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世界の夢を見る朝(あした)


第八話 イレイズ 4


(…………?)

 不意に瑪瑙がピクリ、と足を止めた。つられて雄維も二・三歩進んで、瑪瑙の隣に立った辺りで立ち止まり、何かあったのか、と顔を覗き込む。最近になってようやく、彼女の顔を至近距離で見ることにも慣れた。ドキドキしなくなったわけじゃないけれど。
  その瑪瑙は雄維には気付かず、宙に視線を据えて険しい表情になった。いつかと同じだ。朱鷺がやって来たときと同じ。
  あの時と違うことには、瑪瑙は素早く辺りを見回しながらすばやく右手の花の茎をいくつかに裂いて、あっという間に器用に背の中ほどまである髪に編みこんで纏め上げた。続けざまに右手をもう一閃させ、新しく花の蕾を取り出す。それも一本だけじゃない、蕾だけの花束だ。
  ぐにゃり、と突然空が歪んだ。澄んだ青と夕日の赤、その中間のラベンダー色の空が一気にぐちゃ混ぜに混ざり合う。渦を巻くようにして空はたちまち様相を変え、その中心にポツリ、と灰色の点が現れた。それは見る見る大きくなってゆく。
  そこまで来れば、いったい何が起こっているのか雄維にも判った。市場でざわめきたゆたいながら歩いていた人々が、キャァ、ワァ、と口々に悲鳴を上げた。

「イレイズッ!」

 瑪瑙だけが険しい顔で空を見据え、左手に移したつぼみの花束から一本抜き取って口元に当てた。ポンッ、と花が咲く。真っ白な、彼女の闘志を表したかのような色。
  空の歪みが一気に膨らんだ。人々の悲鳴が大きくなった。

「メノウ!」
「めのうの魔女様!」
「番人様!」

 口々に逃げ惑いながら少女を呼ぶ。呼ばれて、少女は応えるでもなく全身にピンと神経を張り詰め、空の歪みから―――――その中央にある灰色の歪みから目を離さない。
  瑪瑙はまとめて二・三本一気に蕾を引っこ抜き、空の歪みに向かって鋭く投げた。ナイフのようにひゅんと空気を切り裂き、まっすぐに緑の軌跡が描かれる。トスッ、と何もない場所に突き立った。ボンッ!と今度は盛大に花が弾け、小爆発を起こす。

「な……ッ、あれがイレイズかよっ!?」

 雄維は、瑪瑙の攻撃でいったん縮小したものの、再びずるりと空から這い出すように大きくなった灰色の歪みを見ながら怒鳴った。すでにそれは、歪み、というレベルを超えていた。どちらかと言えば淀み、と言ったほうがなお近い。
  今まで予想も想像もしなかった、どんな姿でもない生き物が、そこにいた。いや、イレイズは生き物なのだろうか?但の化け物と呼んだほうがふさわしいのではないだろうか。
  朱鷺の言葉が蘇る。イレイズは雄維たち『現実』の生き物の忘却から生まれたもの。つまるところ、あの灰色の淀みは忘却が形をとったもの、というわけだ。
  それは、醜悪、の一言に尽きた。見ているだけで不安感を掻き立てられるような、あれはそんなモノだった。雄維と同じ『現実』の生き物だと考えたくはなかった。それはひどい侮辱のように思えた。
  瑪瑙が叫ぶ。振り返らないまま。

「逃げなさい、ユーイ!」
「でも………ッ」
「良いからさっさと逃げる!そこにいても邪魔なだけよ!!」

 手厳しい。
  だが事実そうなのだろう、と雄維は空の歪みから目を離さないままじりじりと後じさった。傍から見れば情けないことこの上ないのは、雄維にだって嫌というほど判っている。だが実際足手まといなのだ。
  歪みが再び、ぶわっ!と一気に膨らんだ。今度は先ほどの倍以上ある。再び瑪瑙が、今度は五・六本まとめて蕾を投げて攻撃した。だがその攻撃も効いているかどうか怪しい。
  イレイズを、根絶することはできない。だってそれは人々の忘却の意思だから。ヒトは忘却していくものだから。
  ―――――イレイズを退治することは、できないのだ。


to be continued.....


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