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082.恋の病



 真嶋比呂(まじま・ひろ)は困惑に眉を寄せ、ため息を吐いた。こういうことは苦手だ、と口中でもごもご呟き、ガシガシと頭をかく。
  だがその呟きは相手にはもちろん届かなかったようで、『彼女』は相変わらず必死な、ひたむきな視線を比呂へと注いでいる。比呂が彼にしては珍しく困った表情を浮かべているのにも、どうやら気付いていないようだ。ぎゅっ、と胸の前で組んだ両手が、痛々しくないといえばそれは嘘になる。
  だとしてもこれは反則技だ、と比呂はもう一度、遠慮の無い大きなため息を吐いた。場所は多くの学生が行きかう市立高ノ宮大学内のカフェテリア、これほど目立つ場所で無碍にすることもできないし、かと言って今までの経験を振り返ってみても、思いつめた女性をうまくなだめるような言葉など学んだ覚えもない。
  あるいは幼馴染であればうまい言葉の一つや二つは知っているかも知れないが、とせんの無いことを考えてみたところで後の祭りだ。彼は恋人とテニスサークルに行くと言ってこの場にはいないし、居た所で面白がりはしてもろくな助けを出す相手ではない。せいぜいからかわれて終わりだろう。

(というか、これは『女』なんだろうか)

 ふとそもそもの根本に疑問を抱き、比呂は目の前の『彼女』をまじまじと見つめた。色素の薄い、文字通りに透き通る雪のような肌をした『彼女』は、一見すれば立派に可憐な『乙女』に見える。あまり手入れがされていないように見える足元までを覆う細い漆黒の髪も、元が良いせいだろうか、見苦しいどころか『彼女』には良く似合っていた。必死に見上げてくる瞳は紅蓮の炎を写したような赤で、けれども光の角度によっては時々灰緑にも見える。強いて言えば身にまとっている時代がかった白い服が異様といえば異様か。
  だがそれでもまぁ一応『女』には見えるわけである。
  その事実を再確認しても、比呂の当初の疑問は費えることが無かった。なんとなれば『彼女』はそもそも人間ですらないからだ。
  世の中には『バンシー』と呼ばれる妖精が居る。と言えばまるで美しいもののように思えるが、実際に一般的なイメージとして人々が思い浮かべるのは、醜い老婆の姿だ。むしろ西洋の妖怪、と呼んだほうがしっくりくる。
  バンシーはアイルランドとスコットランドの両方でよく知られていて、スコットランドでは「悲しみの洗い手(ザ・リトル・ウオッシャー・オブ・ソロー)」とか「浅瀬の洗い手(ザ・ウオッシャー・アト・ザ・フオード)」などと呼ばれている、日本で言うところの泣き女に該当する妖精だ。流れるような黒髪、火のように赤い目をして、緑の服の上に灰色のマントを羽織っている。
  このバンシーが有名なのは、死者が出る家のそばに現れ、泣きながら死の近づいた人間の衣服を洗う、といわれていることだ。実際アイルランドではバンシーが川のほとりで嘆き悲しむ声がしばしば聞かれているとも言う。幾人かのバンシーが一緒に泣き叫ぶときは、偉大な人か、聖なる人の死の前触れである。もし彼女をつかまえて離さずにいれば、死ぬことになっている人の名前を教えてもらえるし、その上、三つの願いごとを叶えてもらえる。
  そんなアイルランド及びスコットランド原産のこの妖精は、もちろん高ノ宮市にも生息していた。なにしろ全世界の9割強の妖精・妖怪・怪物エトセトラが生息している、と言われるこの町のことだ。正確な生息地域や生息数は定かではないが(そしてそれを正確に把握することに意味もないが)、たいていの人間が思いつくような超常生物は生息しているものである。
  そのうちの一人(?)がこの、目の前に居てひたむきな眼差しを比呂へと注いでくる『彼女』なのだった。
  わたし、と『彼女』はあくまで上品に、清楚にぎゅっと組んだ両手に力を込め、見た目だけはあくまで人間の年頃の娘たちと変わらぬ可憐なしぐさでコクリと首をかしげた。

