home
判らない語句はこちらから検索→  
writing fun connect renka
novel poem word&read juel chat mail profile book


 

篭にあそぶ鳥の泣く唄


第六羽


 そんなサガの胸のうちを知ってか知らずか、ファレアは滑るようにサガの側まで寄ってきて木彫りの髪飾りを取り上げ、懐かしそうに目を細めた。
 サガの記憶通りであればファレアがこれを目にするのは5年ぶりになるのだから、懐かしさもひとしおであろう。ましてこれをサガたちに預けたのは、決してファレアの意志ではなかった。ファレアがファレアの身を護る為に取った手段の一つだった。
 何の変哲もない髪飾りを、この娘はあの時最後まで手放そうとはしなかったのだ。物欲に薄い、人から与えられたものでもなんでも周りに分け与えてしまうような娘が。
 あの時は判らなかったけれど、だからきっとこの髪飾りはファレアにとって、特別な意味を持つものだったに違いない。
 ファレアはそれから寝台の側の小さな卓に置かれたベルを取り上げて、チリン、と一つ鳴らした。かすかな音でしかなかったが、この音は侍女たちがそれぞれに耳につけている魔宝石と共鳴を起こす為、大きな音を出さなくても用が足りるのである。
 案の定、控えていたと思われるヤーナという名の侍女がすぐに現れて、寝室にサガがいるのを見るとあからさまに眉をひそめた。この侍女は最近入った者で、年頃の淑女の部屋に肉親でもない男性が足を踏み入れるなど無礼です、と出会い頭にサガを叱り付けて追い出そうとしたのである。
 ファレアの「ありがとう。でもサガは私の兄も同然なのです。案ずるに及びません」と言う言葉と、その後の古参の侍女たちの説得もあってかろうじてそれは思いとどまったようだが、未だにサガを快く思っていない事は間違いがなかった。ただこの場合、ヤーナの感覚の方が正常なのであって、ファレアや他の者がサガが皇女のプライベートにどっぷり関わる事を許しているほうがおかしいのだ、と言う事も慎んで付け加えておきたい。
 それはともかく、ヤーナは立派な事にサガへの100万語の文句をすべて胸に仕舞い込んで、しずしずとファレアの前に頭を垂れた。

「お呼びでしょうか、姫様」
「ええ。着替えます。髪はこれを使って頂戴」
「はい」

 ヤーナは頭を垂れたままするすると皇女に近付き、その手から恭しく髪飾りを受け取った。そのままするすると後ずさり、そこではじめて視線を手の中の髪飾りに落とす。おそらくその意匠をつぶさに見て取って、皇女の身を包むに最も相応しい衣装をあれこれと考えているのに違いない。
 皇帝一族の皇女ともなれば、本来なら髪飾りに相応しい衣装を仕立てるくらいのものだろう。だが、ファレアはお貴族様の例にもれず衣装持ちではあったけれど、自らの意志で仕立て屋を呼んだ事はただの一度もない。
 皇女エシィリアラ=ファレアには常に身代わりとなる少女がいて、ファレアの存在は国民には堅く秘されている。ファレアが持っている衣装も、だから実はその身代わりの少女が仕立て屋に作らせた者を、サイズをあわせた衣装なのだった。
 ヤーナは髪飾りを持って一旦ファレアの前を去り、しばらくして数人の侍女らと共に幾つかの衣装と装飾品を箱に入れて持ってきた。余談だがこの藤編みの箱はファレアの衣装を衣装部屋から運ぶ為だけに使われている。
 その衣装の中からファレアは濃い紫のドレスを選んだ。ヤーナは一つ肯いて恭しくそのドレスを取り出し、それにあわせてあったと思しき靴と幾つかの指輪、耳飾りに腕飾り、ネックレスを残して後は元の藤編みの箱に戻す。
 どうでもいいが、なぜ帝城の女はファレアも含め、こう足音もなく移動するのだろう、とサガはその様子を見ながら何気なく思った。足音を立てないのが美徳なのだろうか。ただ居場所がわかりにくいだけだと思うが―――――
 と、ヤーナの視線が突き刺さる。

