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眠れる森のエデン


7.


 ここは夢の国なのだと、スニは語った。
 相変わらずスニの肩の上に乗るグリュンデンヒルトは、瑞貴に対する警戒と威嚇を緩めない。その姿は間違いなく恐怖を抱かせるもので、それでありながらうっとりするほど優美だ。この純白の獣は美しく、だからこそそれを目にした時恐れを抱かずにはいられない。
 グリュンデンヒルトの背中を宥めるような一定のリズムで撫でながら、スニはにこにこ笑顔を絶やさぬまま、瑞貴の泥と涙で汚れた顔を見上げている。みっともない、と思う感情はとっくに麻痺した。

「現実世界から来たミズキにはわかんないだろうけど、この世界は現実世界の上に重なってる夢の国なんだよ。夢の国って言うのは言ったそのまま、現実世界が見る夢が作る国って事。だからきっとこの国のどこかには、ミズキの夢もあるんだよ」

 瑞貴の信じる現実と常識がすべて否定されて、あぁ、と小さく嘆息した。嘆息するだけで済んだのはきっと、瑞貴が生まれながらに高ノ宮の人間だからだ。
 高ノ宮市はその特殊な土地柄ゆえに、日本国内に有りながら一種の特殊自治区を形成している。特殊な土地柄と言うのは他でもない、異常現象が異常と思えなくなるほど多い土地柄と言う事だ。幽霊が出るだの心霊写真が撮れるだの、そんなことは高ノ宮市ではホラーでもなんでもなく、歴然とした日常である。
 住民は否応無しにその日常に適応していかなければならないし、適応できなければ高ノ宮市から出て行くしかない。そうと求められている訳ではなく、それは人間の心を護る為に必要な行為なのだ。瑞貴自身も、外部からやってきた友人が環境に適応できぬまま再び去っていったり、新任の教師がラップ音の続く教室に耐え切れず悲鳴を上げながら逃げていったのを知っている。
 もちろん同じ高ノ宮市と言ってもその程度はさまざまで、瑞貴が通う高ノ宮西中学校とその周辺地域は高ノ宮市内でもさほど異常現象が多くない。逆に、市内北部に位置する崎之森地区は異常現象が非常に多く、先日催された崎之森中学校文化祭では生徒達の催しに混ざって、異次元からやってきた来訪者の催し物も有ったとか無かったとか。
 聞いた事は有っても初めて遭遇する事態に、混乱を招いた瑞貴はあの日「こんなとこマトモじゃないっ」と叫びながら逃げ出した新任教師と同じなのだろうか?確かに、ここはマトモじゃない。マトモじゃないけれども、もしかしてここに居るのが崎之森中学の生徒なら、こんなことも有ると笑って受け止められたのかもしれない。
 三つ目の獣グリュンデンヒルトの存在も。
 だが全ては考えても意味の無い事だから、瑞貴はゆっくりと首を振ってその思考を振り払い、ずきずきと痛む頭に手を当てながらもう一度嘆息した。痛むのは先刻しこたま木の根にぶつけたからなのか、それとも精神的なものから来ているものか、おそらくは両方なのだろう。

「私の夢は高校に行く事で、私の今の願いは元の場所に戻る事よ。こんなばかげた場所じゃなくね」
「しょうがないよ、これはミズキの夢だもん」
「・・・・・・・・・・・・だから」
「あ、夢って寝る方の夢だよ。今のミズキは夢を見てるんだよ。生身のまま夢の国に来れる現実世界の人間なんて居ないもん」

 なるほどそれは道理である。
 だが生憎と今の瑞貴にそれを受け入れるだけの精神的な余裕は無いし、それに付き合おうと思うほど心の広い人間だった事も無い。瑞貴はどうしても、高校に行かなければならない。それ以外の学校に進学する事など考えられない。それは必要事項で、決定事項なのだ。
 このバカバカしい、夢の国とかいうメルヘンな名前の場所に居る事は、無駄な時間だとしか思えなかった。たとえそれが夢の中の出来事であったとしても、だ。どうせ同じ夢を見るなら、どうしても判らない公式の解放だとか、難解な文法がすらすら分かるような夢を見れば受験にも役に立つのに。
 実際にそんな夢を見れば発狂するに決まっているが、今の瑞貴は真剣にそう考えている。一応合格圏内に居るとはいえ、今の瑞貴の成績はそこまで楽観視して良い成績ではなかった。こんなことをしてる間にも英文法の一つでも覚えたい所だが、カバンは先刻放り出してなくしてしまった。
 戻って捜そうかと思ったけれども、それも体が重たく面倒くさい。何より自分が何処をどう走ってきたか分からないからもとの場所に戻れない。つくづく惜しい事をした。
 イライラする。

「だったらさっさと目を覚まさせて!私忙しいんだから」
「ジュケン?」
「判ってるんだったら・・・・・・・・・!」
「でも、ぼくには無理だよ。瑞貴が自分で目が覚めないと、ぼくが起こすのは出来ない」

 きっぱりと首を振られて、また衝動的に殴り掛かりそうになって、背中の毛を逆立てているグリュンデンヒルトの姿に危うい所で思いとどまった。グリュンデンヒルトはどうやら、スニに危害を加えられると思うと威嚇するらしい。
 思えば瑞貴は、はっきり覚えていないにせよそのスニを突き飛ばし、あまつさえ殴り付けたのだからグリュンデンヒルトの敵意を買うのも当然なのだ。道理でさっきから威嚇され続けている訳である。
 頭を抱えた。一体瑞貴の何が悪くて、こんな事態に陥ったのだろう。
 何の変哲も無い中学生で、日本全国何処にでも居るような受験生に過ぎなかった筈で、誰もがそうしているように塾に行こうとしただけだ。塾に行くのが悪かったと言うのなら、日本中の中学生はすべからくこんな目に有っている算段になる。そんなことは有り得ない。
 雅ならどうしただろう。
 唐突に思い出した友人の名は、けれどもますます瑞貴の苛立ちを高めるだけだった。みゃあ、という可愛らしい愛称を持つあの友人は、それに似合って小猫のように可愛らしい外見と、愛敬と、何より屈託の無い思考を持っている。きっとこんな事態に陥った所で、きゃいきゃい喜んで馴染んでしまうに違いない。だって雅は受験など無いに等しいのだ。
 苛立ちもあらわに、頭を抱えたまま押し黙る瑞貴を見て、スニがんーと考えながら宙を睨んだ。

「朱鷺なら、何とか出来るかも」
「朱鷺?」
「うん、そうだ、朱鷺ならきっと大丈夫だよ。だって朱鷺は夢の国の番人でガードなんだから。グリュンデンヒルトもそう思うだろ?」
―――――ちー・・・・・・・・
「そんなこと言っちゃ駄目だよ。ミズキは困ってるんだよ?」
「・・・・・・・・・どんなこと言ってるのよ」
「ぼくを殴ったんだから起きられなくても自業自得だ、って・・・・・・・・・・・」
―――――ちちちっ、ちちっ!!
「・・・・・・・・・・・・・・・」

 なんだかますます頭が痛い。
 紫水晶の三つの瞳全てで睨み付けるグリュンデンヒルトと、もう何だか考えるのも嫌になって頭を抱え込んだ瑞貴の間で、ただ一人スニだけが自分の思い付きにひどく満足したようににこにこと良い笑顔だ。

「とにかく朱鷺の所に行ってみようよ。きっと朱鷺なら良い方法を知ってるから」

 まぁとにもかくにも、他に選択肢が無いのは事実だった。



 【麗しの姫はすべからく、鏡の魔力に捕らわれる。】


to be continued.....


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