home
判らない語句はこちらから検索→  
writing fun connect renka
novel poem word&read juel chat mail profile book


 

刻告鳥の世這う朝


第一羽


 かつてこの国に、伝説、と呼ばれた少女が居る。
  伝説に生まれ、伝説に生き、死してなお伝説と呼ばれた、尊き炎乙女が居る。
  民の誰もが愛し、民の誰もを愛した、心優しき神の娘が居る。

 けれどもこれは伝説の始まりよりも少し前、まだ世界が闇に覆われていた頃の物語。
  世界の命運がたった一人の少女の肩にかけられていた頃の、伝説を巡る物語。
  伝説を望むものと拒むものの狭間に立つ、たった一人の少女の物語。

 

     ◇

 古今東西すべからくそうであるように、この町の朝もまた、喧騒から始まる。

「サガーッ!!」

 今にも崩れ落ちそうな小屋の扉を体当たりせんばかりに開け、そのまま勢い良く叫びながら転がり込んできた少女に、今まさに眠りに就かんとしていた青年は呆れた表情を隠しもせず振り返った。たいそうな美貌の、スラリと見上げるばかりに背の高い青年である。どこか気だるい雰囲気は見る人に妖しい気持ちを起こさせるには十分だ。
  実際、それを利用し、半ばは純然たる自分の趣味によって非合法に春を売り、《夜の貴族》の名を欲しい侭にしている青年ソールは、そのまま不満そうに腕を組み、自身より10も年下の少女に決して好意的ではない言葉を投げつけた。

「ターニャ。ドーラン街の《花風》とまで呼ばれる《華》が、礼儀知らずに人の家に飛び込んできたかと思えば」
「ん、もう、うるさいなぁッ!ソールの小言婆!!」
「だったら礼儀正しくしてごらん。まぁもっとも、ターニャに言うだけ無駄かもしれないけれどね」
「ふーんだ。言われなくたってお店じゃ大人しくしてるもん!!それにサガは元気なのが好きって言ってたんだから!!」
「『元気なほうが良い』だろう。この程度も正確に覚えられないようなお馬鹿が二つ名を持つ《華》じゃあ、風の色町ドーラン街も地に堕ちたね」

 まるで同年代の子供同士が喧嘩しているような風情だが、本人たちはそれなりに楽しんでやっている。否、ターニャと呼ばれた娘のほうは顔を真っ赤にして真剣になっているのだが、対するソールのほうが涼やかな表情で毒舌を吐くので、はたから見るとまるで何かの冗談のようにしか見えない。
  キーッ、と勝手にヒートアップしていくターニャの様子を他人事のように眺めながら、ちらり、とソールは隙間だらけの窓板から差し込んでくる朝日を見やり、うんざりと顔を顰めた。大体において、ソールという青年は基本的に愛想が良く、その内容はともかく表面上は誰に対しても穏やかに対することで知られているが、夜通し働いた直後にまで機嫌よく相手を出来るかといえば、聖人君子でもあるまいし、無理というものだ。
  クワァ、と遠慮なく大きな口を開けて欠伸をしながら―――――余談ながら、そんな姿ですら様になってしまうのは、まさに《夜の貴族》を名乗るにふさわしいと言えた―――――ソールは、おそらく《仕事》明けにそのままやってきたのだろうターニャを冷たく見下ろす。ソールが本当にどんな時であっても態度を変えない相手は、この世でたった二人だけだ。

「大体、見りゃわかるだろ。サガは出かけて、僕は今から寝る所だ。ターニャもさっさと店に帰って寝ておいで。寝不足で店に出る《華》ほどみっともないものはないよ」
「うるさいなぁッ!言われなくっても帰るわよッ!!」
「そうして欲しい所だね。サガの《華》があんまりみっともない真似をされるのは、僕らも困るし」
「判ってるわよッ!!」

