home
判らない語句はこちらから検索→  
writing fun connect renka
novel poem word&read juel chat mail profile book





086.クラスメイト



 この街で暮らしていくには、守るべきいくつかの重大な決まりごとがある。
  別に燃えるごみを木曜日ではなく金曜日の燃えないごみの日に出そうが、粗大ごみを夜陰にまぎれて道端に放り出して行こうが、そんなことはひどく些細な出来事だ。それを片付ける役目を帯びた者のこと、そしてそれによって重大な迷惑を被るであろう住人のことを思えば確かに許されない行為だが、言ってしまえばそれは取り返しのつく出来事である。
  だがこの街で暮らしていくならば、絶対に守らなければならないいくつかの重大な、破れば二度と取り返しのつかないような決まりごとがある。それは明文化されてもいなければ、住人たちにはっきりそれと判る形で理解されているわけでもないが、間違いなく守るべき決まりごとなのだ。
  例えば、友人がいきなり『自分は世界の王だ』と言い出しても一笑にふしてはいけない、と言うことであったり、近所の沼で河童が酒盛りをしている最中に声をかけてはいけない、と言うことであったり、隣の家に暮らす家族が明らかに人間ではない『何か』であったとしてもその事についてこだわってはいけない、という事だ。さらに言えば飼っている犬が実は犬ではなかったとしても、ある日突然冷蔵庫がしゃべりだしたとしても、そんなことを気にしてはいけない。
  それはよく言われる『無関心』とまた違う、この街に生きる住人たちの共通認識である。例えば隣家が宇宙人だったとして隣人付き合いに何の変わりがあろうはずもなく、庭で惰眠をむさぼる犬が実は妖怪だったとして本人(本犬?)が満足ならばそれで結構なことであり、つまりはそういう事だ。逆にその程度のことでいちいち神経を患っているような人間では、到底この街では生きていかれない。
  この街の住人はもちろん千差万別あるにしても、揃って言えているのはその神経が豪胆にして柔軟。何が起こっても、驚きはしても拒絶はしない。訝りはしても否定はしない。さすがは外部のあらゆる非常識を常識とする高ノ宮市民、と言える。
  ―――――そして麻績茂弘(おみ・しげひろ)たち教育者が求められているのは、正しくその感覚を子供たちに身に付けさせること、なのだったが。

「あ〜………上林(かんばやし)よ」

 幾度目かのため息と共に茂弘はガリガリと頭をかき、ぶすくれた様子で椅子の端を掴み座り込んで黙りこくる上林和明希(かんばやし・かずあき)を促した。もはや聞き飽きたのだろう、その声にほんのわずかすら反応しない和明希にまた大きなため息を吐く。
  はっきり言ってこっちの方が言い飽きた、と訴えたい。だがもちろんそんなことを許されるはずはないので、茂弘はまた漏れかけたため息をぐっと堪えた。

「そろそろ理由を言う気にはならんか」
「ならない」

 その言葉だけは脊髄反射のように返ってくるのだが、相変わらず和明希の視線は斜め横の床を睨みつけたままだった。事態が少しも進展していないことに、堪えていたはずのため息が気付けば盛大にこぼれ出す。
  そもそも茂弘が小学校教諭免許を取ろうと思ったのは、言ってみれば「取れる状況にあったから」だ。学生時代空手選手として活躍していた茂弘は、その華々しい経歴ゆえにある程度の単位を免除してもらえる立場にあった。その立場は大いに利用させてもらったものの、企業契約をしてまで空手を続ける意思はなく、何か資格でも取っておこう、と思っていざ自分の単位を確認してみれば、免除されている部分も含めて幾つか講義を追加で受ければ小学校免許が取れた。だから取った、それだけの事だ。
  これは高ノ宮市内に限ったことではないが、男性の小学校教諭と言うのは存外不足している。ましてや体育を専門とする教諭は非常に貴重で、茂弘は運よく採用された後に配属されたこの式利小学校で随分と歓迎されたものだ。この業界(?)では力仕事にしても何にしても、男性労働力、と言うのは珍重される。
  だがもちろん、この特殊な環境化にある高ノ宮市の小学校勤務が、それだけで済むはずもない。幸いにして授業は体育専門教師として各学年の体育のみを行えるが、逆に同じことを何度でもやらねばならないのが多少苦痛でもあった。
  それに何より、担任を持たされることになって直面した、子供たちのメンタルケア、という部分が茂弘にはなかなか強敵だったのだ。

