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097.晴天



 空高く、雲ひとつないうららかな日差しの中で、ゴロン、と芝生の上に身体を投げ出して寝転がるのは気持ちがいい。幾ら芝生の上とは言え地面に寝転がるなんて、と眉をひそめられる事だってあるけれども、それらを差し引いたって格別に気持ちがいい、と思う。
 うららかな日差しの中でうとうととまどろめば、ようやくやってきた春の息吹を感じることが出来る。燦々と照りつける日差しを遮る木陰であれば、今を盛りと燃え上がる夏の情熱を肌で感じる。赤焼けた日差しの中に、やがて来る冬の気配を感じる。
 神楽李々子(かぐら・りりこ)は昔からそういう気配にはひどく敏感な子供であったから、神社の境内から少し外れたなだらかな丘陵の肌に植えられた芝生の上に寝転ぶのは、そういった気配を肌近くに感じることが出来てとても好きだった。そうしてうとうととまどろめば、自分が世界と一つになったような錯覚すら覚えた。
 だから、大きくなってもう高校生にもなる今になったって、ふ、と息をつきたい時には神社からこっそりと抜け出して、この丘陵までやってくる。そうしてごろりと寝転がり、丘陵の裾辺りから広がる街並みを見つめながら、とろりと落ちてくるまぶたに引きずられるように眠りに落ちる。
 神楽、という彼女の姓が示すとおりに、彼女は高ノ宮市内に幾つかある神社のうちの一つ、神輿神社の縁類に当たった。といっても本家筋と言うわけでもない。神輿神社は昔から一貫して宮司ではなく禰宜(ねぎ)を最高神職とする伝統があり、現在この神社の禰宜を勤めるのは李々子の伯母である。そして神楽家の血を引く娘は伝統的に巫女として神輿神社に仕えるのだ。
 現在禰宜である伯母がそうであった様に、李々子もまた物心ついたときには神輿神社で、時間さえあれば伯母から手解きを受けながら祭神に仕えてきた。神輿神社の祭神は秋津皇乃比売神(アキツスメラミコトノヒメノカミ)。正統の神道の神ではないけれども、有名なアマテラスやその父イザナギなどよりも遙かな昔から秋津島を護り、実りを与え続けてきた比売神だという。代々神輿神社を護るのが女のみという伝統も、祭神が比売神という部分に根ざしているらしかった。
 まぁ、高ノ宮市の事だから、多少万人は知らない神々が奉られていた所で不都合はないのだろう。第一神道の神は『八百万(やおよろず)』という通り、数え切れないほどあらゆる事象に神を見出す文化から来ている。その中に知られない神がいたとして、何の不思議があるだろう。
 そういう、世界の根幹に関わるような不思議な話を聞くのは、李々子は好きだった。それだけなら伯母の後を継ぎ、神輿神社の禰宜になってもいい、とすら思う。勿論そのためにはちゃんと専門の学校に行かなければならないようだが、そういったところなら伯母に聞くよりももっとたくさんの、不思議な物語が満ち溢れているに違いない。
 だが―――――李々子は袴姿のまま行儀悪く芝生の上に寝転がり、雲一つない青空を見上げながら、大きな大きなため息を吐いた。ここしばらく、李々子はその事で伯母と幾度も険悪な言い争いを繰り返している。今もまた、そんな言い争いから逃げ出してここに一息つきに来た所だった。

「李々子?」
「……………乃々子」

 幾度目になるかもしれない大きなため息に、呆れたようにかすかな笑いを滲ませながらひょい、と上から逆さまに覗き込んできた少女の名を、李々子はため息と、かすかな安堵と共に呼んだ。にこ、と呼ばれた少女が笑う。
 神楽乃々子(かぐら・ののこ)。李々子の一つ年上の従姉だ。乃々子もまた神楽家の娘として、物心ついた時から神輿神社に仕える巫女である。そう年も変わらないせいなのか、何故だか李々子と乃々子は顔立ちがよく似ていて、しまいか、どうかすれば双子と間違われることもしばしばだった。
 李々子と同じ袴装束に身を包んだ乃々子は、けれども李々子とは違って長い黒髪をきっちり二つに分けて結び、少女らしい快活な笑顔を浮かべている。そうして芝生に寝転んで四肢を投げ出している李々子を見下ろし、しょうがないなぁ、という表情になった。

「なかなか戻ってこないから、伯母様が心配しているよ」
「は?冗談でしょ。伯母様が心配してるのはどっちが神輿神社を継ぐのかってことだけじゃない」

 たった今も、それで大喧嘩をしたところだ。その伯母が李々子のことを心配などするはずがないし、したとしても神社の跡継ぎが損なわれることを心配しているのに決まっている。
 そう毒づいて吐き捨てた李々子に、アハハ、と乃々子は明るく笑った。

