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眠れる森のエデン


18.


 翌朝の目覚めは最悪だった。
 硬い地面の上で上掛け一枚で眠ったせいか、なかなか寝付けずにごろごろと寝返りを打った挙げ句に、うとうとと眠りに落ちれば形容の出来ない悪夢に呼び起こされて飛び起きる。それを繰り返し続けて、気が付けば洞窟の入り口からは眩しいほどの太陽の光が射し込んでいた。
 スニは、まだすやすやと眠っている。こういう旅に慣れているらしく、一日目も木の根だらけの浮遊林の中で居心地良く木の根の間に収まって熟睡したらしい。瑞貴自身も一日目は疲れ切っていたおかげでそこそこ眠る事が出来たのだが、昨夜はどうしても眠る事が出来なかった。
 スニの肩口で長い身体をくるんと丸めて眠るグリュンデンヒルトの姿を見て、瑞貴はそっと視線を逸らす。半ば習慣の様に勉強しようと洞窟の入り口まで這いずって移動して、ポケットから単語帳を取り出したは良いが、開くのも面倒くさくて結局ぼんやりとしたままだった。
 昨夜見た光景が、思い出したくも無いのに思い起こされてきて、知らず眉根を寄せる。

(どうってこと無い光景じゃない)

 スニとグリュンデンヒルトが、光苔に浮かび上がる闇の洞窟の中でキスを繰り返していた事。
 冷静に考えてみればそれは、おかしくも何とも無い光景だと言いきれた。スニでなくとも、ペットを可愛がっている飼い主ならば誰しも、愛するペットにキスをする事はあるだろう。瑞貴自身はペットを飼っていないけれど、猫を飼っている友達の家に遊びに行った時に、友達もその両親も当然の様に飼い猫にキスしていたのを見て、驚いたけれども愛情も伝わってきて、ああそうなんだ、と思った事がある。
 スニのグリュンデンヒルトへのキスは、それと同じ事だ。ただ突然見たから、びっくりしただけで。そんな光景に心乱されている今の自分の方が、よほどおかしい。
 無理矢理自分にそう言い聞かせながら、瑞貴は勤めてその光景を頭の中から追い出そうとした。そうする事がすでに気にして居る証拠に他ならないが、そんなことは無視した。
 思えば、顔も洗っていない。思い出したら顔を洗わない事には気持ち悪くなって、瑞貴は奥の湧き水の方へ向かう事にした。昨夜、スニとグリュンデンヒルトを見つけた場所だ。
 何も気にする事はないのだと、自分に何度も言い聞かせながら、眠っている一人と一匹を起こさない様に足音を忍ばせた。タオルのようなものがないかと念のため辺りを見回したが、当然見た覚えも無いので早々都合良くおいてある筈が無い。
 仕方なく上掛けを持って湧き水に向かった。どうせ一日あれば乾くだろう。
 昨夜は結構明るいような印象もあった洞窟だが、いくら光苔が生えているとは言え太陽の光に慣れた目にはやはり暗い。しばしばと目をしばたかせ、確か一本道だったと記憶を辿りながらゆっくりと洞窟の奥に足を進める。
 随分歩いたような印象があったが、存外すぐに目的の湧き水を見つけ、瑞貴はほっと一息ついた。昨日はあまり良く見ていなかったが、やはりここはちょっとした広間のような空間になっているらしく、そこそこ天井も通路も広い。
 壁から染み出た清水が床のちょっとした窪みを溜まり場に侵食を進めているらしく、そっと覗き込んだ湧き水の穴は年輪のように層が出来ていた。これを果たして湧き水と呼んで良いのかどうか、瑞貴はちょっと考えたが、他に良い語句が思いつかなかったのでそういう事にしておく。
 水辺の縁に持ってきた上掛けを置いて、膝を突く。そっと清水をすくうと、心地よい冷たさがあった。
 こぽこぽ、こぽこぽ、水の溜まる軽やかな音が聞こえる。縁から流れ出した水は洞窟の奥へと流れ込んでいて、細く頼りない流れがどこまでも続いていた。
 そんな清水をひとすくい、ふたすくい、ばしゃばしゃと顔を清める。なんとなく以前雑誌で読んだ、ミネラルウォーターで洗顔すると肌が綺麗になる、と言う記事を思い出して、どこか納得したような気持ちになった。
 この感覚を、顔を洗う、と表現してしまっては勿体無い。顔だけではなく全身が清まって新しくなるような、そんな感覚だ。
 そう言えば、お風呂にも入っていない。
 思い出したら気持ち悪い気がしたが、さすがにそこまでは無理なので諦めた。せめて頭だけはと思い、縁からすくった水を何度も頭にかける。シャンプーも何も無かったが、それだけでも随分と気持ちが良い。
 思う存分髪を清めて、すっかり満足した瑞貴は先刻縁に置いた上掛けに手を伸ばす。目に水が入るのが気持ち悪くて瞼を開けられないので、手探りで探したがなかなか見つからない。

「あら、これ?」
「あ、ありがと」

 なかなか上掛けを見つけられない瑞貴に呆れたような声がして、ひょいと上掛けが瑞貴の手の上に落とされる。礼を言って受け取って、ぐっしょりと濡れた頭をごしごしと勢い良く拭いた。
 ドライヤーが無いのが痛いが、そんなわがままを言っても居られないだろう。
 ある程度水分を拭き取ってしまって、顔と両手の水分もしっかり拭き取って、ようやくひと心地付いて瑞貴は、上掛けを渡してくれた子供の姿を探した。起こさない様に気をつけていたけれど、起こしてしまったのだろう。
 昨夜は驚きが覚めなくてまともに相手をしなかったし、やっぱり謝って置こうと思ったのだ。
 首に上掛けをタオルのように掛け、何故か習性の様にその両端を握って、上掛けを渡された右手の方を振り返る。

「スニ?昨日は―――――」
「あら、スニも来てるの?ふぅん、じゃグリュちゃんも一緒ね」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「あら、なぁに?初対面のくせに挨拶も無し?」
「うそおおおぉぉぉ――――――ッ!?」

 振り返ったその先に。
 金髪碧眼で、ふわふわのスカートに同じ色のリボンを髪に結んだ、どこかで見たアニメそのままの《不思議の国のアリス》が、居た。




 【全ての景色を逆さ鏡に、墓標は名も亡き詩人の抒情詩。】


to be continued.....


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