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A-D


最終話



 三人(正確にはイトカと少年の二人)でコーヒーを飲んで、一心地ついた頃に少年が、当然のように「じゃあ行くか」と席を立った。

「……………?どこに?」
「お前は馬鹿か。何のためにツェーレンドルフの森に来た?【花嫁】を探すためだと自分で言ったんだろうか」

 イトカの質問に、少年は半眼で言葉を返す。カヤがふわりと飛ぶように床の上を滑って、少年の背後に控えた。
 自分よりも年下であろう少年が、一回りも二回りも大きなカヤを従えて当然のように立っているのは、どこかアンバランスでありながら調和された絵画のようでも在る。
 イトカは少年の言葉に、自らもがたがたと椅子を鳴らして腰を上げながら、そっか、と呟いた。

「【花嫁】ッて、イリューシカ姉さんのことだったんだ」
「―――――【花嫁】が纏っていた肉体の名前など、どうでも良いことだ。あれは【花嫁】の性を持つ魂。それ以外は不要」
「ぼくにはアンタが姉さんを【花嫁】と呼ぶ意味の方がわからない」

 少年はけれど、イトカの言葉はキッパリ無視してカツコツと床に足音を響かせ始めた。イトカがそれに続くものと、疑っても居ない態度だ。
 別に、逆らう気はなかった。彼がイリューシカの居場所を知っているというのなら、それに従うのはイトカがこの悪魔の森に足を踏み入れたそもそもの目的を果たすことだ。幾度も夢に出てきては「お嫁さんにして頂戴」とイトカに微笑んだイリューシカ。そのイリューシカを、カヤと少年は【花嫁】と呼ぶ。
 そこに関連性がないわけではないだろうけれど、少年の言葉ではないがイトカにとってもどうでも良いことであるのは事実だった。イリューシカがなんと呼ばれようと、それが真実姉であるのならば、イトカの目的は達せられたことになる。
 イリューシカを見つけるために、イトカは此処にあるのだから。

「そして、その目的は」

 時として少年は、イトカの心を読んだように言葉を発する。
 食堂を出て右に曲がって、果ての見えないまっすぐな廊下をひたすらまっすぐに歩き続けながら、少年は振り返りもせずスラックスのポケットに両手を突っ込んで、無感動に問いかけた。
 カヤの背を覆う十二枚の羽は、今はきっちりと折りたたまれて意外なほど小さく背中に収まっている。

「目的……………?」
「そうだ。お前が【花嫁】を見出す目的は、なんだ?」
「姉さんを見つける、目的……………」

 それは何だっただろう。
 ゆっくりと首をひねって考えてみたけれど、イトカの中にその答えは見出せない。ただ、姉に呼ばれた。それに応じて彼女を見出すのが自分の目的だと知った。見つけなければいけないのだと知っていた。
 けれども【何故】見つけなければいけないのかなんて、明確な理由は、ない。
 そうだな、と少年は肩越しにちらりとイトカを振り返り、何も言わぬまままた視線を前方に戻した。非常識なまでに広い屋敷の、先も見えぬ廊下の果てに在るものを、主だと言うこの少年は当然のこと知っているのだろう。

「それが、お前が【花嫁】に選ばれた証しなのかも知れん」
「……………さっきも聞いたけど、どういうことさ【花嫁】って。そりゃ姉さんはいつも『お嫁さんにして』って言ってたけど」
「アレは、何者かの【花嫁】となるべき宿命を持つ魂なのだ。どんな存在であろうとも―――――そう、望むならば神でも魔でも、【花嫁】はその伴侶たることを許される。そして【花嫁】を手に入れた者は絶大な権力を手にするだろう」

 それがどういうことかわかるか、と問いかけられて、イトカは素直に首を振った。話が大きすぎて、イトカにはそれを把握できない。
 ふん、と少年は鼻を鳴らした。

「いっそ魔王にくれてやろうとも思ったがな。カヤはそれを嫌だと言って、誰にも奪われぬよう封印を施した。そして【花嫁】は封印の向こうから弟であるお前を呼んだ……………ここだ」

 少年がそう言って立ち止まったのは、一見何の変哲もないただの木の壁だった。思えばこの廊下は、どこまでも永く続くけれども扉らしきモノは殆ど見かけない。所々に肖像画がかけてあり、剣や甲冑が飾られるだけの空間は、ひどく不気味な印象を与える。
 その壁を少年は確かめるように指先で触れて、それから背後のカヤを振り返った。

