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刻告鳥の世這う朝


第十三羽


 呪薬スペラグ。その毒性と感染力の強さはサガの知る限りでも随一で、原因がこの薬であることは間違いないのに、手が出せないままだ。
  原因の一つは、けれどもサガにある。ここ5年ばかり下町を相棒のソールや配下のゴロツキたちに任せていた為に、名実共にいまだ下町の頭であるとはいえ、所々でサガの目の届かない裏ルートが派生しているのだ。
  その存在は当時から知っていたけれども、その時点では特に潰すべき存在とも思えなかったし、何よりサガが〈風の下町〉の頭であるという事実もたまたま他に実力のあるものがいなかった、というぐらいの理由でしかなく、さらにはその裏ルートに関わる連中はサガと表立って敵対してきたわけではなかったから、サガ自身もサガの取り巻き連中も彼らを放っておいた。そのツケが今回ってきているのだ。
  サガの手の出せない所で流れ続けるスペラグの存在を、知りながらもサガたちの勢力は手を出せない。どうやら注意深く徹底的に、サガにつながる可能性のある人間はそのルートから排除されているらしい。
  今日のゴモク屋からの情報はそういう意味で、スペラグの流通ルートを暴くのに重大な意味があった。下町で手に入るものでゴモク屋の目を潜り抜けないものはない、と言われるほど抜け目の無いあの老人をして「苦労した」と言わせるほど秘められたスペラグの流通ルートを、直接叩く以外に今のサガたちにできる防御策は無いのだ。
  そして流通ルートを押さえたとしても、今度は伝染病のように広がっている感染者の問題がある。こちらはなお厄介だと言えた。少なくとも血液を浴びただけで感染する上に、発症の前触れが無いからそれを防ぐことが難しい。さらにその情報が明確ではなかった初期の頃は保感者の血液など誰も気にしていなかったから、自覚なく感染している可能性だってある。

(血液感染じゃなくて体液感染だったとしたら―――――)

 考えて、サガはその考えを振り払うように軽く頭を振った。その場合、ドーラン街に所属する娼婦たちは全員保感者の可能性がある。ついでに言えば彼の相棒である〈夜の貴族〉を気取って不特定多数の男と寝ているソールもだ。そんな事になれば、ソールはともかく、ドーラン街の人間は残らず首を括るしかない。春を売れば感染させる危険があり、けれども春を売らずには生きていけないのだから。
  どうしたら良いのか判らない。自分たちが後手に回っている自覚はあるが、先手を打つためには情報が少なすぎる。爆死した保感者の処理を一手に引き受けているルイたち自警団だって、血液感染の可能性があると判ってからは仲間の魔法具師が作った防護服で防御しているものの、それまでの行動で感染していないとは限らない。
  考えながらイライラとサガは指のつめを噛んだ。そもそも彼はあまり頭脳労働には向いていない。彼がボディガードを勤める皇女エシィリアラ=ファレアや、彼の相棒ソールはどちらかと言えば頭脳派だが、サガ自身は基本的には考える前に体を動かしているタイプだ。配下のガキどもやゴロツキどもが増えた辺りからは多少考えるようになったものの、本来的に、サガは本能で判断して戦う男なのである。
  その彼にとって、今回の正体の見えない敵相手の戦いは多少骨が折れる。
  サガはがしがしと爪を噛みながら裏通りを通り抜け、幾つかの小路を曲がってドーラン街の目抜き通りに出た。他の色町に比べてドーラン街と〈風の下町〉は渾然一体とした造りになっているが、それでも風の色町を名乗るドーラン街は下町エリアの中でも中心部の、もっとも喧騒と活気に満ちた場所に位置している。
  この混沌とした退廃的な空気を、サガは割りと嫌いではなかった。風の色町ドーラン街は首都ヴァガスに存在する他の五つの色町に比べ、やや前時代的な印象を受ける骨董的な造りになっている。そこに生きる女たちも〈風の男神〉ロアンの名を関する色町に相応しく、たおやかで風に吹かれるままに流れていきそうでありながら、きちんとした芯を持って生きているものばかりだ。そして揃って、あるがままを受け止める。
  立ち並ぶ娼館の看板を眺めながら、わけもなく「ちっ」とサガは舌打ちした。それは自分の無力さを改めて感じた苛立ちだったのかもしれない。〈風の下町〉の顔、頭だなんて言われていたって、肝心な時に自分はこんなにも役に立たないのだ。
  苛立たしげに一番手前にあった娼館《艶璃庵(えんりあん)》の看板を睨み上げていると、あら、とおっとりした印象を受ける壮年の女性の声がかけられた。サガの苛立ちに気づいていないのか、気づいていて無視をしているのか、おそらくは後者であろう。
  ふい、と視線を巡らせて取り繕いもせず睨みつけたサガに、ホワン、とした顔で彼女はおっとり微笑みかける。

