじみでもあるエヴィル・タスキルもまたニチェの常連客であり、彼自身からやはり同じような状態に陥ったニチェの事を聞かされた事があった―――――もっとも彼の場合、ニチェを心配していたのではなく心からそれを面白がっている様ではあったけれど。
 コンコン、と礼儀正しく扉を叩いてみたが、中からは何の反応も返ってこなかった。あるいは出かけているのかもしれない、とスウェイは傾きかけた陽球を見上げながら考える。今日スウェイがやってくる事をニチェは覚えているだろうし、そういう時彼はたいてい、ブロンクス街の娼婦たちの纏め役であるメイシェルの所でチェスをしてくる事が多かった。
 なら中で待っておこうと、スウェイはかって知ったる家の扉に手をかけた。ニチェほど売れっ子の娼夫にしては珍しく、彼は自分の家に鍵と言うものを一切つけていない。下町の住人ならそれでも取られるものなどなかろうが、ブロンクス街のNo.2が取る行動にしてはあまりに安易だと、スウェイはいつも思っていた。
 今日もやはりすんなり開いた扉に、スウェイはちょっとだけため息を吐く。不用心だから鍵を付けて欲しい、と何度頼んでもニチェは、それを貴族のワガママだと一蹴する。頑なすぎるのではないかと思うほど。
 今度実力行使で鍵をつけさせてみようか、とそれこそが【貴族のワガママ】だと気づかぬまま考えながら、スウェイはすっと口の前に右手の人差し指を立てた。

「ファル」

 呟きよりも小さく唱えたのは、灯火魔法呪文だ。スウェイのみならずフォレシア帝国の人間なら誰でも馴染み深い、もっとも身近な炎の魔法。
 ポンッと弾けるように手の平の上に現れた火の玉をすいっと宙に放し、スウェイはさらに二つ、三つと同じような火の玉を生み出していく。普通であれば一つ火の玉を生み出して蝋燭などに移すものだが、スウェイのように魔力が尋常でなく強い人間ならこのように、無造作に火の玉を生んであたりを照らす事も珍しくなかった。何より、意のままに動くので使い勝手が良い。
 しかし五つ目の火の玉を生み出した所で不意に、ぎくりとスウェイはその作業を止めた―――――奥の寝台に、居ないと思っていた当のニチェが居る事に気づいたのだ。
 瞬間身を竦めてニチェの方を伺ったのは、ニチェが炎魔法を毛嫌いしているからだ。一体どうしてなのか理由は教えてくれないけれど、この灯火魔法ですらニチェは良い顔をしない。
 そしてニチェは三日前、ついにスウェイからチェスで念願の一勝をもぎ取り、スウェイにこの家では炎魔法を使わない、と約束させたばかりである。もちろんそれは【ニチェが居るときは】と言う条件付きだったから、ニチェが居ないと思い込んでいたスウェイは遠慮なく灯火魔法を使ったのだが、ニチェが居たとなれば話は別だ。
 結果として約束を破った事になるスウェイを、ニチェは怒るだろうか―――――そう考えながら恐る恐るニチェの方を伺ったのだが、意外な事に彼はぴくりとも動かぬまま、寝台に沈み込んでいた。かすかに聞こえてくる呼吸音が、彼がいまだ深い眠りの中にある事を示している。
 ほぅっ、と本気で安堵し、息を吐いた。ニチェが本気で怒ったら恐い事を、スウェイは良く知っている。そんな事になってニチェの元へ通う事を禁じられたら、それこそスウェイにとっては死活問題だった―――――スウェイには、ニチェが必要なのだ。
 速やかに一つを残して残りの火の玉を全て消し、机の上に放置されていた蝋燭に炎を移す。蝋燭の頼りない炎がほのかに部屋を照らし始めたのを確認すると、スウェイはその火の玉も消してしまい、続けて炉端に近寄って蝋燭から手ごろな燃えさしに炎を移した。
 貴族として生まれ育ったスウェイだったが、彼が5歳になる頃まで良く遊んでくれた女性がなぜかこういう事が得意で、スウェイにも教えてくれた―――――と言うか叩き込まれたのである。スウェイなんかよりずっと高貴な女性だったにもかかわらず、自分でやれる事は自分でやる、と言う方針を貫いていた人だった。
 おかげで今、役に立っている訳なのだが。
 やるべき事を全て終えてしまうとスウェイはもう一度、寝台で眠るニチェの方を伺った。まだまだぐっすり眠っておきそうにもない。日が傾きかけているこの時間まで彼が眠っている事は、ひどく珍しい事だった。
 思い付いて水瓶の中を覗いてみると、案の定底が見えかけている。水汲みにすら行かず眠り続けていたのだろう。

