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044.失恋



 暮里町は、日本最後の秘境と呼ばれた旧暮里村をベースとしている。鎮守の氏神神社とその神主一族を頂点に、その下に村長の家系であった藤村家を置き、ピラミッド型で厳密に構成される身分制度と、未だに連綿と伝えられる伝統の数々で雁字搦めに縛られた、今なお続く封建社会。
 そんな中にあって、氏神神社に奉仕することを許された楪ふぶき(ゆずりは・ふぶき)の朝は、同年代の娘たちのそれより早い。日の出と共に朝一番のお勤めをすませ、その後は午後までお社や境内の掃除、その合間合間にやってくる人々の相手などをしていたら、何時の間にか日が暮れている。
 15歳と言う、普通なら高校に行っているだろう年代にもかかわらず、ふぶきは神社に奉仕を許された中学生の頃から一度も学校に行かず、ほとんど住み込んで氏神に仕えていた。暮里では、氏神神社は特別な意味を持つ。それはとても名誉なことだった。
 ふぶきが奉仕を許されたのは、ふぶきが幼い頃から不思議と動物を従わせる力を持っていたからだ。そういう子供を暮里では【氏神様の愛し子】と呼び、一段上に置いた扱いを受けることになっている。今神主も生まれながらに氏神の声を聞くことが出来たとかで、未だかつてただの一度も暮里の外に出た事はない。
 ふわり、と飛んできた蝶を指先に留めながら、ふぶきは初夏の息吹を感じて瞳を閉じた。氏神神社の境内は【聖域】だ。暮里のどこよりも澄んだ空気を感じる。それは病弱なせいで儚い雰囲気を持つ優しい神主の奥方と、そんな奥方を気遣う繊細な心を持つ今神主の人柄にもよるのかもしれない。
 だが、ふぶきが神社での奉仕を喜んで行うのにはもう一つ、理由があった。

「………おや、今日もせいが出るな」
「誉様」

 かけられた声に、ふぶきはふわりと笑って声の主を振り返った。拍子に飛び立った蝶がひらりひらりと宙を舞う。
 そちらの方をちらりと見ながら、若槻誉(わかつき・ほまれ)は巫女姿のふぶきに感慨深げに目を細めた。

「ほんま、ふぶきは大きなったなぁ。昔はよく犬に囲まれて泣いとったのに」
「誉様!そんなの六つか七つくらいのことやないですか!」

 真っ赤になってふぶきが声を上げると、誉は笑いを噛み殺しながら「そうか?」と肩を揺らす。どうやら誉にとってふぶきは、遅く出来た娘のような印象があるらしかった―――――何しろ彼の一人息子は、ふぶきよりもまだ二歳も年下だ。
 もうっ、と頬を膨らませてふぶきは真っ赤になった顔をぷいと横に向けた。
 確かに誉の言う通り、昔のふぶきはしょっちゅう野犬に囲まれては、それが恐ろしくて泣いていた。まだ自分の力を自覚もしていなかった子供の頃、無意識に自分が従わせていた動物たちが、自分に付き従っていることが理解できず、ただただ恐ろしかったのだ。
 そんな時いつも助けてくれたのは、その頃ちょうど高ノ宮市の方に引越して外から通うようになっていた誉だった。楪家は高ノ宮市と暮里村―――――暮里の人間にとっては統合された今もこの二者は歴然と区別されるものなのだ―――――の境に一番近く、外から通っていた誉はいつも楪家の前で泣いているふぶきを目撃しては、動物たちを追い払ってくれた。
 今思えばそれは一目惚れだった。ふぶきは圧倒的な力で怖い動物たちを追い払ってくれる誉を、まるで勇者のように崇め奉り、恋慕った。まだ幼い少女が壮年に差し掛かかっていた男に恋をするなんて、世間一般ではとても考えられないだろう。けれどもふぶきは、この想いが父を慕う憧れでも何でもない、一人の男性への想いだと確信していた。
 クックッと喉を鳴らした誉は、当然ふぶきの気持ちなど気付かぬまま、また後でな、とお社にすぅっと入っていった。今神主の補佐を勤める誉には、これからまだこなさなければならない神事が幾つか残っているのだ。
 それをペコリとお辞儀をして見送って、ふぶきは小さく、小さくため息を吐いた。
 ふぶきの恋は、始まらない恋だ。恋をしたその瞬間から諦めなければいけない恋だ。始まることなど、絶対に期待してはならない恋だ。

(だって誉様の奥様は藤村のお嬢様やもの…………)

 妹の言葉を思い出した。ふぶきの3歳年下の妹である楪しづき(ゆずりは・しづき)は姉の秘めた初恋を知って、誰もがそう言うであろう台詞をきっぱりとふぶきに叩き付けたのだ。
 『ただでさえ親子くらい歳が離れとって、奥様は神主様と村長様の従姉!息子は【氏神様の愛し子】やし、そもそも奥様と誉様のご結婚は神主様直々のご命令やで?お姉ちゃん、そんなんかなうわけないやん』―――――その言葉は、間違ってないんだって言うことを、ふぶきだってちゃんと判っている。
 でも、と思う。だから諦められる恋なら、最初から誉を好きになっていない。こんなに苦しい想いをしてまで、誉の側に居ようと思わない。
 同じ【氏神の愛し子】でもふぶきは女だ。こうして巫女として氏神様に奉仕する以外、ふぶきは何の役にも立たない。それ自体が誇らしいことであるのは間違いないが、その栄光だけに浸っているには世界はめまぐるしく変容する。
 苦しい。
 苦しくてたまらない。
 この想いを抱えて生きることじゃない―――――この想いを棄てなければならないと思うことが、苦しい。この想いを失わなければならないことが、例えようもなく苦しく、ふぶきの胸を締め付ける。
 だが、それは失ったと言えるのだろうか―――――ふぶきはそもそも手に入れてもいなかったのに。手に入れたいと願うまでもなく、この想いは封じなければならないものだったのに。
 そんなのを、失う、なんて言えるのだろうか?
 考えれば考えるほど苦しさで泣き出しそうになるふぶきをなぐさめるように、何時の間にか集まってきていた蝶が辺りをひらひらと飛んでいた。それはひどく風雅な、幻想的な光景だ。
 だがその中央に立つふぶきは、その光景に心を動かすゆとりすら忘れ、深く己の思いに沈んでいた。



 それでも少女は、想いを抱きしめていられるだけでも幸せなのだと思っていた。


.....fin.






親父趣味(失礼)な女の子の恋物語。

始まった瞬間に手に入らないことがわかっている恋は果たして、

失恋という表現は出来るんでしょうか。

あるいは恋と気づかないまま失われた瞬間に気づいたとき、

それを失恋と呼ぶことは出来るんでしょうか。



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