home
判らない語句はこちらから検索→  
writing fun connect renka
novel poem word&read juel chat mail profile book


 

世界の夢を見る朝(あした)


第八話 イレイズ 1


 突然だが、ハルシュの町には路面電車が走っている。一番最初、雄維が乗っていたあの電車だ。汽車とも電車ともつかないが、雄維には厳密な区別もわからないので、とりあえず電車で統一してみたい。
  一体どういう仕組みになっているのか、雄維は乗るたびに確かめてみようとするのだが、いまだにその正体は定かではない。第一仮にも『夢の国』と称する町に路面電車って、と思ったりもするのだが、案外レトロな外観が町並みに馴染んでいたりもする。
  この路面電車は、とりあえずは普通の電車とそう代わりはない。今日び路面電車を目にすることの出来る地域は『現実』では少ないが、それほど珍しいというほどでもないので、雄維も一応どういうものかと言うイメージはあるが、まさにその通りの路面電車だといっていい。つまり、バスと電車の合いの子のようなものが、道路に敷かれたレールの上を走っている。
  正確な路面電車の認識なのかどうかはともかく、雄維にとって路面電車とはそう言ったものであり、この街を走る路面電車はまさにそのイメージどおりのものだ。ちなみに雄維をはじめとする高ノ宮市民の多くは、どちらかといえば電車よりも基幹バスのほうが馴染み深く、その印象にイメージが左右されたことは否めない。
  いずれにせよこの町を走る路面電車はそう言ったものであって、そしてこの町にある交通機関はそれですべてだった。さすがにバスとか車とかバイクとかいった物はこの町には存在しない。これも不思議といえば不思議だが、路面電車が走る町にもかかわらず、雄維はこの町に来てから、路面電車以外に車輪のついたものを―――――たとえ手押しの一輪車であっても―――――見た覚えがなかった。
  路面電車は、瑪瑙の話すところに拠ればこの町の中心を一直線に東西へと突き抜けて走っている。雄維が夢見が丘から見おろしてみたところにも、実際に乗って体感したところによっても間違いない。感覚というのは案外狂いやすいものだから確かとは言えないが、それでも概ね東西に走っていることは間違いない。
  駅は全部で七つ。一番近いところから路面電車の通り過ぎる順番に従って数え上げれば、夢見が丘のふもと駅、クリッパタウン駅、パッツィ商店街入り口駅、エゼッタばあさん家の前駅、ジゼルバイト・ハイネクリエル・タウン駅、よろず屋病院前駅、荒野の出口駅である。これは住人の生活と必要に密接に連動した設置であり、これ以上は必要でなく、これ以下では不便であるベストの数だった。
  もちろん、それぞれの駅に利便性はある。
  クリッパタウンとジゼルバイト・ハイネクリエル・タウンはこの町の主要住民が東西に分かれて暮らすメインベッドタウンで、路面電車の駅はそれぞれのベッドタウンをちょうど団子の串が中心を貫くような要領で置かれている。雄維はいまだお目にかかったことはないが、もしかしたらこの町にも通勤ラッシュや帰宅ラッシュというものがあり、それぞれの時間帯にはこの二つの駅は混雑するのかもしれない。
  パッツィ商店街は勿論、この町唯一にして最大の交易場のことだ。瑪瑙の言うところの『市場』である。店舗として建物を構えて住んでいる住人も居るし、ふらりと町を訪れた行商人が露天を広げていることも多い。この町に暮らすに当たって、大体のものはこの商店街を入り口から出口まで歩けば揃うものだ。年頃の娘ならそこに加えて、よく冷えたシャーベット水やたっぷり蜂蜜を使った飴パンに舌鼓を打つことだろう。
  エゼッタばあさんはパッツィ商店街を通り過ぎてジゼルバイト・ハイネクリエル・タウンに到達するまでのちょうど真ん中、周囲がそれなりに閑散としてそれなりに人も住んでいるあたりに居を構える老婦人だ。だが、彼女の家の前に路面電車があるのは、そこがちょうど良い位置にあるから、という理由だけではない。