「ほら、伯母様もミイちゃんがああなって気が立ってるんだよ。それに李々子はわたしと違ってよく出来るもん。伯母様も期待してるんだって」
「……………神楽舞は乃々子のほうが得意でしょ」

 はぁ、とため息をつく。正確に言うなら、神楽舞を舞えるのは乃々子だけだ。立場上、伯母が舞うのは禰宜舞だし、同じく神楽舞を教え込まれた李々子には生憎その手の運動神経は備わっておらず、いまだに所作もろくに覚えていない。この調子では、禰宜になろうとしても禰宜舞で躓くのは目に見えている。
 ならば乃々子が禰宜になれば良いようなものだが、生憎、乃々子は李々子と違って神社の由来や細々とした社是、儀式などを覚えられないのである。時々伯母が『二人を二で足したら丁度良くなるのにねぇ』と愚痴をいうが、それは所由あってのことだった。
 神楽舞しか出来ない乃々子と、祭事を覚えることしか出来ない李々子。二人を天秤にかけて、伯母は李々子に神輿神社を継いで欲しい、と定めたらしい。お陰でここしばらく、李々子への風当たりがきつくなっていた。言うなれば、今までは様子見をしていたのが、ようやく跡継ぎ教育に本腰を入れ始めた、と言うところか。
 はぁ、と李々子はまた、青い空を見上げてため息を吐く。

「ミイ君があんなバカな真似しなきゃ、あと少しは気楽だったのに」
「うーん」

 李々子の愚痴に、乃々子がちょっと困った顔になった。ミイ君こと神楽御琴(かぐら・みこと)、彼女たちの従兄弟であり伯母の一人息子である彼が、伯母の言葉を借りれば『道を踏み外した』のはもう半年ほど前の事だ。あまり学校にも行かなくなり、ジャラジャラとシルバーアクセサリーを過剰につけて、滅多に家にも帰ってこず盛り場をうろうろとしているらしい。学校は勿論、警察に呼び出されたことも一度や二度ではなかった。
 伯母の、李々子と乃々子への期待が過剰になったのも、丁度その頃だ。時として焦燥すら感じさせる態度で、伯母は李々子と乃々子の教育に熱を入れだした。それは多分、息子に対する情熱がそのまま姪たちへの情熱に摩り替わったのだろう。
 はぁ、とため息を吐く。その様子に、乃々子がもっと困った顔になる。

「――――ミイちゃんにも色々あるんだよ」
「……………ん」

 李々子は頷く。それは乃々子に言われるまでもなく、何となく想像がついたことだった。
 今ほどではなかったとは言え、伯母は昔から、李々子と乃々子に対する教育を御琴へのそれよりも優先させる嫌いがあった。勿論それは、御琴よりも姪たちの方が可愛かった、と言うわけではない。だが結果的にそう取られても仕方のないほど伯母の態度はあからさまで、折に触れてそれを見せ付けられた御琴がそのたび複雑な表情で母と従姉妹を見比べているのを、李々子も何度も目撃していた。
 そう思い返してみれば、御琴の変化の理由も知れるというものだ。いまだに気付いていないのは恐らく、当の伯母本人ぐらいのものだろう。だから御琴を恨みに思うのはまるっきりの筋違いなのだと、わかってはいるけれど。

「でも、やっぱりミイ君が、せめて相談でもしてくれれば良かったのに」

 同い年の従弟のことを、李々子は親しい友人のようにも、弟のようにも思っていた。だから、その御琴が自分に一言の相談もなく態度を急変させてしまったのが、ひどく悔しい。
 けれども、同時に思うのだ。自分が御琴の立場だったら、やっぱり何も言わなかっただろう。言うなれば李々子にも御琴の不満はあったわけで、そのことを当人に直接言うなど正気の沙汰じゃないと思う。だからやっぱり、何も言ってくれなかったのは、仕方のないことなのだ。
 それでも―――――いつまでも堂々巡りをする思考を抱えながら、李々子は再び雲ひとつない空を見上げ、大きな大きなため息を吐いた。




 けれどもやがてこの丘に、二人の男女がそろって空を見上げる姿が戻ってくる。


.....fin.






本当に書きたかったのは幼馴染ラブです。

思い返してみると、蓮華は随分神社モノを書いていますね。

寺モノは実は一つしかなく、それも〈寺の娘と居候〉という設定だけ、という。

それを言い出すと、実は教会モノは別話でどっぷり書いていたりもします。

………知識とイメージの問題か?


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