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036.マグカップ



 高ノ宮市の海岸通りには、こじゃれたレストランや喫茶店がポツリ、ポツリと並んでいる。
 季節外れの海辺なんて通りかかるのはマラソンを日課とする近所の住民か、あるいは規格外の事をしてみたくなって足を運んだ若者ぐらいだ。数日前のバレンタインデーでは何十組かのカップルが真冬の砂浜で愛を確かめ合ったらしいが、この雑貨ショップ【Pianissimo】が立つ辺りは護岸工事で見渡す限りのテトラポットに覆われている。
 閑古鳥が住み着いて久しい店内で、それをちっとも気に病んだ様子のない女性が、いそいそと昼下がりのティータイムの用意をしていた。
 都築ほとり(つづき・ほとり)、43歳。後3ヶ月ほどで誕生日を迎える彼女の外見は、年不相応に若かった。内面の気の若さがにじみ出ているのか、どうかすると30を越えたばかりに見える。そのせいか仕種もどこか若々しい。
 店内に流れるクラシックはピアノソナタ【月光】。ほとりの一番のお気に入りだ。
 流れるメロディに合せて踊るようにティーポットから紅茶を注ぎ、軽く焼き上げたスコーンにはクロテッドクリームと林檎のジャムを添えて、窓の側に置いた小さなウッドテーブルの上には真っ白なクロスをかけて。
 カランカラン……………
 ピアノを妨げない程度にささやかなベルが、来客を告げる。

「いらっしゃいませ」

 にっこりと微笑んで迎えたほとりに、訪れた青年は驚いたように目を見張った。首の後ろで束ねられた長く真っ直ぐな髪が、ぴょこん、と跳ねて揺れる。
 さぁさぁ、とほとりはにこにこ、青年の手を引っ張った。

「お待ちしてましたわ、榊水人(さかき・みずと)さん。………で、よろしいでしょう?」
「ああ……いや、はい……………」

 水人は戸惑った様子を隠せないまま、曖昧な返事を繰り返しているうちにほとりに引き摺られて窓辺のテーブルに辿り着く。椅子を引いて「はいどうぞ」とにっこり微笑まれると、なぜだか逆らえない。
 可愛らしい物から実用的なものまで品揃えの豊富な雑貨屋【Pianissimo】は、水人にとってはものめずらしいものに溢れているらしく、きょろきょろと落ち着かない視線が青年らしい好奇心に満ちて動くのをながめると、ほとりはまた微笑みを零した。彼女には今年4歳になる息子が居るが、やがて成長すればこんな青年になるのだろうか、と思ったのだ。
 しばらくして満足したらしい水人は、最後にこの女店主に興味を持ったらしく、真っ直ぐな瞳を向かいに座っていたほとりに注いだ。

「あの、あなた、は」
「都築ほとり、この店の主ですわ。でも水人さん――――失礼、そうお呼びして良いかしら――――先にお茶にしませんこと?鴻さんからご連絡頂いて楽しみにしてましたの」
「ああ、はい」

 知り合いで市役所に勤める鴻哲朗(おおとり・てつろう)の名前を出すと、水人は納得したように肯いて目の前に置かれたティーカップに手を伸ばした。じっ、と確認するように視線を落とす。
 鴻はほとりの古くからの知り合いで、市役所の移転課に勤める青年だ。移転課とは日本全国で高ノ宮市にしかない特殊課で、異世界・異次元へ転移してしまったと見られる住人や、逆に異世界・異次元から来訪した存在の対応を主業務とする、警察機構とも連動している課である。その中には異世界から来訪し、この世界への在住を希望する存在の為の適応訓練も、立派な業務として含まれていた。
 ほとりと鴻が出会ったきっかけはもう忘れてしまったが、二人の友好が続いている理由は明確だ。この【Pianissimo】は移転課の在住適応訓練に協力しており、代わりに市からの助成金を貰っている。
 榊水人と言う青年も、移転課の適応訓練を受けている存在のうちの一人だった。聞く所に寄れば異世界の王国の王子だったらしく、妹王女と二人で止むに止まれぬ事情により逃げてきた為、永住を望んでいるのだと言う。
 水人はようやく紅茶を口に含むと、ふわりと瞳を緩ませた。それからきょろきょろと辺りを見回す。

「この音楽は良いな。とても綺麗だ。何と言う曲ですか?」
「【月光】と言うピアノ音楽ですわ。私の亡くなった幼馴染が生前残した音です。水人さんのお国にはピアノは在ります?」
「いいえ、こういう音は。あの国は弦楽器が主流でしたから。でもそうですか、貴女の幼馴染が―――――きっと、お幸せだったのでしょうね。そういう音だ」