  エゼッタばあさんはまじない師であり、占い師であり、魔女であって、言うなればこの町に必要とされる不思議の技の殆どすべてが彼女によって供給されている人物なのである。ゆえにエゼッタばあさん家の前駅は利用者も多い。
  よろず屋病院前駅は説明するまでもあるまい。この病院はこの町唯一の小さな古ぼけた診療所であり、よろず屋、という言葉の響きから想像されるすべてを兼ね備えた胡散臭い病院だが、決して藪ではない、という噂だ。というのは雄維は実際に行ったことはないし、よろず屋病院前駅で降りる住人の姿を見たこともないからだが、それでも重要な駅であることには違いない。
  荒野の出口駅はハルシュの町を取り巻く荒野と砂嵐の壁に唯一うがたれた外界との接点にある。それなら『荒野の入り口』駅とするべきだと思うのだが、実際にはこの駅は『荒野の出口』駅だ。まぁどっちにしたって、この駅の役割は変わらない。ここはこの町に入ってきた人間が初めて通る駅であり、この町から出て行こうという人間が最後に降り立つ駅なのだ。
  そして勿論、夢見が丘のふもと駅は『夢見が丘の番人』こと瑪瑙の住む夢見が丘に用のある人間が降り立つ、閑散としながらもそこそこ需要のある駅だ。必ずしも全員が瑪瑙に用事があるわけじゃないようだが、大体一日に2〜3人は利用している。大体において夢見が丘は、瑪瑙が住んでいなければただの丘といって差し支えのない変哲のない場所なので、まぁそんなものだろう。
  この町に走る路面電車の駅は、今説明したとおり七つだ。これ以上の数を増やそうと思えば路面電車はしょっちゅう走っては止まり、走っては止まり、を繰り返さなければならないことになってしまう。逆にどれか一つでもなくそうと思うと、住人たちは買い物一つにも随分歩かなければならないことになってしまうので、やっぱり具合が悪いのだという。
  その割りに例えば、パッツィ商店街駅ですら路面電車が満員になる、ということは決してなかった。雄維の知る限りこの路面電車はいつも、閑散としていて空席も多かった。そして乗客たちはたいてい重い思いに座席に腰をかけ、ぼんやりと外の景色を眺め続けていたり、宙を見つめていたり、眠っていたりするのだった。
  不思議なのはそれだけではない。というよりそれは、この路面電車の不思議の一部に過ぎないのだが、最大の不思議はなんと言っても、この路面電車は常に一方通行にしか―――――つまり夢見が丘のふもと駅から荒野の出口駅に向かってしか―――――走っていないにもかかわらず、十分に交通機関としての用が足る、という点だ。もっと具体的に言えば、常に電車は西から東に向かって走っているにもかかわらず、乗っていると、いつの間にか起点の夢見が丘のふもと駅に戻ってきているのである。
  これは最大の不思議だった。そりゃあ『夢の国』を称する国に走っている路面電車なのだから普通であっていい訳はないが、それにしたってむちゃくちゃだ。東に向かって走っていた電車がいつの間にか西に戻ってきているなんて、それも線路はまっすぐでユーターンをしたわけでもないのに東のはての駅の次が西の始まりの駅なんて、幾らなんでも無茶がある。非常識をもって知られる高ノ宮市民にだって、納得できることと出来ないことはあるのだ。
  というわけで雄維は毎回、路面電車に乗るたびにその不思議を解き明かそうと、荒野の出口駅を出た後夢見が丘のふもと駅に着くまでじっと、窓の外の景色に変わったことはないかを見ているのだが、一度として納得できる解決に繋がる事実を発見できたことがないのだった。そう、それこそ、この町自体がひとつの球体状になっていて西と東がくっついているのでもない限りありえないくらい、路面電車は普通に町を走り、荒野を駆け抜け、気がつけば夢見が丘のふもと駅に到着している。それはあまりにも自然で、どこにもけちがつけようがない。


to be continued.....


<back<   ∧top∧   >next>





top▲