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095.寝不足



 ふわぁ、と少女は大きなあくびをして、両腕で膝を抱えなおした。もう随分と長い間、少女はそうしてうずくまっていた。うずくまったまま、何をするでもなく、ただ流れ続ける時間に耐えかねてしょっちゅう大きなあくびを繰り返しながら、とろりとまどろみそうなまぶたを必死に持ち上げていた。
  眠たかった。本当に眠たかった。もう、眠りたかった。
  戸崎詠歌(とざき・よみか)それでも必死にまぶたを持ち上げ、半分はぼんやりとかすんだ視界で虚空を睨みつけた。もう眠たくて、目の前に何があるのか判らないのだけれども。
  そこは静かな空間だった。深々と降り積もるような静けさは、詠歌の意識に巣食い強烈な存在感を誇示し続ける眠気を刺激するには十分すぎた。そこにじっとうずくまり、自分を守るように膝を抱えている詠歌の姿は、白とも黒ともつかないその空間の中で異彩を放っていた。
  いつからここに居るのか判らない。ここはいつまでも変化がない。いつまでここに居ればいいのかも判らない。それでも詠歌は、ここに居なければならない。
  ぎゅうっ、ともう一度膝を抱えなおして、もぞもぞと詠歌は身じろいだ。ものすごく眠たかった。抱えた膝の上にことんと頭を落とせば、すぐにでも眠りのふちに引き込まれてもう二度と戻ってこれないかもしれない。その、引力とでも言うべき強烈な衝動に耐え続ける事は、詠歌にとって拷問にも等しいことだった。

「―――――もう、眠ればいいのに」

 ことん、と。
  変化のなかった世界の中に、そんな声がいきなり沸いた。あまりの眠さにもはやまともに思考することも難しい詠歌の頭にもその言葉は届いた。聞き覚えの無い声だった。
  詠歌はコクリと首をかしげながら、ほんのわずか覚醒へと傾いた意識を叱咤し、目の前の空間へ焦点を合わせる。ぼんやりと、少年の像が見えた、気がした。詠歌と同じくらいの年恰好をした少年。
  いぶかしむ視線に、少年の方が困ったように軽く首をかしげ「僕がわからない?」と柔らかく言葉を紡いだ。ぼんやりと詠歌は頷く。その返答によって少年が傷つくかもしれないとか、そんな配慮をする余裕は、睡魔と闘い続ける詠歌の中にはない。
  だが少年は気にした様子もなく、そう、とやっぱり困ったように呟いた。そこで初めて詠歌の中に、悪いことをした、と言う感情のカケラが浮かんだが、形にはならない。浮かぶ端から眠気が打ち勝ち、結局詠歌の中には何も残らない。
  ぎゅっ、と膝を抱く腕に力を込めた詠歌の横に、すとん、と腰を下ろして少年はニコッ、と小さく笑った。

「じゃあ、初めましてだ。僕は月羽(つきは)。界王の鍵だよ―――――詠歌と同じ」
「……………同じ?」
「それも思い出せない?黒栖(くろす)のことも?」

 月羽と名乗る少年の言葉に、ふわぁぁぁ、と大きなあくびを一つして頷いた。言われた言葉が何かを指す音だと言うことは何となく判るけれども、一体何の事だか判らなかった。
  そう、と月羽が眉を初めてひそめ、けれどもあまり困っていないような顔で、困ったね、と呟いた。それから詠歌と同じように膝を縮めてぎゅっと両腕で抱き、ことん、と膝の上に顎を乗せる。

「思い出せないのに、詠歌はどうして眠らないの?」
「―――――私は眠っちゃいけないのよ」
「どうして?」

 月羽の言葉に、どうしてだろう、と詠歌は考えた。けれどもぼんやりとした頭ではなかなか考えがまとまらず、ただ頭の中をこだまのように、どうして、と言う言葉だけが響き渡る。
  しばらくして、でも、と頼りなげに詠歌は繰り返した。

「私は、眠っちゃいけないのよ」

 ふわぁ、とまた大きなあくびをしながらかたくなにそう繰り返す。眠ってはいけないのだ。それが詠歌の役目だから。
  でも一体それが何の役目だったのか、判らないまま大きなあくびを繰り返す詠歌に、そう、と月羽は頷いた。それから膝の上に預けた顔をコクリとかしげ、柔らかな微笑を詠歌へと向ける。
  注がれた視線はまるで、子を見守る母のようだった。

「少し、眠れば良いよ」
「でも……………」

 魅力的なその申し出に、詠歌は、けれどもゆるゆると首を振った。どうしてだかは判らないけれども、詠歌は眠ってはいけないのだ。ずっと起きていなければならないのだ。それだけは確か。理由は判らなくても、それだけは絶対に確か。
  だが頑なな詠歌の様子に、ゆらり、と月羽は微笑んだ。

「僕が代わりに起きているから。それなら、大丈夫でしょう?」
「でも」
「ほんの少しだけだよ。大丈夫、僕がちゃあんと起こしてあげる。そうしたら、また起きていれば良いんだよ」
「……………でも」

 何を言われているのかよく判らない。月羽が言っていることが正しいのか間違っているか、それすら詠歌には判らない。
  判っているのはたった二つだけだ。詠歌は、ひどく眠い。そして詠歌は、ここで起きていなければならない。―――――でも、どうして起きていなくちゃいけないのだった?
  とろ、と月羽の声に誘われるようにまぶたが重たくなり始める。それに必死に抵抗しながら、眠っちゃいけないのよ、と詠歌は心の中で繰り返した。眠っちゃいけない、起きていなくちゃいけない。それが詠歌の役目なのだ。どうしてだか判らないけれども、それが詠歌の大切な役目なのだ。だから絶対に、眠ってはいけない。
  だが詠歌の意志とは裏腹に、詠歌の両のまぶたはどんどん重くなり出して、今にも完全に閉ざされてしまいそうな風体だった。その、最後のギリギリのところで堪えている詠歌に、眠れば良いんだよ、と彼は柔らかく囁く。それはまるで、子守唄のような響きを保って詠歌の中に落ちてくる。

「僕がちゃんと起きていてあげるから。だから君は、眠って良いんだよ。もう眠って良いんだよ……………」

 その囁きに、ついに抗し切れず、こくり、と詠歌の首が舟をこいだ。ゆら、と身体が揺れて月羽の体に崩れるようにもたれかかる。
  ずしりと重く身体を預けてきた詠歌の、スー、スー、とあっという間に引きずり込まれた穏やかな眠りの吐息を聞いて、月羽は静かな笑みを漏らした。

「もう、眠って良いんだよ、詠歌……………僕と黒栖が『あの方』を迎えるまで、君は眠っていて良いんだよ……………」

 その言葉はまるで呪文のように、空間の隅々まで染み渡った。

 

 少女の眠りが破られる日は、今はまだ果てしなく遠い。


.....fin.






こういう、本当に何の意味もない話を書くのは実は大好きです。

妙に意味ありげな話、というか。

作中に出てくる《界王の鍵》にまつわる話はまだ書いておりませんが、

《界王》自体は《先手必勝》《不意打ち》で出てきてます。

《あの方》について識りたい方はこの連作のラスト《好きな人》を待て!!(をい)


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