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094.依存



 最近、世の中は単純になりすぎた、と少年少女たちは言う。
  オヤやガッコを黙らせるにはそれなりの成績出してれば良いでしょ、バカなオトナを騙すならイイコの皮を被って時々こびて見せて、友達相手にはテキトーに話し合わせて笑ってりゃ済んで、カレシカノジョ相手にはイッパツやってやれば以上終了。
  ただそれだけで世の中は彼らの思うままに運ぶのだ、と少年少女たちは言う。
  それは、まぁ、結構な事だと田奈麹光輝(たなこうじ・こうき)は正直思っていた。何しろ考えなくて済むのは非常に助かる。元々なんと言うか、自分の頭で考えて自分で決める、と言う世の人間にとってはどうやらひどく当たり前らしい行為を非常に苦痛に感じる光輝には、何も考えずに決まりきった行動を取っていれば良い、と言うのは随分助かった。
  多分生まれたときに母親のお腹の中に、光輝はその辺りの何か、とても重要な要素を置き去りにして来てしまったのだろう。思い返せば昔から光輝は頭がぼんやりとして、何かを考える、と言うことがひどく苦痛だった。判らなくなると言うより、何かを考えようとした瞬間に頭の中が真っ白になって、思考が停止してしまうのだ。
  だから光輝は、本当に世の中それほど単純になったのだら良い事だ、と思っていた。世の中に合わせて、決められた事を決められたとおりにやっていれば、光輝はそれで問題ないはずだった。
  だが今、光輝は重たい心を抱え、一人どんよりとカップのコーヒーをすすっている。コーヒー専門店の名のつくそのカフェは、お世辞を使わなくて済む程度には飲めた味だ。

(疲れた……………)

 決められたことを、決められた通りにやっているはずなのに、どうしてこんなにも頭がぼんやりと疲れるんだろう。それが光輝にはとても不思議だった。とても、とても、不思議だった。
  けれどもそれを考えることすら、光輝にとっては苦痛なのだ。だから苛立ちだけが、溶けない雪のようにずんずんと胸の中に積もって行く。どうして、とそれだけが頭の中にこだまする。
  どうして。一体どうして。
  光輝はちゃんとやっているはずだ。クラスの連中が言っていることにはみ出さないように、忠実に、光輝は行動しているはずなのだ。何も考えず、何も疑問に思わず、ただそれだけを。だから、疲れるはずなどないのに。

「そうかしら」
「……………えっ!?」
「それは本当に、正しいのかしら」

 不意に聞こえてきた声と、その声の告げた内容に光輝はギクリと肩を強張らせ、弾かれたようにコーヒーカップの琥珀色の水面を見つめたままだった顔を上げた。まるで自分の心を読まれたようだ、と思ったのだ。
  恐らく強張っていただろう顔をあげた先に、いたのは赤いルージュが目にも鮮やかな一人の女だった。いつの間に座ったものやら、二人がけのテーブルの正面に当然のように腰掛け、その前にはまだ湯気の立つコーヒーカップがいかにも当然のように鎮座していた。
  ややくすんだ若草色のロングセーターから伸びるベージュのスラックスに包まれた足は、格好良く組まれている。本来ならそれはひどく行儀の悪いことのはずだったが、その女がやっている様子はまるで、いかにも王侯貴族の礼儀作法のように見えるのが不思議だった。
  その圧倒的な存在感に、光輝はぐぅ、と喉の奥で空気を飲み込んだ。何も言えなくなる。もっとも、何を言いたかったのかすらも判らなかったが。
  女はにっこりと微笑んだ。

「ちなみにね、私はある部分では今でも、それは正しいと思っているのよ。理屈抜きに、何も考えず決められたことに従わなきゃいけないこともあるもの。それを個性の喪失とか何とか、問題視したい人間が勝手に議論して結論を出せば良い事だわ」
「……………」
「でもそれって、結局は結果論なのよ。『今』を解決するのには一ミリグラムも役に立ちやしないわ。せいぜい、頭の中のメモリーを無駄に使わされるくらいでね」

