home
判らない語句はこちらから検索→  
writing fun connect renka
novel poem word&read juel chat mail profile book





013.壊れ物




「結婚を、申し込まれたんです」

 女性の思いつめたような押し殺した言葉に、さすがに戸惑って神代隆義(かみしろ・たかよし)は彼女の顔をまじまじと見詰めた。その視線を受けて、彼より5歳年下の女性は困ったように顔を伏せる。
 さらり、と流れ落ちた髪を無意識にかきあげる仕種は女性特有のもので、彼女が既に幼い少女ではなく一人の女性なのだ、と隆義に知らしめた。だが隆義にとって彼女はあくまで、年下の幼い少女だったのだ―――――この瞬間までは。
 神代家が預かる【氏神神社】の境内に建てられた、休息所の中。どうしても内密に相談したい事がある、と尋ねてきた藤村孝美(ふじむら・こうみ)を、それならばと案内したこの場所を今になって後悔した。ここは内密の話には確かにうってつけだが、人生相談に最適とは思われない。
 思わず古びた天井を見上げて唸ったが、そうした所で解決策が見つかる訳でもなかった。こういう時頼りになる従姉は、困った事に先日夫婦揃って引っ越していったばかりで当てにならない。
 ならばやはり自分が対応するしかないと、心持ち居住まいを正し、隆義は問いを返した。

「・・・・・・・・・相手は?」
「あの、まほり様の叔父君の・・・・・・・・・・・・」

 名前を聞かずともそれだけ聞けば、該当者は一人しか居ない。瞬時にその相手のひょうひょうとした底の知れない顔を思い浮かべ、知らず渋面を作った。
 より正確に言えば、隆義の妻である神代まほり(かみしろ・まほり)の叔父は二人居るのだが、【まほりの叔父】と呼ばれる人物は一人だけだった。まほりが生まれた時から彼女の側に居て、まほりが兄とも思っていた人物。
 暮里地区、俗に言う暮里村は小さな集落だから、住民の殆どは顔見知りだ。そんな中にあって人生の半分以上を【外】で過ごした男の名は、全くと言って良いほど知られていなかった。だから【まほりの叔父】と呼ばれる。それ以上でもなく、それ以下でもなく。
 隆義が彼の事を良く思っていない事をその表情から悟り、孝美はますます深く顔を伏せて隆義の言葉を待つ姿勢になった。そうしていると確かに彼女は、幼い少女であり愛すべき従妹だった。
 だから、隆義は腕を組んで考え込む。

「孝美はどう思ってるん?」
「え・・・・・・・・?」
「結婚申し込まれて。少なくとも迷っとるから、断らんとここに相談しに来た訳やろ」
「あ・・・・・・・・・それは、うちにとっても叔父様に当たる方やし・・・・・・・・・・」

 積極的に嫌ではないが、積極的に乗り気でもない。絶対に嫌だと突っぱねるほどではないが、是非にと話を受けるほどでもない。
 孝美の心理を予想しながら隆義は、まほりならどう言うだろう、と考えた。高ノ宮市で生まれ育ったまほりは、時として自分達には予想もつかない解答を出す事がある。暮里村で【氏神神社】に縛られて生きていたのでは出せない、それは真実自由を知る者の解答なのだろう。
 だが生憎彼女は、夏風邪で寝込んでいる。普段そうは見えないくせに体が弱いまほりは、一度寝込むとなかなか起き上がる事が出来なかった。
 だからやっぱり、まほりは頼れない。隆義自身が回答を出すしかない、と言う事だ。

「・・・・・・・・・・・・悪い話や、ないんとちゃうか?」

 しばらく考え込んで、沈黙の海に沈んだ末に、隆義はようやくそう言った。これほど悩んだ事は早々あるものではなく、ひょっとしたらかつてまほりを【氏神の花嫁】と言う運命から解放しようとした、その時以来かもしれなかった。
 孝美の問い掛けるような視線が向けられて、かすかに微笑む。

「俺はあいつをよう知らんから胡散臭いと思ってるけど、まほりはあいつを信頼しとる。まほりは【ああ】やけど、ほんまに悪意を持っとる人間には近付かへんから、それは信じてええと思う」
「まほり様が・・・・・・・・・」
「ああ。その上で受けるか断るかは孝美が決め。俺はもう【神子】や無い」