「サガ、ご苦労様ね」
「………いや、別に俺は………」
「あなたの《華》のターニャも、他の娘たちも皆あなたを頼りにしているわ」
「…………はぁ」

 おっとりとした口調を崩さぬ女性の言葉に、毒気を抜かれた様子でサガはぼりぼりと頭を掻いた。その様子が可笑しかったのだろう、女性は上品さすら伺わせる顔にホワリと少女のような笑みを浮かべ、半分以上白髪の混じったウェーブがかった髪を丁寧に撫で付ける。
  両手に重たげに抱えているのは今日の《ドーランの子供たち》の食料だろうか、何気ない仕草で抱え直す女性に、はぁ、と完全に毒気を抜かれたサガはため息をついて近寄ると、ひょい、と軽々紙袋を片手で抱え上げた。あら、と驚いたように目を丸くする女性に告げる。

「手伝ってやるよ、レゼル母さん」
「悪いわね、ありがとう、助かったわ」

 サガの言葉に嬉しそうに両手を合わせ、レゼルはやはり少女のようにしか見えない笑みを浮かべて礼を言った。もちろん実際の年齢は50をとっくに超えているはずであり、いくらドーラン街で生きる女が気苦労のため実年齢よりはるかに年老いた外見を持つとは言っても、サガが下町に流れ着いた10歳頃からすでに姐さんと呼ばれるドーラン街の娼婦たちのまとめ役をしていたことからして、壮年どころかどうかすれば老年に達するであろうことは想像に容易い。
  ドーラン街に限らず、色町は特殊な社会だ。娼婦たちは〈母さん〉と呼ぶ色町全体の代表の下、〈姐さん〉と呼ぶ娼婦たちのまとめ役に従って生活している。その選出に明確な基準は無いようだが、概ね〈母さん〉には先代が引いた時点での〈姐さん〉がなり、〈姐さん〉が不在になった時点でのNo.1娼婦が次の〈姐さん〉と呼ばれるようになるらしい。そしてそれ以外の娼婦たちはお互いを「姉さん」「妹」と呼び合うのだ。
  馴染みの無い者からすればずいぶんと奇妙な制度に映るだろうが、これにはこれでれっきとした理由がある。色町で生きる女たちの多くは口減らしのために地方から売られてきたり、借金のかたに売り飛ばされてきた者たちだ。中には物心もつかない幼い頃に人買いに売り飛ばされ、その後は色町で娼婦候補の《蕾》として育てられた者だっている。表向きサガが後見人をしていることになっているドーラン街の《華》ターニャだって、元はと言えば生まれてすぐに旅芸人の一座に売られ、その後再びドーラン街に売られてきた娘だ。
  そういう者たちの多くは、家族のぬくもりに飢えている。何気ないやり取りや時として乱暴に映る思いやり、そういったものに飢えて飢えて、喉から手が出るほど欲しくて仕方がない。色町の女たちが行きずりの男にだって情深く接するのは、それが商売だからと言う以上に、愛されることに飢えているからだ。
  だからこんなくだらない《家族ごっこ》に、娼婦たちは自分の理想や過去を重ねて身を投じる。間違って客との間に孕んだ子供は、《ドーランの子供たち》として色町全体の子供として育てる。女たちの社会は、そうやって形成し、閉塞する。
  その頂点にいるレゼルは年を取ることを忘れたように、老いた顔に無邪気とすら言える笑みを浮かべた。

「普段はシャンが手伝ってくれるんだけれど、あの子は今日はお休みなの。サガがいてくれて本当に助かったわ」
「ああ………こっちを手伝ってもらってるから。レゼル母さんが困るなら戻すぜ?」
「あらとんでもない、大丈夫よ。スペラグの調査はドーラン街のお願いしたことですもの。シャンだって元はサガのグループの子だったのだし、気にしないで頂戴な」
「それでレゼル母さんがぽっくり逝ったら、俺がドーラン街の女たちに恨まれるだろ」
「ま!相変わらず口の悪い子ね」

 メッ、と子供を叱るような口調で怒るレゼルに苦笑した。彼女もまた、数少ないサガの幼い頃を知る人物だ。ましてゴモク屋の主人と違ってさらに分の悪いことには、下町に流れてきたばかりで右も左も判らなかったサガとソールを彼女の一存で娼館に引き取り、しばらくの間面倒を見てくれた人物でもある。
  そんな相手にもちろん逆らう気も起きず、完全に子ども扱いされてサガは苦笑し、軽く肩をすくめた。



to be continued.....


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