「カヤ」
「はい、若様」

 それまで一言も発する事無く少年の後に付き従っていただけのカヤが、主の言葉にニッコリと満面の笑みを返す。十二枚の羽が、ばさりと大きく広げられた。
 カヤが少年の前に進み出て、少年が示した壁にペタリと手の平をつける。ごく薄い金色の光を放つ髪が、見えない風に嬲られたようにふわりと宙に浮いた。それに合わせて深い緑色の衣の裾もパタパタとはためく。
 そういえばカヤの髪は、出会った時は漆黒のそれではなかったか―――――不意にそんな矛盾に気付いたが、その事実がカヤと言う存在にどれほどの影響を与えるとも思えなかった。髪の色など、染め粉を使えばどうとでもなるのだし。
 少年が腕を組んだのと、カヤの手の平から強い白光が生じたのは、同時。
 イトカは、思わず息を呑んだ。
 カヤが放った光が、木の壁をゆっくりと嘗め尽くしていく、その後から広い草原が現れたのだ。

「ユキノハナ!?」

 それは一面にユキノハナが咲く、今の季節にはけしてありえない光景だった。この屋敷は森に四方を囲まれた中に在ったはずなのに、少なくともイトカが目覚めて覗いた窓の外はそうであったと言うのに、このユキノハナの咲き乱れる草原もまた果てが見えない。こんな草原を、イトカは見たことがない。
 否―――――
 見たことは、在る。夢の中、イリューシカが微笑んでいたあのユキノハナの草原。それはこんな光景ではなかったか―――――?
 バサリ、とカヤが羽ばたいた。十二枚の羽根がばらばらに空気を叩いて、カヤの身体は軽やかに空に舞い上がる。思わず見上げた空の中で、カヤの白い羽根が眩しい太陽の光を受けて光り輝いていた。
 目の前に手をかざして見守っていると、カヤは大きく弧を描いて空を滑り、まるで何かの絵を描いているように飛び回る。右に、左に、上昇しては下降して。太陽の光と戯れるかのように。
 大空を飛び回るカヤの身体が、突然ある一点で静止した。大きく両腕を広げたのが見える。

 ―――――パンッ!!

 すぐ近くで、鋭く手を打つ音が、空気を切り裂く。
 ピク、と震えた。
 前方、遙か遠くからイトカめがけて、白い光がまっすぐに飛んでくる。光はぐんぐん大きくなって、たちまちのうちにイトカとの距離を縮めて、目の前に迫る……………

「……………ッ!?」
『やっと会えた』

 光はそのまま勢いを緩めず、イトカの小さな身体にぶつかった。そのままイトカの身体の中にすぽんと吸収されて、どこかに収まってしまう。
 瞬間に聞こえた、懐かしい声色。この鼓膜を実際に震わせたのはもう7年も前のことで、夢の中では何度も繰り返された、美しかった姉イリューシカの声。
 やっと会えた、と。本当に嬉しそうに。
 イトカの身体の中のどこかで、イリューシカが笑う。

「―――――やれやれ、世話のかかる【花嫁】だ」

 相変わらず不機嫌そうな少年の声が、無愛想に感想を述べた。その声にようやく自分が彼の存在を失念していたことに気付き、振り返ると少年は渋面を作ったまま、両腕を組みなおすところだ。その傍らに空から天使が舞い降りてきて、ニコニコと微笑んでいた。
 イトカは思わず、光が飛び込んできたお腹の上の辺りをそっと撫でる。今はなにも違和感は感じない。さっきのことがまるで夢のようだ。
 けれども頭の中のどこかで、ひそやかに笑う誰かの存在を、確かに感じる。

「【花嫁】はイトカさんを選んだんです」
「カヤさん?」
「イトカさんは幸いな方。そしてあなたのお姉さまは幸いな【花嫁】」
「【花嫁】が自身の意思で伴侶を選ぶなど、この五百年なかったことには違いない」
「主の恵みがあなたの上に降り注ぎますように―――――」