 いいながら優雅にコーヒーカップに口をつける女に、幾らぼんやりとした光輝でも不審なものを感じてかすかに眼をすがめ、わずかに女から身体を引いた。ここは天下の高ノ宮市だ、相手の心を読む能力を持つ人間が居たところで不思議でもなんでもないが、いきなりであればやはり不気味であることに変わりはない。まして古今東西、こんな風に親しげに話しかけてくる相手は必ず裏がある、と相場が決まっているものだ。
  だが女は、光輝のその反応すら予想していたようで、わずかな動揺も見せないままコーヒーカップから口を離し、カチャ、と優雅にソーサーに戻した。それからゆったりと腕を組む、その仕種になぜだか妙に覚えがある。
  誰だったか、光輝が思い出そうとするよりも早く、女が笑った。

「多分、あなたの知り合いじゃないかしら。戸崎詠歌(とざき・よみか)は知っているでしょ?詠歌のほうは少なくとも貴方を知ってるわ。まだ記憶が定着してないから細かい所までは思い出せないけれど」
「……………ああ」

 光輝は頷いた。2年先輩の、生徒会の副会長を勤める少女だ。光輝は厳選なるくじ引きの結果クラス委員に指名されていて、月に一回の生徒会の定例会議で詠歌と顔を合わせていた。と言っても一方的に眺めているのが殆どだったが。
  だが、のんびり頷いている場合ではない、と思い出す。この女は、心を読まれるぐらいならまだいいが、言動がどうにも危険だ。そういう輩には出来るだけ近づかない、と言うのが光輝の唯一にして最大の防衛哲学だった。
  そろり、と視線を動かして足元に置いた鞄を確認する。体の右下方向だ。立ち上がると同時に右手で鞄を引っつかみ、左手でコーヒーのトレイを持って逃げるしかあるまい。それで上手くいくものかどうかも判らなかったが、それ以上考えるのは苦痛だった。
  だが実際に行動を起こす前に、あら、と女が声をあげた。

「確かに私は怪しさ満点だと思うけれど、そうするとあなたもってことよ?だって私はあなたで、あなたは私なんだもの」
「あの、俺、宗教は間に合ってますから」
「でしょうね、私もだもの。あのね、どうせ理解できないだろうから割愛するけれど、私は別の世界の住人で、私の世界における私の場所が、この世界におけるあなたの立っている場所なわけ。だから私はあなたで、あなたは私。私が自分ならどう考えるか考えれば、あなたが何を考えてるかは判るものなの。ね、解らないでしょう?」

 まったくその通りだったので、光輝は立ちかけた中途半端な姿勢のままあいまいに頷いた。だが一つだけ理解する。この女は、この世界の住人ではない。それは彼女に、この世界の、光輝が知っているところの理だの常識だのと言うことを求めるだけ無駄だ、と言う事だ。不思議な言動はきっとそのせいなのだろう。
  女が、優雅に笑った。

「ま、それでさっきの話なんだけれど。結局あなたはね、何も考えないと言っているけれど、決まりきった行動をとらなければいけない、と常に考えているのよ。だから疲れるの」

 次に言うべき言葉、言うタイミング、ここは笑うべきタイミングなのか、そんなことをいつもいつも考えている。だから疲れるのだ。そう言って微笑を浮かべ続ける女に、何も光輝は返せない。それが正しいのかどうかすら、考えたくはなかった。
  だから最初の予定通り、鞄とトレイを引っつかんで立ち上がり、そそくさと女に向けた背中に、何もかもを理解したような女の声がかけられる。

「いつか、それを理解した時に助けが欲しいと思うでしょう。そのときには私の名前を呼んでいいわ。私であるあなたのために、私の名前を呼ぶことを一度だけ許してあげる」

 私は沢渡玲菜(さわたり・れな)と言うのよ。
  あくまで理解の出来ない言葉を紡ぎ続ける女に、光輝は何も言葉を返さないままだった。

 

 彼の世界が変わるのは、一人の少女と出会ってからのことである。


.....fin.






いや、本当に、今振り返っても何を書きたかったんだ自分、と。

多分最後辺りに玲菜が言ってたことが書きたかっただけなんだと思われます。

うん、良く判りませんな。

彼女の苗字は《界渡り》一族の特徴でもあります。

彼女個人の名前ではなくて、一族としての名前なのですね。


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