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刻告鳥の世這う朝


第十五羽


 皇女アニエスは初めて顔を合わせた瞬間から、ファレアに対して明確な敵意を持っていた。一体何が気に入らなかったのかは、今でもファレアは良くわからない。もちろん誰もに好かれるなんて無理なことだと、命まで狙われるほど敵の多いファレアは身に染みてよく判っている。顔をあわせたこともない相手から向けられる憎しみだって、縁の無いものではない。けれどもそう言ったものと、アニエスから向けられる敵意は、なんだか違うような気がした。
  いつだったかサガが言っていたけれども、アニエスに対してはなまじ血が繋がった存在と言う認識があって、余計に敏感になっているのかもしれない。けれども自分の実の母から向けられた殺意すら乗り越えたファレアが、いったいどうして今更、と言う気持ちが沸き起こってくるのも事実だった。
  ただ向けられる、激しくも純粋な敵意。鮮やかな憎しみ。それを感じて、一番最初の時にはファレアは、とっくの昔に忘れたはずの人の感情の恐ろしさを思い出し、しばらくはすぐ側にいるサガの心に触れることすら怖くてできなかったほど混乱したものだ。今でもつい、アニエスの心に対しては身構える癖がついてしまっている。そんなことはいけない、と己を戒めてどうにか取り繕ってはいるけれど。
  自分を落ち着かせる意味も込めて、ことさらゆっくりとファレアはアニエスの方へと向き直った。その頃までには、もはや習い性となった完璧な皇女の笑みはすきもなく顔に張り付いている。

「アニエス様も、いつもこのファレアをお尋ねくださり、ありがとうございます」
「当然ですわね」

 辛うじて浮かべているだけのファレアの笑みを、看破したわけではないだろうが、チラとだけ視線をよこした皇女アニエスはそのまま興味を無くしたように、食事に戻りながら冷たく言い放った。その言葉と共にまた伝わってくる、ファレアへの深い憎しみ。
  カチャ、とかすかに皿とナイフが立てる音が響いた。

「わざわさお兄様や私が足を運んで差し上げているのですもの、感謝なさって当然ですわ」
「………」
「預言の姫?本来であれば貴女は、私と対等に口を聞けるようなご身分ではないってこと、きちんと覚えて置いてくださいませ。私たちのお母様はお父様の双子の妹、預言の姫のお母上は皇帝家の血筋とは言え高々伯爵家の娘でしょう」
「アニエス様………ッ。このファレアのことは如何様にも仰られて構いませんが、母をないがしろにするような発言はお控えくださいませ」
「あら、預言の姫でもお怒りになりますの?お優しいことですわね。そのお母上は貴女を殺そうとして今も牢獄に入っておられますのに………そうそう、申し上げるまでもありませんでしたわね、ご処断なさったのは預言の姫ですもの」

 カチャカチャと冷静にナイフとフォークを動かしながら悪意を言葉にして紡ぎだすアニエスに、とっさにファレアは何を言い返したら良いものか頭を巡らせた。
  アニエスの言っていることは、何一つ間違っていない。いかに皇帝自らが望んだとは言え、公爵でも侯爵でもない伯爵家の娘に過ぎなかった母から生まれたファレアと、皇帝の双子の妹を母に持つアニエスとでは身分が違いすぎる。本来なら―――――そう、もしファレアが〈伝説を生むもの〉の預言を受けなければ、ファレアは今この場所には立っていなかった。だからアニエスに対しても相応の礼をとり続けている。
  けれども、とファレアはぐっと腹に力を込め、厳しい瞳でまっすぐにアニエスを見据えた。

「確かに私は私の命を狙った母を処断し、叔父をも処刑いたしました。けれどもそれは、私が〈伝説を生むもの〉エシィリアラの真名を持つものだからです。〈フォレシア建国神話〉を信じる者ならば誰でも〈伝説の聖女〉のご生誕を待ち望んでいることは、アニエス様もご存知のはず。その希望を失わせるような行動を取った母たちを処断することは、〈フォレシア建国神話〉を信ずる者として当然の義務と考えますわ」

 声色だけは余裕を見せられるようになっただけ、成長したと言うべきなのだろう。ファレアは内心のアニエスへの恐れを感じながら、自分自身をそう分析した。以前のように声が震えなくなっただけ、彼女は成長しているのだ、と。
  ファレアの言葉にアニエスはぴたりと手を止め、鋭くファレアを睨みつけた。フォレシア帝国の民にとって、〈フォレシア建国神話〉は信ずるべき神話であり、従うべき法でもある。それをないがしろにすることは、例えどんな権力を有するものであったとしても許されぬことだった。
  かの〈六神殿〉ですら〈フォレシア建国神話〉を第一義におき、神話に語られる〈伝説の聖女〉とその母たると予言されたファレアに相応の敬意を払うのだ。アニエスの言い方を借りれば『高々皇帝家の皇女』でしかないアニエスがそれを無視することは、神と国家に対する反逆ですらある。
  彼女自身それは良く判っていたのだろう、チッ、と忌々しげに舌を打ちながら視線を泳がせ、次に何を言うべきか、どう言えばより効果的にファレアを傷つけることができるのか思いを巡らせている。その心の動きを感じ取り、ファレアはぐっ、ともう一度腹に力を込めた。
  だが、次の言葉が発せられたのは、ファレアでもアニエスでもなかった。