 ああ、とうわ言のように呟いた。
 イトカの中に、イリューシカがいる。【花嫁】と呼ばれる特別な存在であった姉が、真実の【花嫁】となるためにイトカを呼んでいる。

『大きくなったら、お姉ちゃんをお嫁さんにしてくれるでしょ?』

 そう繰り返したイリューシカに、いつも自分は頷いていた。大きくなったら、お姉ちゃんをお嫁さんにするよ。約束だよ。絶対にだよ―――――
 繰り返していたのは、イリューシカだけじゃなかった。イトカもまた、無邪気な言葉で繰り返していた。お姉ちゃんは僕のお嫁さんになるんだよ。だから誰とも結婚なんかするもんか。そう、繰り返していたじゃないか!
 どうしてそれを、忘れていられたのだろう……………?
 だからイトカはイリューシカを探さなければならなかったのに。この悪魔の森に足を踏み入れ、自身を危険にさらしてでも、必ずイリューシカを見出さねばならなかったと言うのに、何故忘れようなどと思えたのか。忘れたまま生きていけると思っていたのか。
 両手で顔を覆った。衝撃で眩暈がした。誰より、姉の死を認めたくなかったのは、この自分だった―――――!

「村に帰れ、【花嫁】の弟」

 少年の抑揚のない声が、驚くほど頭の中に響く。

「【花嫁】はお前の内に在る。村に連れ帰れば【花嫁】は己が宿命を見出すだろう」
「……………ぼくのお嫁さんに、なるんだ」
「それが【花嫁】の宿命ならば」

 少年は呟いた。遠くを見つめるイーヴル・アイが、きらきらと別々の光を反射する。
 口元だけに、初めて見せる笑みを浮かべた。

「お前が【花嫁】の宿命ならば、【花嫁】は自らその存在を変えるだろう―――――」



 ―――――……………ザァッ


 強風がやがて、ユキノハナの花弁を巻き上げて世界のすべてを多い尽くす―――――






 目覚めた時、イトカは村はずれの辻に倒れていた。

(……………?)

 一体どうして自分がこんなところに倒れていたのかわからなくて、イトカは首をひねる。考えても考えても、何も思い出せない。
 そのうち頭痛まで始まって、イトカはしぶしぶ考えることを放棄した。村はずれの辻なんて滅多に近付きもしないのに、と疑問の思いだけは膨れて言ったが、思い出せないのでは仕方がない。
 すっかり土に塗れた服をパタパタとはたいて、申し訳程度に埃を払う。理由はちっとも思い出せやしないけれど、自分がこんなところで倒れていたと知ったら両親が悲しむだろう。

「心配、してるだろうな」

 両親はイトカに甘い。少しでも姿が見えなくなれば、心配で村中を探し回るほどなのだ。しかも7年前に姉さんが死んでから、それはますますひどくなった。
 ほら今も、耳を澄ませばイトカを呼ぶ両親の声が聞こえてくるではないか。

「イトカ―――――ッ!?」
「どこに行ったんだ、イトカッ!!」
「ここだよ、父さん、母さん!」

 両親の声に応えて大声を上げると、すぐにバタバタと走りよってきた両親が、怒っているのか心配しているのか喜んでいるのかわからないぐちゃぐちゃの表情でイトカをもみくちゃにする。それがくすぐったいように嬉しくて、イトカは時々わざと姿を隠してみたりも、する。

(……………?)

 ふと、自分の考えにどこか違和感を覚えた。けれどもその違和感は些細なもので、考えになる前に霧のように消えてしまう。
 心配したのよ、と泣き笑う母の言葉に、ごめんなさいと謝った。
 父がそんな二人を、ただ無言でぎゅっと抱きしめる。それはいつものことのはずなのに、何故だかひどく遠い昔のような気がして懐かしい。

「……………ああそうだイトカ、お隣の奥さん、赤ちゃんが生まれたのよ」

 ひとしきり泣いた後で、母がようやく落ち着いたのか、思い出したように言った。そもそもはそれを知らせようとイトカを探していたのに、と軽く睨まれて肩をすくめる。
 これは当分大人しくしていた方が良さそうだ。
 イトカはこっそりそう考えて、けれど母の言葉の中味に気がついてホント!?と歓声を上げた。

「男の子!?女の子!?」
「女の子よ。奥さんにそっくりの可愛い赤ちゃん。イトカも楽しみにしてたでしょう」
「うん!!……………女の子だったら、ぼくお嫁さんにするよ!!いいでしょ!?」
「あらあら。そうね、奥さんに聞いて御覧なさい。お母さんもイトカに可愛いお嫁さんが出来たら嬉しいわ」

 クスクス笑いの母に、大丈夫だよ、と微笑を返した。


 大丈夫だよ、お母さん。
 だってそれはぼくのお嫁さんなんだ。
 ぼくが見つけてきたぼくの【花嫁】なんだから―――――


 ……………ねぇ?


..... fin.


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