 水人の言葉にほとりはにっこりと微笑んだ。ほとりは彼女の幼馴染の弾くピアノを何より愛していたから、それを誉められたのが嬉しかった。
 やがて音は次の曲に移り、やや軽やかなワルツのテンポが踊るように跳ね回る。この曲もほとりのお気に入りだ。いや、ほとりは彼女の幼馴染が弾いた曲ならどんな曲だってお気に入りになるのだ。
 ゆっくりと紅茶を飲み、スコーンを食べながら、五月雨のように降るピアノの音に耳を傾け、ぽつり、ぽつりと言葉を重ねる。ほとりはにこにこと水人を見つめ、水人はまぶしそうにほとりを見る。

「貴女は、私の母のようだ」

 困ったように呟いた。

「母は厳しい方で……とても、優しい方でした。私も弟も妹も母を愛していました」
「そしてお母様も水人さん達を愛して下さったのでしょう?」
「ええ、とても」

 だが水人の顔は、言葉とは裏腹に晴れなかった。複雑な事情が在るのだろう、とほとりは見当を付け、言葉を重ねる事を控える。
 そう、大概異世界から来てこの街に留まる事を望むものは、なにか複雑な事情を抱えているものだ。そうでなければ自分の世界を捨てようなんて思わない。故郷に二度と戻らないと思えない。
 ただ、と小さく呟いた。

「あの国と決別した私たちの気持ちを、母たちが理解できないだろう事が、哀しい」

 ぎゅっ、とティーカップを握り締めて苦い呟きを漏らした青年の頭を、ぽんぽん、と軽く撫でる。まるで弟のように頼りない水人が、苦しい気持ちを抱えている事を可哀相だと思った。
 異世界の住人は、重い事情を抱えているが故に、心が優しい。ほとりの店には幾人もの異世界からの住人が訪れるが、彼らはみんな優しい気持ちで哀しみを抱えている。
 ほとりはだから、この店が大好きだった。

「気休めかもしれませんけれど、きっと解って下さるわ。だって水人さんをこんなに優しい方に育てたお母様ですもの」
「……………ありがとうございます」

 不器用に微笑む青年に、にっこりと笑いかける。
 不自然に力の入った両手からティーカップを取り上げて、そっといたわるようにソーサーに戻した。

「さぁ、お茶会はおしまい。訓練を始めましょう?今日はお買い物の練習だって、鴻さんはおっしゃってませんでした?」
「あ、はい」
「どんな物が欲しいかは決めていらした?」

 雑貨ショップ【Pianissimo】は適応訓練の一環として、実際の通貨を使って店舗で品物を買う、と言う訓練をになっている。勿論それだけではなく、今後どういった住居や職業を提供すれば良いのかを見極める、という役割もになっている為、店内には常に様々に豊富な品が溢れていた。
 一番最初に訪れた彼らが何を買っていくか―――――そんな些細な情報からでも、彼らの心理を引き出す事が出来るらしい移転課の専門医を、ほとりは密かに尊敬していた。
 水人はきょろきょろと店内を見回し、壁際に並んでいた食器を見つけると、側によってしばらく眺めていた。その間にほとりはカチャカチャとお茶会の後片付けをする。スコーンはちょっと多めに焼いてしまったから、明日の朝ご飯にしようか?
 息子の喜びそうなメニューをあれこれと考えながら動き回っていると、水人はようやく気に入る品を見つけたらしく、両手にステンレス製のマグカップを二つ、ほとりの前に持ってきた。

「お会計はレジですわ」
「あ、そうか、すみません」

 困ったようにレジの方に持っていく水人を見送り、ほとりも手を洗うとその背中を追う。コトン、と置かれたカップを二つ、丁寧に緩衝材に包んでビニール袋に入れて、レジに打ち込む。
 真新しい黒い革の財布から出されたお札を受けとって、少々お待ち下さい、と微笑んだ。

「お二つって事はお連れ様の分も、ですわね。確か義理の妹さん……………?」
「はい。彼女と、この国に来る前に話した事が在って。旅芸人に紛れて旅をしていて。こういうカップで飲んだスープがとても美味しかったから」
「そうですか。それはとても素敵な思い出ですわね。きっと妹さんもお幸せですわ」

 けれども水人は、「そうだと良いですね」と微笑んだ。



 この義兄妹の間にある複雑な事情が、よもや彼女の息子にも関わってくる事になろうとは、この時にはまだ想像も付かない事だった。


.....fin.






閑古鳥の鳴くファンシーショップの店長さん。

そんな人が店長さんとかやってて良いのかと思いつつ書いてました。

スコーンが出てくるのはですね、書いてた当時、私自身がスコーンを焼くのにはまっていたからです。

クロテッドクリームは一度しか食べたことがないですが……………

ちなみに《水人さん》の正体が判った人には管理人の惜しみない賞賛が(いりません)



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