 多少、突き放すような響きになってしまったのは仕方が無かった。孝美が一体何故、よりによって隆義にこんな相談を持ち掛けてきたのか、百も承知だったのだから。
 村の鎮守である【氏神神社】に縛られていた、今も縛られ続けているこの村にあって、氏神の声を聞けた【神子】隆義の存在は、言ってしまえば生神だった。隆義の言葉は神の言葉であり、隆義の存在こそが神の存在だった。
 10年前にそれは虚構と知れた筈なのに、それでもまだ隆義を【神子】と崇めている者は多い。まして無意識に【神託】を求める孝美のような存在は、消し去る方が遥かに困難だった。
 それを疎ましく思っている隆義に、孝美が気付かない筈が無い。たちまち孝美は上げた面を曇らせ、どうしたら良いのか判らない捨てられた子供のような表情になった。
 ぎゅっ、と震える両手を握り締める。

「すみ、ません・・・・・・・・・けどうちらにとって・・・・・・・・うちにとって、隆義様はほんまに神様やったんです。氏神様のお声を伝えて下さる隆義様は、目に見えへん氏神様よりもずっと、神様やったんです」
「孝美・・・・・・・・・・」
「隆義様がうちを望んで下さった時には、ほんまに、神様のお嫁さんになれるんやて、まるでまほり様みたいやって、嬉しかったんです」

 その言葉を聞いて、隆義は眉を曇らせた。その胸に去来するのは罪悪感だ。
 かつて隆義は、孝美を我妻にと望んだ。それはまほりに出会う1年前の話で、孝美はまだ少女と呼ぶのも憚られるほど幼く、なのに何故彼女を妻にしようと思ったかと言えばただ、彼女が【村長】の直系の娘であり神代家にとっても藤村家にとってもそうするのが都合が良かったからだ。
 あの頃は、それが当然だと思っていた。そうあるべきだと思っていて、従姉であり彼自身が嫁ぎ先を定めた少女が控えめに唱えた否を、己の立場が分からぬ愚かな行為よ、と蔑んだ。
 その隆義が変わったのは、まほりと出会って、彼女を護りたいと思ってしまったからだ。その為だけにすべてを捻じ曲げ、自ら定めた孝美との婚約を破棄し、氏神に奉げられる筈だったまほりを手に入れた、そのこと自体に後悔はないけれど、こうして己の罪の片鱗を見せ付けられるたび、胸が痛むのも確か。
 まほりとは違う意味で、この従妹を護りたいと思う。大切に大切に、傷などつかぬように柔らかい真綿で包むように、慈しんでやりたいと願う。それを彼女が望んでいなかったとしても。
 沈黙してしまった隆義に、意外なほど明るく孝美は微笑みかけた。そこにはただ、信頼だけが在る。

「話を聞いて頂けただけで良かったです。もうちょっと自分でも考えてみますね。まほり様に、お体をお大事になさる様お伝え下さい」
「・・・・・・・・・・なんかあったら、また来ぃや」

 今、真実孝美が幸せになる事を願う隆義が言えたのは、だからありきたりの言葉だと判ってはいたが、その一言だけだった。そもそも最初に彼女の運命を歪めたのは自分だ、と言う自覚がある隆義に、一体それ以上の何が言えただろう?
 咎人だと、判っている。判っていてもまだ、ここに居たいと思う。けれども時々居たたまれなくなって、そんな時優しくしてくれる、自分が傷付けた人たち。
 だから、孝美が帰った後も休息所を出る事が出来なかった。こんな表情で、こんな気持ちで帰ってはきっと、まほりを心配させるだけだ。
 けれども今一番願うのは、まほりの顔を見たいと言う、ただそれだけだった。



 永遠に許されない罪がこの世に存在するのだと、頑なに信じ続ける青年に、差し伸べられる救いの手はまだ遠い。


.....fin.






第十三回は……………何といえば良いのかもう(滝汗)

隆義君は旧暮里村の鎮守の神様の声を聞くことが出来る神子でした。

で、孝美ちゃんは彼を崇拝する信者の一人だったわけです。

前回で従姉の結婚を決めていた隆義君ですが、実はそれ以外にも、

人の生き死にに関することまですべてが彼の言葉によって動いていた時期がありました。

彼はとてもソレを後悔しています。

許されてはいけないと思っています。

そんな彼が自分を許せる日が来れば良いなぁ、と思ってます。



∧top∧





top▲