「水汲み、って今から行っても良いのかな?」

 普段のニチェが昼間にしか水汲みに行っていないのを見ているだけに真剣に考え込むスウェイを、もし双子の片割れが見ていたなら「悩む観点が違うだろうが!」と怒ったには違いなかった。




 パチン、と何かが弾けるような音が聞こえたと、思った。

「……………ッ!?」

 その音になぜか奇妙なほど驚いてニチェはガバッと起き上がり、その音のしたほうへ反射的に睨みつけるような視線を送る―――――その仕草に初めて、自分が眠っていたことを知る。
 蝋燭と暖炉の火で照らされたほの灯りに満ちた部屋。下ろされた窓板の隙間から漏れ出る光がもはやないと言うことは、すでに〈炎の女神〉レイアの祝福たる陽球も沈んでしまった、と言うことなのだろうか?そうして〈大地の女神〉ディオナの知恵たる月球が支配する夜になってしまったと?
 そのような思考すら3年前の、見習い神官として慣れ親しんでいた言い回しであることに気付いてニチェは瞬間、盛大に自己嫌悪に眉をしかめた。それはまるで、まだ棄て切れていないのだ、と何かから容赦なく突きつけられたようだった。あの頃の自分をすべて捨ててしまったつもりでいるのに、未だにあの頃の自分がニチェの中で燻って居る。その事実を、否応無しに自覚する。
 はあっ、とニチェは大きく息を吐いた。それはため息ではない。ただ、身の内にわだかまる正体の知れない何かを吐き出してしまいたかっただけだ。そうして―――――願わくばそう、3年前の、今とはまったく違う名前を持って笑っていた自分をも、追い出してしまいたかった。
 あの、頃。双子の弟と、忌まわしい母とを頑強に結びつけた、聖なる姫より与えられた名前を持っていた自分。慈悲深く正義を貫くかの姫を絶対的に崇拝していた弟。そして、そんな弟を守る為に〈炎神殿〉の連中の汚らわしい欲望に身を晒す以外の術を持たなかった、無力な子供。
 否応なく思い出す罪悪感―――――あの日、弟への歪んだ愛情を当の本人に知られた為に逃げ出したあと、あの弟はあの汚らわしい連中の魔手から逃れられたのだろうか。少なくとも最初のうち、自分が彼らの犠牲となったのはあの弟を守る為だった。

「……………ニチェ?」

 そっと、気遣うように呼びかけられた言葉に視線を向ける。夢と現実の境をさまようようなニチェの視線に、スウェイは瞬間驚いたように息を呑み、それから気まずそうにそっと視線をそらした。
 クス、と喉の奥で笑う。
 こんなときの自分の視線がまるで、みだらな欲望を掻き立て誘惑するように見える、と言ったのはいったいどの客だっただろうか?いや、客ではなくブロンクス街の姉さんたちや妹たちだったかもしれない。或いはもっと昔の、自分をただの性欲処理の人形だと思っていた女神レイアの使徒達だろうか。
 つと眉を寄せて考え、けれどもどうでも良いことだ、と思い直す。重要なことはそんなコトじゃない。そうそう重要なことなど、ニチェの日常に転がっているはずもない。
 静かな、あるかなしかの笑みを湛えたままニチェは、心なしか赤面して気まずそうに視線をそらす少年の名前を呼んだ。