「だがな、上林よ………黙りこくって何の理由もなく弓削(ゆげ)を殴りました、で通るわけがないだろう」
「…………」
「理由があるはずだな、ん?」
「…………」

 学生時代の彼からすれば恐ろしいほど忍耐強く、茂弘は幾度目になるのか判らない言葉を繰り返した。和明希相手だけではない、和明希と一緒に弓削淑子(ゆげ・よしこ)をいじめていた他の3人にも同じことを繰り返したのだから、それこそ気が遠くなりそうだ。
  弓削淑子は『適応プログラム』対象者である。『適応プログラム』とは通称で、正式名称は茂弘も覚えてはいないが、簡単に言えば市役所の移転課による高ノ宮市への生活適応計画を受けている者、と言うことだ。一般的に、それには異世界からの移住者が対象とされている。
  高ノ宮市では積極的に異世界からこの街に移住を希望するモノを受け入れていた。それは異世界からの移住希望者を専門に扱う移転課が存在する、と言う事実でもよく判る。外部では移住を受け入れるどころか、どうかすれば異世界の存在すら認めていない人間が多いと聞くが、茂弘には想像もつかない事だ。実際茂弘の友人にだって数人の『適応プログラム』対象者なり、対称家族に育ったものなりが存在するのだから。
  彼らが一体何を求めて高ノ宮市への移住を希望するのか、それは千差万別の理由がある。共通するのはたいてい、多くのモノはその理由を口にしたがらない、と言うことだ。それはもちろん、世界すら違えて故郷を捨てようと言うのだから、よほどの理由があったに違いない、とは推察できるが。
  問題の弓削淑子もそのうちの一人だ。半年前に兄と二人で世界を渡り、この街への移住を申請した。『適応プログラム』の期間は人にも寄るが、まだ精神の幼かった彼女は比較的この街や世界への適応も早く、兄より一足先に最終段階に入った―――つまり、実際に移転課から割り当てられたこの世界での名前を使って、市民たちの間にまぎれて生活を送る訓練に。
  本来の年齢は4歳だが、知的レベルや精神的レベル、彼女が元々住んでいた世界の社会の年齢構成などを鑑みて、小学校2年生程度が適当であろう、と判断され茂弘のクラスに編入となったのはつい先日。その時点で学校長及び担任の茂弘の元へは、移転課から彼女の詳しいデータが送られてきた。元の世界での生活習慣や思考癖、行動癖、文化、常識、その他読むだけでも頭が痛くなる分厚い書類だ。もっとも、『適応プログラム』対応中のモノを受け入れるには当然知っておかねばならない事柄ではある。
  そうして案の定と言うかなんと言うか、弓削淑子への暴力行為が認められた本日、なのだった。
  イライラと茂弘は足踏みする。本来彼の性分としては、理屈など抜きにして『駄目なものは駄目だ』と頭の一つでもポカリとやって教えてやりたいところだ。また、それが一番良い方法だ、と思う。下手な理屈をこねるよりは、理屈抜きにやってはいけない行為があるのだと―――――例えば誰かを傷つける行為が何故いけないのか、説いて教えるよりは理屈抜きに恫喝して教え込む方が、特に小学2年生という年頃ならまだ親切ですらあると思う。
  だがそう出来ないのが教員の辛い所だ。しかも保護者の学校側への視線は年々厳しくなっている。そのくせ比例して共働き家庭が増え、学校の子供へのそういったメンタル教育への期待まで高まっているのだから、一体どうして欲しいのだ、と暴れ出したくなるのは何も茂弘だけではない。
  茂弘の苛立ちが伝わったのだろう、和明希がビクリと体をすくませ、椅子の上で居心地悪くもぞもぞ尻を動かした。せわしなく視線がきょろきょろと動き出す。
  丁度良い頃合か、と茂弘は努めて声を低め、唸るように言葉を紡いだ。もちろん、それが相手に与える印象をよく判っての事だ。案の定、ビクッ!と背筋を伸ばした和明希に内心にんまりとほくそ笑む。

「上林よ。お前、クラスの連中に『弓削は気に入らない』と言い触らしてたな」
「………ぃ」
「きっちり返事をせんか!」
「はいっ!」
「よぉし………上林、弓削の何が気に入らんのか、先生に言ってみろ」
「………顔に変な模様があるし………あの………目が三つあるし………俺らと違うから………」
「ほぉ。そうするとお前は、先生と違ってヒゲが生えてないから先生に殴られても文句は言わん、と言うわけか」
「え………ッ!?」
「どうした、弓削がお前と違うから殴ったんだろう。先生に殴られても文句は言わんな?」

 言いながらパキ、と拳を鳴らすと、たちまち和明希は半泣きになって顔をくしゃくしゃに歪め、怯えたようにぶんぶんと首を振った。もちろん本当に殴ったりしたら保護者からクレームがつくから脅しだけだったが――――場合によってはこれすら保護者からのクレーム対象になると言うのだから、まったく面倒な世の中になったものだ、と思う。
  今にも泣き出さんばかりに怯える和明希を睨み、すぅ、と息を吸い込んだ。大音声で怒鳴りつける。

「お前はバカかッ!!自分がやられて嫌なことを他人にするなッ!!自分と違う位が何だ、それでお前に弓削が迷惑をかけたか!?自分と違う所がある相手は全員殴って回るのか!?お前は今そう言ったんだぞ!!恥を知れ!!」
「はい……ッ!」

 直立不動で、ついに泣き出しながら大声で返事をした和明希に、どちらかと言えば肩の荷を降ろせた、という印象も強く、茂弘は大きく一つ頷いた。―――――何しろ彼にはこれから、今回の問題について市の移転課への説明と弁明が待ち構えている。
  とにかくこの問題をさっさと片付けてしまいたい、そんな気持ち半ばでグチャグチャと和明希の頭をなでてやると、和明希は「ウアー…ァ……ッ!」と本格的に大声を上げて泣き出したのだった。

 

 後日、案の定保護者から名指しで『暴力行為があった』とクレームが来て、彼は頭を抱えることになる。


.....fin.






今回の先生の苛立ちは、イコール学生時代の蓮華の苛立ちだったりします。

ちなみに蓮華は教育学部出身。

その手のニュースが流れるたびにイライラしてました。

じゃあ保護者は学校に何をしろって言うんだ!?と。

教育者は神様じゃないですよ……魔法使いでもないですよ……


∧top∧





top▲