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Annunciation


15


 晩餐はその後すぐに始まった。
 私はつい先刻見た無残な光景に食欲を失い、目の前にならべられた豪華な食事にもろくに手をつけられぬまま、やけのようにぶどう酒をひたすら飲み続けていた。どうやら食事にあわせて白ぶどう酒と赤ぶどう酒を分けているらしいのは、さすがは貴族階級と思しきツェーレンドルフ家であった。
 今ならば多少値段は下がってきているものの、説明するまでもなくはるか南方の白ぶどうを使って作られる白ぶどう酒は高級品である。当時の私は現にツェーレンドルフ家で目にするまで、ぶどう酒と言えば赤ぶどう酒しかこの世には存在せず、白ぶどう酒なんて飲み物の存在を夢想だにした事はなかった。
 その日出されたぶどう酒がその、高級品の白ぶどう酒であった事は私にとって幸いだった―――――赤ぶどう酒であったならば、私は即座にトゥフェルの無残な姿を連想し、手をつける気力すら失ったに違いないのだから。
 ああ、偉大なる主よ、どうかわれらに恵みを与えたまえ!
 このような高級品を安酒と同じように飲む事の愚かさは今振り返ってみれば恥じ入らんばかりである。だがこの時の私はある決意を胸に秘めており、しかしながらせめてアルコールの力でも借りなければ私には到底、その決意を実行に移す事など出来そうになかったのだ。
 カヤが私に白ぶどう酒を注ぎながら気遣うような視線を向けたが、私にはそれにうなずきを返すだけの余裕すらなかった。全く恥じ入る想いである。
 一体何杯の白ぶどう酒を飲み干しただろうか、程よく酔いが回ってきた頃、私はついにその言葉を口にした。

『若当主。受胎告知絵はどこにあるのですか』

 私の言葉にかの少年は、黒と蒼の透明なイーヴル・アイを煌かせ、ふん、と小さく鼻を鳴らした。

『諦めたか』
『諦めておりません。だから若当主にお伺いするのです』
『言ったはずだ、神父。お前が自力であれを見出せなければそれも運命だと』
『だがあなたはあなた自身に対する質問を禁じはしなかった!』

 ガタン、と私は思わず立ち上がった。もし二人の間に長いテーブルがなければ、私はかの少年の胸を掴み上げていたかもしれない。酒の勢いを借りての事とはいえ、私も思えばずいぶんと無茶な事を言ったものである。

『ならば教えてください、若当主。受胎告知絵はどこにあるのです。あなたはなぜ夢告の女を知っているような発言をなさったのです?』
『……………』
『この扇!あなたはこの扇を見た時確かに「またあの【女】が現れたか」とおっしゃった!あなたが真実何も知らないのであれば、かような発言はなさらないのではないですか?』
『まぁ、その扇は…………』
『知らぬ、とは言っていないな』

 クッ、と面白いおもちゃを見つけた子供のように、かの少年の瞳が光を持った。私がしっかりと握り締め、少年に向って示してみせた扇を見て、カヤが驚いたように目を見張る。
 ちら、と少年の視線がカヤに向けられ、無言で何かを伝えたようだった。それを受けたカヤが、少し不満そうな表情になって、それでも小さくうなずきを返す。
 白ぶどう酒の入ったデカンタを重たげに抱えたまま、カヤが一つ小さく瞬きをした。それと同時に一瞬だけふわりと金色の髪が風を浮けたように揺らぎ、そのまま再びパサリと落ちた。
 それらを見届けた上で再び少年は視線を私の方に向け、クックッと喉の奥で堪え切れない笑みをこぼした。

『神父。人間はくだらんが、たまにお前みたいな奴が居るから面白い』

 まるで100年の時を経て達観した老人のように12歳ほどの少年が言うのは奇妙な光景だった。しかしながらかの少年を見た目通りの年相応に扱う事がいかに愚かであるかも、私はすでに理解していた。
 かの少年は確かに、この巨大な屋敷に象徴されるツェーレンドルフ家の当主たるにふさわしい存在だった。その態度と言い、言動と言い、かの少年がツェーレンドルフ家の当主として振る舞う以外のどんな姿も、私には想像する事が出来ない。12歳と言えば通常、ようやく早い者が独立を始める年であるにもかかわらず、かの少年はそんなものを超越していたのだ。
 コトン、と手にしたグラスをテーブルに置き、少年は面白そうに頬杖を突いて私を見た。

『神父、なんならお前、悪魔使いにでもなってみるか?』
『そんな冗談を………ッ』
『冗談じゃないさ―――――ああ、何なら悪魔祓いでも良い。お前みたいに悪魔に耐性のある人間は珍しいからな。どちらでもたいして変わらん』

 大いに変わるのではないだろうか、と私は内心首をかしげた。その不審は私の表情にも出たらしく、少年はそれを見て再び面白そうにどこか皮肉な笑みを見せた。

『お前が無知なのはお前の責任じゃないさ。人間って言うのはすべからく、悪魔に対しても神に対しても無知なものだ』
『お言葉ですが、私は神学校で神の僕として学んできました。確かに私は神父としては未熟ですが………』
『あんな苔むした本にしがみついている輩が神だの魔だのを語る事こそ下らん』

 少年は大きく肩を竦め、カタン、と乾いた音を立てて席を立った。コツ、コツ、コツ、と革靴の音を立て、ゆっくりと私の方へと近づいてくるのを私は、ひどくぼんやりとした心地で見つめていた。
 カヤがデカンタを持ったまま、ふわりと柔らかな笑みを浮かべて私たちを見ていた。それはまさに天の御使いの、慈愛に満ちた笑みだった。
 少年が近づいてくるのを見守ったまま、ぼんやりと立ち尽くす私の側までやってくると、少年はにやりと笑って腕を組み、私を見上げた。

『神父。お前が秘匿を知りたいならば教えてやっても良い―――――お前は面白いからな』
『な……に、を…………?』
『神父―――――天の秘匿を知りたくはないか?』

 少年の囁きはまさに悪魔のそれと言って良かった。私の心はその囁きにひどく憧れを感じ、蜂蜜に引かれるミツバチのように、伸ばされたその手を取ろうとする誘惑に打ち勝つ事はまさに身を切られんばかりの苦痛を伴った。
 だが―――――ああ、神よ、だが私は打ち勝った。私は少年の言葉に惑わされんとする私の心を制し、私の本来の目的である受胎告知絵の在処を求める事に意識を集中する事に成功したのだ。
 私は激しい誘惑に上ずる声で、必死に受胎告知絵の在処を訴えた。それはますます少年を面白がらせたようであった。

『受胎告知絵、か。もちろん教えてやっても良い。あんなもの、後生大事に抱えていた所で何の価値もないからな』
『若様!?ですが神父様がお持ちの扇は…………』
『そう、あの忌々しい【女】のものだ』
『ならばその受胎告知絵に封じられているのは若様のお母君ではないのですか!?』

 カヤの悲鳴のような叫びが、一瞬私の思考を空白にした。


to be continued.....


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