「スウェイ。どうしたんだい?」
「あ、の、ニチェ………」

 ますます困ったように言葉を途切れさせるスウェイに、ニチェは笑みを深くする。色事を知らぬ子供でもあるまいし、そもそもスウェイはニチェの常連客として幾度も肌を重ね、時にはそれ以上の行為すら経験しているにも関わらず、まるで夢精すら経験したことのない初心な少年のようだ。
 ニチェはこんな時自覚する―――――自分がこの、貴族の少年をひどく気に入っているらしいこと。そしてそれ以上に彼をひどく疎ましく思っていることを。
 クスクスと笑いながらニチェは、暖炉の前で火掻き棒を持って、困ったように視線をさ迷わせているスウェイを手まねいた。

「来ていたのなら起こしてくれれば良かったのに。おまけにアル=カーデャー家のご子息様に火の番までさせたとあっちゃね」
「あ、ついでに水汲みもやっておきましたけれど」
「……………そう」

 嫌味だと気付いていないらしい少年に、ニチェは軽く脱力した。まして水汲みなんて、確かにそれは助かったと言わざるを得ないけれど、明日になったら『客に水汲みをさせるなんてどう言う了見だい?』とメイシェル姐さんに怒られるのだろう、と思うと気が重い。ブロンクス街で働く女達の社交場でもある井戸まで水を汲みに行って、誰にも見られていないなんて幸運を期待するのはあまりに愚かた。
 はぁ、とまた、ため息を吐く。今日は本当にため息の多い日だ。
 火掻き棒を置いて近寄り、寝台の側に置かれたお粗末な椅子にちょこんと座ったスウェイを見て、ニチェは軽く首をかしげた。

「それにしても本当に珍しい。今日はいったい、どう言う風の吹き回しだろうね」
「ニチェこそ、こんな時間まで眠ってるのは珍しいんじゃないですか?いつも昼過ぎには起きていらっしゃるでしょう」
「あぁ……………」

 夢見が悪かった、なんてちゃちで時として何より有効な言い訳は、咄嗟にニチェの頭の中には思い浮かばなかった。去年も、一昨年の今日も、夕方どころか夜半まで眠り続けていた自分を覚えていたからだ―――――まるで今日と言う日をなくしてしまいたいように。
 その原因が明確だからこそ、逆にニチェは返す言葉に困って眉を寄せた。スウェイがあからさまに話をそらしたのにも気付かぬほど、動揺していた。
 3年前の出来事はそれほどニチェの中で重く燻っており、未だに彼の中で解決しきれない問題なのだ。
 何か期待に満ちたような視線で見つめてくるスウェイに、ニチェはまた小さくため息をつく。どうも最近スウェイは、ニチェ個人のことを知りたがる傾向があった。住人の過去を詮索しないのがブロンクス街の暗黙の掟だ、と固く言い聞かせてあるからあからさまには問いかけてこないものの、言葉の端々からそれが伺える。
 これだからお貴族様の気まぐれは、とニチェは内心盛大なしかめっ面を作った。少年時代特有の好奇心も在るのだろうが、厄介であることに変わりはない。
 ぐしゃ、と前髪を握り締め、ニチェはわずかに視線を伏せる。