「サガ。姫様のお召替えですよ」
「・・・・・・・・・・・?見りゃ判る」
「お前まさか、姫様のお召替えを見るつもりなの?」
「はぁ?」
「ヤーナ、サガ様はファレア様の御身を護らなくてはならないのだから良いのよ」
「言っておくが、俺はファウは趣味じゃない」
「あらありがとう。このファレアも、サガを兄と慕ってはいるけれど、それだけです」

 ―――――しつこい様だが、あくまで感覚としても正論としても正しいのはヤーナである。
 けれども、ファレアは一人の少女であると同時に皇女であり、長じて伝説の聖女を生むと予言された現代の聖女である。それを何より自覚し、己にそう在るべきと課しているのは他ならぬファレアなのだ。
 現代の聖女であるファレアには、想像を絶するフォレシアの民の希望がかけられている。その身を損なう事は民への裏切りであるから、それを許す事はファレアには間違っても出来ない。
 その為ならば、たとえ生まれたままの姿をサガに見られようともファレアは露ほども恥と感じないのだ。その程度で身が護られるのなら、ファレアは笑ってそれを許す。
 それはファレアの中にある、いっそ恐ろしいほどの誇り高さ。
 良いのよヤーナ、とにっこりと微笑むファレアに、それでもヤーナはやはり不満そうではあったけれども、何も言わずに主君に一つ頭を下げる。それからサガを険しい視線で睨み付けた。
 にやりと、笑う。
 実を言えばサガは、こんな風に素直な反応を返すヤーナを結構気に入っているのだった。



 侍女5人掛かりにより夜着から濃紫のドレスへと着替えを済ませたファレアを訪ねてきたのは、サガは見た事のない男だった。
 年の頃は40を超えているだろうか。白いものが混じり始めた頭髪を上品に撫で付けて、やたらめったらボタンと紐とで装飾された礼服を着込んでいる。皇女エシィリアラ=ファレア自らの出迎えに恐縮した様子で頭を下げた、その仕種はいかにもお貴族様めいていた。
 この男は嫌いだ、と判断する。
 サガは誇り高い人間は多いに好きだったが、お高くとまっているだけの人間は吐き気がするほど嫌いだった。そう思っても口に出さないのは、男がファレアの客であり、ファレアにとって特別だったと思しき髪飾りを与えたと言う話を聞いているからだ。
 その髪飾りは今、ファレアの髪を飾っている。あのなんの変哲もなかった木彫りの髪飾りが、ファレアが飾っただけで立派な装飾品に早変わりしてしまうのは見事としか言いようがなかった。
 久し振りだとかよくおいでくださいましたとか、そんなありきたりの挨拶を交わした後で男の視線がサガに向けられる。当然、問うような視線になったのを察して、ファレアがサガを手招いた。

「これはサガと申しまして、私のボディガードですわ。サガ、こちらはアンデュラス=ドリエト=ラガール=ヴェ=キヴェリエ伯爵、皇帝陛下と帝妃様の義弟に当たる方です」
「なるほどこの者がサガですか。ファレア様の厚い信を受けている、と評判ですよ。・・・・・・・・・・・サガ、私はキダル・アンデュラス=ドリエト=ラガール=ヴェ=キヴェリエ。姫君の幼き頃より後見をさせて頂いている」
「―――――どうも」

 紹介したファレアはともかく、当の本人もわざわざ長ったらしい名前を名乗る辺りでこの伯爵様は性格が悪いに違いない。やっぱりこの男は嫌いだと、再確認しながらサガは頭を下げ、キヴェリエ伯爵が差し出して来た手はあえて無視をした。
 それを気にした風もなくキヴェリエ伯爵は笑う。ファレアがさりげなさを装って話題を逸らした。