 ソールの言葉にいちいち突っかかっては怒鳴り散らすターニャは、その二人のうちにはもちろん入っていない。同じ風の下町に住む者として、そしてソールが言ったとおりサガの《華》として親しく付き合いはするが、言ってしまえばその程度の間柄だ。この下町に生きている人間のスタンスは基本的に、ソールとほとんど変わらない。
  それでも虐げられる民が不思議な団結力を見せるのは、きっと古今東西変わらぬ真理だ。
  そういう意味では首都ヴァガスに、そしてフォレシア帝国に生きる民の中で比較的近しい立場に居る少女は、フン!と鼻息も荒くソールを睨み上げると、乱暴な仕草で商売用の裾の長いドレスをたくし上げた。風の色町ドーラン街では、商売女は意匠の差はあれど概ね、〈風の男神〉ロアンを象徴する緑がかった衣を好む。ターニャの身に纏うのも例に漏れず、深緑に染められた足元までを覆うドレスだった。
  フンッ!!とまた鼻息も荒くソールに背を向け、そのままドタドタと足音まで聞こえてきそうな荒っぽい動作で小屋を出て行こうとしたターニャは、けれどもふと思いついたように足を止め、ねぇ、とソールを振り返る。こんな風に気ままに気分を変えるのは、いかにもその日の気分で様子を変える風の名を戴く色町の娼婦に相応しい。
  年は、17歳と言ったか、それとも本当はもっと幼いのか。下町に生きる人間にとって年齢なんてあってなきが如しだし、判っていた所で働くのに支障は出ても得することなんて一つもないから、たいていの人間の年齢は自称だ。特にターニャのように、口減らしに地方から首都ヴァガスに売られてきた《華》は、売値を吊り上げたいばかりに親たちも多少年齢を低く偽るものだから、もしかしたら本当はもっと年上なのかもしれない。
  いずれにしても紛れもなく少女としか呼べない容貌を持つ娘は、仕事ともなれば妖艶な表情を浮かべもする顔に今は年相応の幼さを感じさせる表情で、彼女の後見人たる《華翁》の一番親しい仲間を振り返ると、どこか憂鬱そうに呟いた。

「サガ、居ないのってやっぱり、お城に行ったの……?」
「だろうね」

 簡潔にソールは頷く。彼自身が仕事を終えて帰ってきた時にはもう居なかったから確かめたわけではないが、同居人でもあり、下町のゴロツキを束ねる頭でもあるサガは、存外行動範囲は狭いのだ。帰ってくる道すがらの下町で会わなかったのなら、後はいつものように帝城に向かったのだろう。
  帝城。フォレシア帝国の首都ヴァガスの中心に位置する、皇帝とその家族が住まう巨大かつ広大な建造物。その壮麗な姿はヴァガスの外からでも十分見て取ることが出来るほど大きく、中には一つの町を収められるほどの敷地があって、目が回りそうなほど多くの人々が常に働いている場所。
  ソールの応えに、ふぅん、とターニャは幼い不満の呟きを漏らした。ギュッ、とドレスをたくし上げた手に力がこもる。

「今日は休みだって、言ってたのに」
「何かあったんだろ。大体、ターニャと違ってサガは『いつ休みます』なんてやれないだろ。ボディガードなんだから」
「でも!前はサガが休みだって言ったら、絶対休みだったのに」
「それを許さない事情だってあるさ。ターニャ、約束してたわけでもないのに、勝手にやってきて相手が居ないって怒るのは馬鹿のすることだよ」

 幼い駄々をこねるターニャの心を読み取って、ソールは皮肉に笑った。その言葉に『勝手に人の心を読まないで!』と視線だけで睨みつけたターニャは、むっつりと押し黙ってしまう。
  生まれながらに強力な《読心力》を持ち、他人の心を読み取ることの出来るソールにとって、今の疲れきった状況ではターニャの心は耳元で叫ばれているようなものだ。ただでさえ、ターニャに限らず下町の人間は基本的に、あまり心に障壁を持っていない。

『面白くない』

 そんな不満で心を一杯にしている少女に、ウンザリとため息を吐いた。人の心なんて読んで楽しいものじゃないし、特にこういう負の感情を一方的に突きつけられるのは、はっきり言って苦痛だ。神経に障る、といったほうが正しいかもしれない。
  だからイライラと、普段の愛想よさなどかなぐり捨ててソールは言った。

「ターニャ。ファウに何かあったらサガが行くのは当然なんだ。今更いちいち不満を言ったりするんじゃないよ。不愉快だ」
「………ッ、でも」
「煩い。これ以上何か言うなら本気で蹴り出すよ」

 ソールの剣幕に、これ以上はさすがに無理だと思ったのだろう。ターニャはしょぼんと肩を落とし、ごめんなさい、と頭を垂れた。本気で悪かったと思っているわけではない。ただ、ソールを怒らせてすまなかった、と思っている気持ちは本当だ。
  だから、上目遣いにちらりと見上げ、でも、ともう一度呟く。

「………判んない」
「判らなきゃ何を言っても許されるわけじゃないだろ。ファウを護るのはサガの意思で、僕らの願いだ。理解できないなら僕らに近づくのはお止め、ターニャ」

 ほんの少しだけ柔らかな語調で言われた『僕ら』が風の下町全体を指していることは、《花風》と呼ばれる少女娼婦も知っていた。そしてこう言い出した時のソールには、絶対に逆らってはいけない、ということも。逆らえば、次はない。ある意味ではサガよりも残酷に、ソールはあっさりとターニャを切り捨て、他人のカテゴリーに蹴りこむだろう。そして言葉どおりもう二度と、この小屋に来ることも、サガのそばに居ることも許してくれないに違いない。
  それだけは嫌だったから、ごめんなさい、ともう一度呟いた。


to be continued.....


∧top∧   >next>





top▲