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A-D


第三話


―――――笑い声が 聞こえる


 クスクス……………
 フフ……フ………


―――――高く遠く 響く 笑い声が


 アハハハハ……………
 ウフフ………フフ…………………


―――――小さくかすかに 混じる 鐘の 音が


 リーン……ゴーン………リー…ン……………
 クス…………クスクス……………クス……………



『天使様に会えたのね』



(……………イリューシカ……姉さん……………?)


『此処に居るわ、可愛いイトカ』


(……………そこは)


『だからイトカ、お姉ちゃんをお嫁さんにしてくれるわね?』


(どこ、なんだ……………)






 ―――――リーン、ゴーン………リーン……
 どこかから聞こえてきた鐘の音に、イトカの意識は不意に現実に引き戻された。まるで、漂っていた夢の中から誰かの手で掬い上げられたようなその感覚に、イトカは物悲しい気持ちで瞼を持ち上げる。
 小さな部屋だった。
 目覚めて初めに視界に飛び込んできたのは、ベッドの横に置かれた質素な木の机と、その上に飾られた不釣合いに綺麗な玻璃ガラスの花瓶。活けられているのは真っ白なユキノハナで、イトカの家の周りのいたるところに植えられている花だった……………ただし秋口のこの時期に咲く花では、ない。
 寝かされているのはごく質素なベッドで、シーツからは何かの花の良い香りがしたが、何の花の香りなのだかイトカには思いつかなかった。ただひどく懐かしい感じがして、一瞬大きく息を吸い込む。胸いっぱいにその香りを吸い込んでしまってから、ああそう言えばこれは姉のイリューシカが好んでつけていた香水だ、と思い出した。遠い異国から商人が運んできた、魔除けの花の実の匂いが封じられた香水だったか。
 気付けばイトカの意識を呼び覚ました鐘の音はすっかり形をひそめていて、その事実にどこか損をしたような気持ちになるのが不思議だった。村の教会の鐘とは違った音色の、とても綺麗な音だったような気がした。
 ところでここはどこなのだろう、と至って基本的な疑問にようやくイトカが辿り着いた時、コンコン、と控えめな仕草でイトカの寝かされていた部屋の扉が叩かれた。
 それきり、沈黙。
 もしかして、イトカの応えを待っているのか……………しばらくの沈黙の後にそう気がついてイトカは、ひどく申し訳ないことをしたような気持ちになって、慌ててノックの主に対して「どうぞ」と応えを返した。いつでもどこでも礼儀正しく、と教えたのは今は亡き姉である。
 カチャ、とノブが回された。

「気分はいかがですか?」

 ふわり……………
 柔らかな微笑を浮かべて入ってきたのは、少女だった。美しい、という以外のどんな形容詞も似合わない容姿の中に、どこかあどけなさが潜んだ発展途上の美少女、という印象。彼女の動きにあわせて揺れる深い緑色の衣は、はたから見ても柔らかそうだ。その上に零れ落ちる銀にも似た金色の髪が、緩やかなウェーブを描いてあちらこ
ちらに光を撒き散らす。
 そして何より目を引く、背に生えた6対の純白の羽―――――
 あっ、と小さく声を上げた。イトカが気を失う前に現れた、天使の姿をした「悪魔」と名乗る少女ではないか。あの恐ろしげな銀色の女悪魔を、その存在だけで退けてみせたあの神々しいオーラを放つ、十二枚羽の純白の存在。
 思い出した途端どうしたら良いのかわからなくなったイトカに、少女はこくり、と首をかしげた。

「御身体の方は何ともないと思うのですけれど……………お食事は召し上がれますか?もし気分が悪いのでなければ、何か召し上がった方が良いと思います。嫌いなモノはありますか?」
「……………えーと?」
「こう見えても私お料理は得意なんです!若様に散々馬鹿にされて、一生懸命練習したんですもの。お洗濯もお掃除もまだ若様の合格点はいただけないんですけど、お料理は若様にも誉めて頂いたんです。嫌いなものがなければ新鮮なミルクにベーコンエッグ、蜂蜜トーストにサラダにフルーツなんてどうでしょう?」
「いや、えっと……………」

 そのメニューと料理の腕前とはあまり関係ないんじゃ、と胸のうちで密かに湧き上がってきた突っ込みはこの際横においておくとして。
 普通だ。
 あまりにも普通すぎる。
 イトカは一瞬、あの時見た光景は気のせいで少女の背中についているのは作り物の羽根で、自分は村の中の一室にいて皆に手の込んだ悪戯をされているのではないだろうか、と真剣に周りを見回した。覗き穴があったら、覗いてたヤツを取り合えずシメる。
 けれどもそんなモノはあろうハズもなく、窓の外から見えるのはどこまでも深い森の景色で、少女の背中に生える12枚の羽根は少女が再度首を傾げるのにあわせてファサリとかすかな風を起こした。
 ポン、と少女が胸の前で手を叩く。

「取り合えず、朝ご飯にしましょう?食堂はドアを出て右の突き当たりの階段を下りた正面です。先に行ってご用意してますね」

 ニッコリと満面の笑みを湛えて少女はそう言うと、ふわりと12枚の純白の羽根を羽ばたかせた。かと思うとその羽根がたちまちに少女の身体を包み込み、姿を隠す。
 ザァ……………ッ
 一瞬少女の周りを風が取り巻いたかと思うと、次の瞬間その存在は掻き消えて、ふわりと舞い散る羽根がイトカの上に降り注いだ。純白の光を放つ、神の御使いのみが背に纏うことを許された特別な翼。
 それを12枚も持つ少女が、天使の中でも特別な存在だということは聞かなくてもわかった。
 村の教会の神父様が言っていた。神様の御使いは、より高位であればあるほど翼の数が増えるのだと。普段地上に降りてきて神様の言葉を伝えたり、人間を助けてくれたりする天使様は、1対の羽根しか持たない一番最下層の天使で、人間一人一人を見守ってくれる守護天使もその2枚羽根の天使様なのだと聞いた。
 だから12枚も羽根を持っている天使様は、ものすごく特別でものすごく偉い天使様のはずなのだ。
 それなのに。

「……………何の、筆頭悪魔だって…………………………?」

 あの強そうな悪魔を追い払う程の神気を放っていて、そのくせ自分のことを悪魔と称していて、しかもご飯のことなんかに真剣に思いを巡らせていて、掃除洗濯はまだ合格点がもらえない、だって……………?

(それって、それって…………)

 言いたくはないけれど、サギ、って言うんじゃないのか……………?
 そうは言っても、天使様に夢と憧れを抱く国中の人間を、騙してないか……………?
 少なくともイトカは騙された気持ちで一杯だったし、信じたくない気持ちでも一杯だった。あの憧れを返せ、と誰かに訴えたい気持ちで一杯だ。
 だが、現実として認めなければならないのだろうことも、理解ができた。
 いかにイトカといえ、先刻現れた12枚羽を背に抱く少女が、その前森の中で初めて相見えた際にも身につけていた深い緑色の衣の上に付けていたのが、真っ白なフリルのエプロンであったことが錯覚でないことぐらい、よくわかっていたのだ。


to be continued.....


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