「ファレア姫の仰るとおりだ。無礼もいい加減にしろよ、アニー」
「………ミルト兄様?」
「お前『本来なら』って言ったな。じゃあ言ってやるが、『本来なら』お前ごときがファレア姫と対等に口を利くなんて、逆立ちしたって許されたもんじゃないぞ。高々皇帝家の皇女に過ぎないお前が、伝説を生む姫と対等だなんて、ましてや自分の方が立場が上だなんて勘違いするな。お前の振る舞いが許されているのはファレア姫のご厚意以外の何者でもないんだからな!」
「な………ッ」

 ミルトレイの言葉にアニエスの顔色がさっと変わる。ひどい侮辱を受けたと思ったのだろう、怒りのあまり顔を真っ赤にした皇女はガタンと立ち上がり、射殺さんばかりに兄の顔を睨み据えた。
  もちろんミルトレイの方も負けてはいない。普段はアニエスに負けてやっているとはいえ、血気はやると城内で噂の皇子ミルトレイは、その噂を証明するかのように妹を厳しく睨みつける。その迫力は傍で見ていた侍女たちの方が怯えてしまったほどだ。
  二人の間に火花が散ったように見えたのは、おそらく錯覚ではないだろう。
  思わぬところからの援軍にあっけにとられていたファレアは、このまま放っておいてはいけないと気づき、あわてて二人の間に割って入ろうとした。だがテーブルから立ち上がりかけた手に、ちょうど正面に座っていた皇子アストレイの手が添えられる。
  はっと視線を向けると、アストレイがにっこり笑った。それから般若のごとき様相の妹のほうへ、そのまま視線をスライドさせる。

「アニー。確かに今の言動は目に余るね。お前の方が己の分を弁えなさい」
「アスト、兄様………ッ」
「もっとも、唯人より神々に近いとされる〈属性使い〉の、地のエレメンツであるお前に、唯人に過ぎない僕らが偉そうなことを言うのも、お前の言い分からすれば身分を弁えない不敬に映るのかな。ファレア姫に遥か及ばないと言っても〈地使い〉は十分敬われるべき能力だからね。アニー、お前は僕たちにそのように接して欲しい、と言っているのかな」
「ちが………ッ、私、そんなこと………ッ!」
「『本来なら』僕らはお前に礼を取るべきだものね。ああ、『お前』なんて言い方もしてはいけないな。ねぇ、『アニエス様』?僕らの数々のご無礼を、『アニエス様』はお許しくだいませんか?」

 あくまで笑顔のままそんな言葉を紡ぐアストレイに、ビクッ、とアニエスの体が震える。嫌々をする子供のように幾度も首を振りながら後じさり、先刻立ち上がった隙に蹴倒した椅子にぶつかった。それにすら飛び上がらんばかりに驚き「キャアッ」と小さな悲鳴を上げる。
  それを合図としたようにばっと身を翻して客間を飛び出して行ったアニエスに、チラ、とファレアに視線を走らせてウィナが指示を仰ぐ。それに小さく頷くと、古参の侍女は心得てアニエスの後を追って客間を出て行った。彼女に任せておけばおそらく、うまくアニエスのフォローをしてくれることだろう。
  それを確認したファレアの耳に、あーあ、とぼやくミルトレイの声が聞こえた。視線を巡らせるとミルトレイの視線とぶつかる。彼はファレアをまっすぐ見て、ひょい、と肩をすくめて苦笑いした。

「お騒がせして申し訳ありません、ファレア姫―――――ったくアスト、お前が後でフォローに行けよ。アニーがああなったら厄介だぜ」
「確かにね。相変わらず癇癪ばかりの子供だ。本当に申し訳ありません、ファレア姫。後ほどアニーにもきっちり謝らせますから、どうぞご容赦を」
「いえ……いえ、そんな。それより、アニエス様がお可哀想ですわ。大好きなお兄様方にあのようなことを言われれば、誰だって」

 ファレアは二人の異母兄の言葉にゆるゆると首を振る。もとよりアニエスの心を恐ろしくは思っていたけれども、彼女に対して怒りを覚えていたわけではない。それに逃げ出した瞬間のアニエスの、ひどく傷ついた心を感じ取ってしまったから、余計にファレアはアニエスを怒る気にはなれなかった。
  だが、アニエスが蹴倒して行った形になる椅子を元通りに起こし、ミルトレイにアニエスの後を追わせると、それではだめなのだ、とアストレイは苦笑う。

「結局、アニエスに甘い、と言われてしまうかもしれませんが。ファレア姫、貴女と彼女の身分差は、彼女がどれほど言おうとも決して縮まりはしません。開くことはあってもね。ですからまだ幼いわがままで許される今のうちに、その事実を思い知るべきなのですよ―――――ご理解、頂けますね」

 貴女は聡明な方ですから、と。
  そう言われてファレアは、そうですね、と小さく頷く。確かにアストレイの言うとおり、いくらファレアが怒っていないと言っても、将来的に不利に立たされるのはファレアではなくアニエスの方だ。それを取り返しのつかないうちに教えなければならない、と言うアストレイの言い分を、ファレアは確かに理解できた。
  ファレアの応えに満足そうに頷き、それではこの辺りで、とアストレイが礼を取ってファレアに背を向ける。その背に、でも、とファレアは言葉を投げかけた。

「でも、私には―――――アニエス様はそれをきちんと理解なさった上で、あのように振舞われているように思えますわ」

 けれどもファレアの言葉に、アストレイから返る答えはなかった。



to be continued.....


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