「ところでキヴェリエ伯爵、本日お見えになられましたのは?」
「―――――ああ、失礼いたしました。来月の姫君の婚約式のことで、お話があったのです」
「まぁ」

 にっこりと作った微笑みは、少なくとも普段からファレアを見ていない人間から見れば、心から嬉しそうには見えるものだった。もっともサガには、その裏にあるいかにも退屈そうな表情が目に浮かぶように判るので、沈黙を守る事にしたのだが。
 残念ながら、5年間毎日朝から晩までを水晶宮で過ごすサガが一度も顔を合わせた事のないほど姫君の顔を見ていないキヴェリエ伯爵には、その真実は見えなかったらしい。ファレアの笑顔に触発されたように微笑みをたたえ、勧められもしないくせにサンテラスに据え付けられた華奢な椅子のうちの一つに腰をかけた。
 礼儀としてファレアもその向かいに座り、サガはそんなファレアの背後に控える。ちらり、とキヴェリエ伯爵の視線が流れ、そのまま通り過ぎた。
 タイミングよく侍女がティーポットとお茶菓子を持って現われ、女主人と客人の前にそれぞれ差し出すとそれらをテーブルの上に置き去り、同じくサガの側までやってきて見守るようにそこに留まった。
 ちらりと、見ればそれはスリシュテ・パレアの中でももっとも古株の侍女で、ファレアにとってはもはや母にも近い年である。そして、サガも知らない幼い頃のファレアを知っている、数少ない女性。
 スリシュテ・パレアの侍女は入れ替わりが激しい。否―――――欠員が多く出る為に、次々と新しい侍女が送り込まれる。それでもこの宮の大きさに対して侍女が少なすぎる感が否めないのは、スリシュテ・パレアにかかる春を封じ込めた護りの魔法が、その宮のうちに迎え入れる人間を厳選するからに他ならない。
 欠員が多く出るのは、それでもなぜか潜り込んでくる不審の輩からその女主人を護ろうと、身体を張って立ちはだかる者が多かったからだ。サガの知っているだけでも片手では収まらないほどの侍女が、ファレアの為に命を落としている。
 そしてファレアはますます、スリシュテ・パレアに閉じこもる―――――おそらく今年17歳になる少女が外の世界に触れ合ったのは、両手を使えば充分に数えられるほどだろう。
 皇女エシィリアラ=ファレアは国民の希望。そして《六神殿》の側に立つ者から見れば何としても排除せねばならない災い。
 そんな中で、幼いファレアを知る数少ない侍女である彼女の名を、ウィナ・レイズと言った。

「何と言っても《水晶の姫》の生誕祭と婚約式です、それは盛大なものになりましょう。姫君のお支度も整っておられるかとは存じますが、後見を仰せつかった身として何もせぬままその日を迎える事も出来ますまい」
「お心遣いいたみいります」
「姫君がお心優しく、どんなモノであれ大切にお取り置きになるのは後見として、また恐れ多くも叔父として誇らしい事ではございますが、」

 すいと、伸ばした手がファレアの髪飾りを奪い取る。
 豊かな髪がしゃらりと揺れて広がり、かすかな鈴の音がまるで秋の虫の声のようにちりちりと響き渡った。魔法の鈴飾りは、警告音は発していない。

「我が姪が姫君にこの髪飾りを差し上げたのは、姫君が十にもならぬお年であられた頃。もはや美しい女性へとご成長あそばされた姫君を飾るには相応しくありますまい」
「―――――ねえやは、それでも私を愛してくださったのですわ、キヴェリエ伯爵」

 にっこりと微笑んだファレアの顔は、多分心から怒っている。そのきっかけが何だったのか、サガにはわからないけれど。
 ちらり、と横を見ればウィナもまた険しい瞳で、微笑みの仮面を被ったままこの場面を見守り続けている。二人の女性陣の微笑みの下に隠された険しい感情に気付いているのか、それとも本当に気付いていないのか判らないが、キヴェリエ伯爵も薄く笑って木彫りの髪飾りをテーブルにコトリと落とした。

「後日、替わる髪飾りを届けさせましょう。幸いにして姫君が如何ほどにお美しくおなりあそばされたのか、この目で拝見する事も叶いましたゆえ」
「楽しみに、していますわ」

 微笑みだけが支配するこの時間が、恐ろしく緊張感に満ちたものだと言う事だけは、理解した。


to be continued.....


<back<   ∧top∧   >next>





top▲