「何か、あるのかもしれないね。今日は僕がブロンクス街にやって来てニチェ・ブロンクスと名乗った最初の日だから」

 それはまったくの嘘ではないけれど、まったくの真実ではない。ニチェ・ブロンクス、娼夫としての名前を名乗るようになった日であることは間違いではない。ただ、彼の気鬱や、常らしからぬ態度の原因ではないだけで。
 けれどもニチェはまた知っていた。スウェイと言う、いかにも世間の穢れに染まらぬ純粋な少年は、こういう言い方をすればそれ以上は突っ込んでこないはずだ。以前に妹のミズヤーナが〈咲いた〉時だって、年端の行かぬ少女が正式に娼婦となったことにスウェイは心を痛め、眉を曇らせていたことをニチェは知っていた。
 案の定、スウェイは先刻とは別の意味で気まずそうに視線をさ迷わせ、どうしたものか、とぐるぐる考え込んでいるように見える。あまりにも予想通りの反応に、むしろニチェは笑いが込上げてくるのを感じだ。
 クスクス、クスクス、喉の奥で小さな笑いを弾けさせると、からかわれたと思ったスウェイが顔を真っ赤にして睨みつけてくる。それから拗ねた仕草でふいと視線をそらす、その様子にニチェは思い出す―――――彼がまだ14歳の子供でしかないのだ、と言う事実を。
 スウェイはしばらく憮然とした表情をしていたが、ふいに思いついたようにニチェのほうに向き直ると、そっと彼の手を握った。いったい何を始めるのかと、握られた手とスウェイの表情を交互に見るニチェに、笑いかける。

「ニチェ。それでも僕は、今日と言う日に感謝しても良いですか?あなたがこの街に来てニチェ・ブロンクスと名乗ってくださったから、僕は貴方にこうして会うことが出来たんですから」
「………スウェイ?」
「僕は、ニチェがどう考えていらっしゃるかは判りませんけれど、貴方に会えたことをとても感謝しているんですよ」
「……………」

 その、言葉に。
 応とも否とも答えられず、ニチェはまじまじとスウェイの顔を見詰めた。まるで不可解な異国語で喋られたかのような衝撃だった。

(僕と会えたことを感謝している?)

 そんなコト、自分は考えたこともなかったのに。ただ彼の身の内に流れるアル=カーデャー家の血がニチェには疎ましく、それでありながらスウェイが与えてくれる、時には奪い取り貪り尽くす快楽から手を離しきれずに居る自分を嫌悪せずにはいられない、ただそれだけの存在だったのに。
 感謝、など。
 感謝など、したことはない―――――後悔だけは幾度もしたけれど。
 その気持ちに、スウェイはまったく気付いていないのだろうか?その可能性はある。ニチェはただの一度もスウェイにその内心を告白したことはない。だから彼が気付かぬままでもまったく不思議はない。
 けれどもスウェイは時として、こちらが驚くほど人の気持ちに聡いことがあるのだ。こちらが用心深く胸の奥に沈めていたはずの思い出すら、気付けばスウェイは当然の顔をして引きずり出していることがある。だから彼がニチェの内心を知っていても、まったく不思議はない。
 ―――――そのどちらとも判断できぬまま、ニチェは意思の力だけで、ゆっくりと彼に頷いて見せた。

「構わないよ、スウェイ。……………そういう考え方も悪くない」

 最後は本音だ。本当にニチェは心から、スウェイの言葉を聞いて、そう感じたのだ。そういう考え方も悪くない……………自分にとって今日と言う日は3年前に神殿から逃げ出した忌まわしい日だけれど、逆に言えば自分にとって今日はこの街でメイシェルやローズ、他の仲間たちと出会った記念すべき日でもあるのだ。
 それが逃げだとはわかっていた。けれども、そう考えて自分を慰めるのも、そう悪くはない気がする。
 少なくとも、あの日裏切られたような瞳で自分を見ていた弟の前にもう一度立つ勇気が持てるまで―――――そう考えて自分を慰めるのも悪くない、ニチェはそう思いながらスウェイにそっと笑いかけていた。


.....fin.






このサイトの元祖カップル(?)ニチェ&スウェイでした。

一応サイトで一番最初にアップしたオリジナル小説なわりに第二話が放置プレイ中ですが、

今のメルマガ連載が終わったらリニュしてきっちり完結させる予定です(第二話は)

こいつらはお互いに秘密と目的を持って一緒に居るヤツラなので、

ホンットーに書きにくいです……………(死)


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