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刻告鳥の世這う朝


第十六羽


 無事に色町ドーラン街のレゼルを〈事務所〉と呼ぶところの彼女の自宅まで送り届け、ついでに道すがらに行き会った幾つかの悪ガキ集団に呪薬スペラグの発現状況をそれぞれ報告させて、下町のゴロツキどもが〈アジト〉と呼ぶところのサガのねぐらに帰り着いたのは、当に昼も回った、娼館の下働きの女たちがそろそろ動き始める刻限だった。
  色町は春を売る女の街だから、そこで働く〈華〉である娼婦たちは夕刻前にようやく目覚めて身繕いを始め、夜通し欲望を抱えておとなう男たちを相手に一時の快楽と夢を与えて、日が昇りだす頃にようやく床に潜り込む。その一時が安らぎとなるのかどうか、それはまったく〈華〉たち個々の心持ひとつだ。
  そんな街ではあるけれども、そこに暮らす女のすべてが〈華〉であるわけではない。実際には下働きの女たちも多いし、娼婦として働けなくなっても行くところもなく、あるいは後続の娼婦たちを見捨てきれずにそのまま色町に住み着く女もいる。人買いに売られるなどしてやってきた娼婦候補の〈蕾〉も多いし、〈華〉たちが客との間に身ごもった〈ドーランの子供〉の中にだって当然少女はいる。
  そういった女たちが妙にたくましいのは何故なんだろうな、と辺りのボロ小屋から聞こえてくる物音や怒鳴り声を聞きながら、サガは良くぞ壊れないものだと思わず感心してしまいたくなるほど一際古さの目立つボロ小屋の、無いよりはマシ程度の扉を容赦なく蹴り開けた。こういった、住人の粗野な行動がこの小屋の寿命を著しく縮めている、ともいえる。
  ともあれサガはさして己のねぐらには気も留めず、窓板をしっかりおろしていても屋根や壁に空いた穴から光が差し込んでくるため妙に薄明るい小屋の中に入ると、すぐ側に置いてある水瓶を覗き込んだ。案の定、底が見えてしまっている。朝、水を汲みに行こうかと思っていた矢先にファレアの身に起こった異変を感じ、そのまま即座に〈空間使い〉の力でこの小屋と帝城庭園の間をつないで駆けつけたのだから、無理からぬことだ。
  だがしかし。

「てめぇ、たまには自分で水汲みくらい行こうと思わねぇのか!?」

 辺りの喧騒に負けず劣らず大音量で叫びながら、サガはすぐ側にあった水汲み用の柄杓を、振り向きざま、渾身の力を込めて小屋の最奥にたった一つ置いてある寝台の方へと投げつけた。ゴキッ、と良い音が十歩も歩けば向こうの壁にぶつかってしまうほど狭い小屋に響き渡る。
  それから数瞬、起き抜けから夫婦喧嘩が勃発したらしい隣家の「悔しけりゃたまにはオマンマ代くらいは稼いで来たらどうなのさ、この宿六!」「…んだとこのクソアマッ、腰振る以外何も出来ねえ能無しがっ!」「はんっ!それで食わしてやってんだ、礼ぐらい言ったらどうなのさ!」「食わしてくれなんて頼んでねぇ!お前がどうしてもって泣いて頼むから食ってやってんだろうが!」「おやおや、ついにクスリが頭まで回っちまったのかい!」と威勢の良い声が響き渡る。
  次いでゴッ!ガツッ!ドスッ!ガシャッ!と何かを投げたり殴ったり叩きつけたりする音が聞こえてきて、ヒキガエルのような男の声が「ギャアッ!」と叫んだのを最後に何も音が聞こえなくなると、うん、とサガは一つうなずいた。どうやら今日も夫婦喧嘩は平和裏に解決したらしい。
  と、ううぅ、と情けない呻き声が寝台の方から聞こえてきた。

「仕事明けは動きたくないんだよ………」
「仕事ぉ?そりゃお前の趣味だろうが」
「それはそうだけどさ………」

 なにも柄杓を投げなくても、とブツブツ言いながら柄杓が当たったと思しき辺りをさすりつつ、モゾモゾと寝台の中から這い出してきたのは、サガの同居人にして最も付き合いの長い相棒ソールだった。一見してひどく顔立ちの整った、いわゆる『美青年』というやつである。
  何しろその男前振りと来たら、街を歩けば女はもちろん、男だって思わず見とれて振り返るほど。おまけに基本的に愛想が良く、下町の人間にしては珍しく学があるため話題も豊富で、いつも相手を見透かすような柔らかで薄っぺらい笑みを顔に張り付かせている。ついでに声もよくスタイルも抜群と来れば、風の下町の中ではサガと並んで有名人になるのも無理はない。
  だがそのご大層な面の皮に何の心も動かないサガは、寝起きで少しぼんやりとしている様子のソールを冷たく見つめ、自業自得だ、ときっぱり言い切った。

