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世界の夢を見る朝(あした)


第八話 イレイズ 5


「…………ッ!」

 ふいに雄維は衝動に駆られ、後退をやめて地面を蹴って前に飛び出した。逃げても無駄なのだ。あれはそんな対処療法で何とかなるものじゃない。

「……ッアアアァァッ!」

 だったら、とばかりに雄維は地面を蹴って伸び上がり、力任せに拳を振るった。とりあえず攻撃をしてしまおう、というのだ。
  スカッ!と空気を殴った感触。そうとしか表現しようのない手ごたえのなさで、それでいて確かにそこに何かがいたと思わせる衝撃が、雄維のこぶしの先から脳髄に伝わる。それに、嫌悪する。ズルリと、体の中から何かを引き出されたような。それと同時に、悲鳴もなくイレイズの姿が掻き消える。
  倒したのか、と手ごたえのないようなあるような感触に戸惑っていると、ユーイ!と瑪瑙が険しい悲鳴を上げた。

「バカッ!『現実』に帰るんでしょう!?消えちゃったらどうするの!」
「知るか!!」
「ああっ、もうッ!お願いだからおとなしくしててッ!」

 瑪瑙が癇癪を起こしながら、手の中の蕾の一本を雄維に鋭く投げてよこした。パシッ、と雄維の胸元に当たった蕾が、その瞬間ポンッ!と乾いた音を立てて可憐に開く。オレンジの花。名前は判らないけれど、よく花壇で見かける花だ。

「あ…………?」

 カクン、と膝から力が抜けた。その場にへなへなと崩れ落ちる。そんな馬鹿な、と思って立ち上がろうとしたが同じことだ。地面について半身を支えていた腕からもどんどんと力が抜けていく。
  瑪瑙の花のせいだ、と気づくまでに数秒を要した。彼女が何か、雄維が動けなくなるような魔法をかけたのだ。そう気づいた時には上半身からもすっかりと力が抜け、力なく地面にへばりついた時だった。目の前がくらくらして、このまま目を閉じてしまいたい衝動。
  半分以上地面しか見えない視界の中で、必死に瑪瑙の姿を探した。彼女は、戦っているのだろう。あの小さな背中で。雅そっくりの愛らしい顔に厳しい表情を浮かべて。
  瑪瑙は改めて空間の歪みに向き直り、そこから染み出てくる新たなイレイズに対峙した。右手をひらめかせ、蕾の花束を取り出す。両手に、先の花束と合わせれば双剣使いのように花束を構えた。
  ニッ、と笑った。

「ハルシュはこのあたし、夢見が丘の番人の領域よ。あんた達なんて消えちゃいなさい!」

 瑪瑙の可愛い宣言に、イレイズは無言で空間の歪みからズルリと滑り出た。もしかしてもともと発声のための器官、というものを持っていないのかもしれない。
  瑪瑙が続けざまに花の蕾をダーツの矢のように投げる。それはまず空間に突き刺さって歪みを固定し、次にイレイズに突き刺さって動きを止めた。でも一瞬だけだ。すぐにズルリ、と動き出すのを立て続けに、同時に数本放って完全にその動きを止めようとする。
  イレイズの動きが止まった。ぎちぎちぎち、と空間がきしむような音がする。イレイズが動きを止められて身をよじり、何とかこのくびきから脱しよう、と体中を不定形に蠢かせている。
  先ほど雄維が消した(?)イレイズもそうだが、彼ら―――――この呼び方も正しいかどうかは判らないが―――――はそもそも特定の形を持っていないように見えた。時々、見覚えのある姿をとる。それでいて次の瞬間には別の姿になっている。
  ぐにゃり、と浮き上がった顔のような部分に瑪瑙がとどめの一撃とばかりに蕾を投げた。面白いように命中する。同時にぐっ、と瑪瑙が右手を握りこんだ。
  ―――――ボンッ!
  空間とイレイズを固定していた蕾が一気に破裂した。先刻と同じく悲鳴を上げることもなく、爆発の煙が消えたときにはイレイズの姿は消えている。空間の歪みもずいぶん小さくなったようだ。
  ニッコリ、瑪瑙が笑った。
  周囲で逃げ惑っていた住人が、瑪瑙の笑顔に恐る恐る首を伸ばして様子を伺う。中には地面にへばりついたままの雄維を指差し、何かしら話し合っているものもいた。猫の耳と尻尾を持つ男性系の住人と、髪の毛がチューリップの女性系の住人だ。大方ろくでもない噂話に違いない。
  『夢の国』の住人にとって、雄維のような『現実』の住人はまるで光を放っているように目立って仕方のない存在らしかった。それでなくとも瑪瑙の現によれば、この国の住人は一時が万事記憶を共有するらしいから、初対面の時点で雄維の名前はすでに当然のものとして知れ渡っていた。自己紹介の手間が省けるのは良いが、こんな時はあまりに目立ちすぎるのも問題だ。
  瑪瑙は空間に穿たれた歪みに向かって、両手に残った蕾を全部放り投げた。バスケットのスリーポイントシュートのように、それは綺麗な弧を描いて中央の灰色の空間に吸い込まれていく。ぐっ、と瑪瑙が今度は両手を握りこんだ。
  ―――――ドンッ!
  さっきよりも大きな破裂音が、空間に響き渡った。多分先ほどの蕾の束がいっせいに破裂したのだろう。同時に再び空がぐにゃりと蠢き始め、段々もとの澄んだ青とラベンダーと夕日の赤のグラデーションが戻ってくる。
  ……………と。
  ヒュンッ!
  かすかな風切音がして、今にも閉じようとする歪みから何かが飛び出してきた。その直後に完全に空が元通りの、歪み一つないそれに戻る。まるでそちらの方が間違いであったかのように。
  はっ、と瑪瑙が息を呑み、右手を閃かせた。視線で飛び出してきたモノを追う。けれどもソレの方が瑪瑙の反応速度をわずかに上回った。
  ソレはかすかに空気を切り裂き、まっすぐに周囲を取り巻いていた住人たちに向かって飛んだ。瑪瑙の右手が現れた蕾を投げる。わずかに届かない。クッ、と瑪瑙が歯軋りし、再び右手を閃かせる。
  だが彼女をあざ笑うかのようにソレはぐねぐねと見る間に形を変えながら、住人たちのうちの一人にまっすぐ突っ込んだ。

「……………ッ!」

 その瞬間を目撃して、雄維は声にならない悲鳴を上げた。


to be continued.....


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