「わたし、あの………比呂さんに相応しい淑女になれるよう………努力しますから………」
「いや、そういう問題じゃないんだが」
「それとも………わたしでは比呂さんに………相応しい淑女にはなれませんか………?」

 言いながら自分で悲しくなってきたのだろう、ポロッ、と『彼女』は大きく開いた真紅の瞳から涙をこぼした。続けざまにポロ、ポロ、ポロ、と後から後から涙があふれてくる。
  それと同時にザワリ、と『彼女』の豊かな黒髪が風もなく不穏にざわめいたのを見て、比呂は慌てて両手と頭を同じリズムでぶんぶんと振った。

「いっ、いやっ、そういうわけじゃないんだけどっ!!」
「でも………比呂さん、お困りですわ………」
「そのっ、なんて言うかほらっ、そうほらっ、驚いたんだなっ、うんっ!!」

 作り笑いまで浮かべて必死に言い募る比呂に、「そうですか………?」と『彼女』は嬉しそうにほんのりと頬を染めてはにかんだ。同時に風もなく蠢いていた『彼女』の黒髪がゆっくりと動きを止めてゆくのを確認する。
  ほぅ、と安堵のため息を吐いて比呂は額ににじんだ汗をぬぐい、けして座り心地が良いとはいえないカフェテリアの椅子に深々と体を預けた。周囲から遠慮呵責なく向けられる視線が痛い。

(恨みますよ、羽都実さん………)

 従兄の真嶋羽都実(まじま・わつみ)に内心で恨み言を言い募ったところで、本人には責任の無いことである。一週間前、目の前の『彼女』が羽都実の死を予言して泣いていたのを、咄嗟に捕まえて彼を死なせまいとしたのは比呂自身だ。
  もっとも予定外だったのは、それで『彼女』が比呂に一目ぼれをしてしまい、あの日以来ところかまわず姿を見せるようになったことだ。それだけならまだ良いかも知れないが、ほんの少しでもつれない素振りを見せれば、先刻のようにぽろぽろと泣き出す。
  バンシーは死を予言する。一般的にはバンシー自身には死を招く力はない、とするのが通説だが、中にはバンシーの泣き声を聞くと死の床に就く、とする伝承も存在するとおり、実際には何がしか、死を招く力も持っているのではないか、とするのが高ノ宮市の学者の通説だ。
  そして比呂は確かにその通説はある部分正しいと感じていた―――――つまり、『彼女』が泣き出すたびに周囲で気分を悪くしたり突然昏倒したりする人間が続出すれば、どんなに愚かであっても何らかの関連性を見出さずには居れない、と言う部分で。それでなくてもさすがは本職(?)の泣き女、『彼女』の泣き声ときたら確かに悲哀に満ちたトンデモナイ代物なのだ。
  さらに言えば『彼女』は本格的に泣き出すと、伝承のバンシーにある通り二目と見れぬ醜い老婆の姿に変化し、抱きしめて頬にキスをしてやるまではそのまま大声で泣き喚くのだ。その姿もまた常人の心臓にはよろしくないらしく、現在までに構内で片手に余る人間がばたばたと意識不明に陥っている。
  おかげで比呂は『彼女』に一目ぼれをされてからこっち、どうにもしなくて良い苦労をしているのだ。
  これはある意味、脅迫とは言わないだろうか、とまた深い深いため息を吐く。これがバンシーではなく普通の人間の女の子であればまた状況は違っただろうが、あいにく現実はどうにも覆らない。まして平素であれば極上の美少女であるだけに、比呂の苦労は周囲の人間の理解もなかなか得られないのだ。
  またひたむきにうっとりとした視線を向け始めた『彼女』をどうするべきなのか、比呂は再び答えの出ない悩みに沈んでいった。

 

 

 一生コレに付き纏われるのであろう己の運命にどこかあきらめを感じた、それは22歳の夏の出来事。


.....fin.






今現在蓮華が一番気になっているのは、

この二人がその後どんな関係になったのか、と言うことです(無責任)

バンシーの解釈は著しく自分流ですので悪しからず。

でも、死を予言するのも死を呼ぶのも同じだと思いませんか?

そんな気がします。


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