「お前がどこの男と、何人寝ようと勝手だけどな。やることはきっちりやれよ」
「あー、だーいじょーぶー、影響ないしー」
「今きっちり影響出てんじゃねぇかよ!」
「気のせー気のせー、なんたって僕は〈夜の貴族〉だしねー」

 妙に間延びした口調に、はぁ、とサガはため息を吐いた。ソールがこういう口調になるときは、まだ寝ぼけているときだ。こんな時に何を言ったところで、どうせ覚醒した後にはちっとも覚えていないのだから意味がない。労力が無駄に消費されるだけだ。
  長年の付き合いでそれを身に染みてわかっているサガは、だから諦めのため息と共に水汲み用の手桶を持って一旦小屋を出た。その場で鋭くピィッ!と指笛を鳴らす。
  すぐにバタバタと駆けつけた7・8歳と思しき年少の子供に手桶を渡しながら、くい、と親指で背後の小屋を指し示した。

「おい。あの馬鹿、昨日は何人だまくらかしたんだ?」
「ソールさんですか?えっと、僕が知ってるのは貴族が二人に旅人が一人までですけど」

 なんなら聞いてきましょうか、と幼い口調で一人前の言葉を吐くのに首を振り、さっさと行け、と手を振った。それだけ聞けば十分だ―――――どうせヤツのことだから、その倍の人数は相手にしているに決まっている。
  〈夜の貴族〉というのはソールの自称で、ついでに色町ドーラン街での彼の源氏名だ。ソールという男は恐れ知らずにも、女たちが春を売る色町の中で、同じ男を相手に春を売っているのである。
  フォレシア帝国は基本的に、娼婦を正式な職業として認可している。サガはもちろん見たこともないが、〈帝国商業法〉にもその記載はなされているし、ギルドへの登録も〈六神殿〉からの承認もきっちりと下りている、れっきとした職業だ―――――もちろんそれは表向きのことであって、色町の人間なら誰でも周囲から蔑まれたことは一度や二度の経験では済まないのだが。
  いずれにせよ、表向き、娼婦は違法ではないし、数代前の為政者の〈職業に貴賎なし〉という方針に基づいて、娼婦を生業とする女たちを差別的に扱うことも禁じられている。だがそれはあくまで〈女〉の場合だ。
  これもまた表向きの話になるが〈六神殿〉は同性間での性交渉を堅く禁じている。その裏で〈六神殿〉に所属する神官・巫女たちが見目麗しい少年や少女を欲望の捌け口にしていることは、ちょっと見る目のある人間なら百も承知している現実だが。それでも表向き同性愛は異端とされ、それが明るみに出れば間違ってもその辺りには二度と住めなくなる。
  そんな中、帝国の首都ヴァガスの、しかも〈風神殿〉のお膝元で堂々と異端行為を働くソールは、本来ならとっくにヴァガスはおろか帝国からだって叩き出されていてもおかしくない。それなのにサガを始め、周囲の人間がそんなソールのことを受け入れているのは、考えてみれば奇妙なことだった。
  手桶を提げて水汲み場に走っていった子供の背中を確認して再びボロ小屋の中に引き返すと、ようやく意識がはっきりしてきたらしいソールが寝台の上に胡坐をかいて、クワァ、と大きなあくびをしながら伸びをしているところだった。無言でガタガタと窓板を上げ始めるサガに、あくびで少し涙の滲んだ視線を流す。

「ああ、おはよう、サガ。今日は早かったんだね」
「まぁな。ファウが休みだから帰れって煩かったからな」
「そう言えば前に気にしてるようなことを言ってたから、それでかな」

 先刻の寝ぼけた姿がうそのようにのほほんと、まったくいつもどおりに笑いながら話すソールに、はぁ、と我知らずサガはため息をつく。どうにも最近ため息が多い気がするのは、きっと気のせいではないだろう。
  その原因の大部分を担っているソールはちっとも気にした様子もなく、ため息をつくと早く老けるよ、としたり顔で忠告をしてくるのだから始末に終えない。いったい誰のせいだ、と舌打ちをしたくなる。
  だが次の瞬間、ソールは愛想のいい笑顔をすっと潜め、見透かすように目を細めてサガを見つめた。

「ふぅん……サガ、面白い情報をもらってきたね」

 強力な〈読心力〉をもつソールがサガの心から読み取ったのであろうその情報が、つい先刻ゴモク屋から買い取った情報だということは、疑うべくもなかった。



to be continued.....


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