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刻告鳥の世這う朝


第二十五羽


(サガが、この事態の鍵を握っている………?)

 異母兄の言葉にファレアはしばらくの間、頭の芯がしびれたようにぼんやりと考え込んだ。けれどもそれは傍から見ればほんの一瞬であって、誰も皇女の胸に去来した不可思議な感情には気付いていないようだ。相変わらず周囲は事態に対応する者たちと野次馬の喧騒に溢れ、アストレイが人好きのする笑みを浮かべてファレアを見つめており、そんなアストレイをミルトレイとルサカが何を言われているのか判らない、といった風情で見つめている。
  その事態を理解して、ファレアは自分でも判然としない感情をいったん胸のうちに押し込め、そうですか、とアストレイに頷いた。

「丁度、サガは下町で〈スペラグ〉の調査をしている所です。〈国魔女〉のおっしゃるのはそのことでしょう」
「これは、ファレア姫に手抜かりはありませんね。恐れ入ります」
「サガは〈風の下町〉を統べる者です。アストレイ異母兄上のお考えのような理由ではありませんわ―――――いずれにせよ、これは感染呪術です。この場を清めて封印する必要があります。ルサカ、ギルレイ・シュナンと共に人々を誘導してください。その間に私が術を施します」
「では我々はお邪魔にならぬよう退散いたしましょう。ミルト、帰るぞ」
「………え?見ていかないのか?」

 強引に話題を変えたファレアに意味深に微笑んで、まったく事態が判っていない様子の双子の片割れを引きずるように、アストレイはさっさと地下牢から姿を消した。その後姿に、ファレアは我知らず深いため息を吐く。
  頭の回転は速い。状況把握能力にも問題ない。けれどもアストレイは何故だか、見るものに得体の知れない警戒感を抱かせる青年だ。それさえなければ、選ぶまでもなく彼のほうが皇帝にふさわしい、と思えるのだが。
  けれどもファレアはすっと視線を巡らせると、ギルレイとルサカの働きのおかげでようやく人影の減ってきた地下牢の奥を睨みすえた。ひときわ血臭の漂ってくる方向だ。おそらく、そこが件の刺客の死んだ場所だろう。
  ファレアはあたりに注意を払って間違っても血に触れないよう気遣い歩きながら、懐から収めたままだった扇子を取り出した。短い解呪の言葉を唱えて、その姿を本来の青石の剣に戻し、柄をぎゅっと握り締める。一歩一歩足を進めるごとに濃くなる血臭を遮るように、顔の前へと青い光を放つ刀身をかざした。
  ふわり、と一際鮮やかに青石の剣が光を放った。場を清める力を持つ不思議の剣が、この場に満ちる淀んだ空気に反応したのだ。光の触れた先から空気が清浄なものへと変化し、格段に息がしやすくなる。
  ほっと小さな息を吐いて青石の剣をかざしたまま、足早に現場へと近づく。警備兵がファレアの姿とかざした剣の光に、ガチャガチャと道を譲って敬礼した。それににっこり微笑んで答える余裕は、まだある。
  けれども問題の現場へと一歩足を踏み入れた瞬間に目に飛び込んできた光景に、さしものファレアも恐怖に立ち竦み、びくりと大きく体を震わせずには居れなかった。内圧に耐えかねたように弾け飛び、バラバラに体の部位が血の海の中に沈み、その狭間に脳漿だの内臓だのが飛び散っている、そんな凄惨な光景を見たのは、幾つもの死に触れて生きてきたファレアにとっても初めてだったのだ。
  彼女が今まで触れてきた死は、ファレアを狙って振り上げられた刃に切り裂かれたり、毒見で倒れた幾人もの侍女たちだ。自らの手で命を奪った相手だって片手の数では数え切れない。そういった幾つもの死によって成り立つ己の生から、目を背けたことはない。
  けれどもこれほど悲惨な死体を見たのは初めてのことだと、胡乱下に見上げてくる半分吹き飛んだ顔に残った濁った眼球を睨み据え、ファレアは手の中の剣にすがるように力をこめた。確かにこの光景を見れば、誰とて人知を超えた力を連想するだろう。何かの呪いか、あるいは神々の下された罰ではないのか、と思うに違いない。
  と、かすかに死体が動いたような気がして、ファレアは不意に恐怖を忘れて眉を寄せた。まさかこの状態で生きているはずはないが、万が一と言うこともある。
  じっと注視したファレアの視線を感じたように、半分吹き飛んだ頭に残った血みどろの唇が、ニィ、と口角を吊り上げて笑った。

『コ・レ・ハ・警・告………』
「………ッ!?」
「―――――姫君、どうなさいました?お加減が優れませんか?」

 予想もしない言葉に声にならない声を上げたファレアに、ルサカが顔を覗き込んで気遣うように眉を寄せた。どうやら退避させるべきものはすべて退避させてしまったようだ。気付けば辺りから喧騒は失われ、重苦しさすら感じさせる沈黙の中にジジッと松明の爆ぜる音が響いている。
  何も言えないままルサカの顔を見返したファレアを、どう判断したかルサカが小さく、いたわるようにかすかな笑みを浮かべた。

「無理もありません、姫君。いくらなんでもコレは、兵士でも直視するのは厳しいでしょう。宮に戻られて、然るべき術者を差配なさいますか?」
「………ルサカ、そなた」
「は?」
「…………いいえ、なんでもありません。少しぼんやりとしてしまったようです。すぐに清めと封印を施しましょう。心配をかけましたね」

 「とんでもございません」と礼を取るルサカに、どうやら先刻の声は自分にしか聞こえなかったらしい、と確信する。ならば余計なことを口にして煩わせるのはファレアの本意ではなかった。
  未だ心配そうな視線を向けてくるルサカに青石の剣を軽く示して、ファレアは改めて血に塗れた死体を見つめた。先刻が幻であったかのようにそれは血に濡れて沈んだままだ。否、おそらくファレアにしか見えなかった幻なのだろう。
  左手に握った剣の青い刀身に右手の人差し指と中指を二本そろえて触れ、すっと目を細めて透かし見るように現場を見つめる。青石から放たれた青い光に照らされて、まるで現実のものではないかのようだ。

"この地は神々に与えられし永遠楽土"

 唄うように紡ぎ始めたのは、失われし古代語だ。その言葉一つのみでも魔法を帯びた力を持つ、と言われる古王国時代の言葉で、独特の抑揚を持って唄えばそれはたちまち、結界を伴う封印の唄になる。

"大いなる神々の恩寵 守り秘められし恵みの地よ
  この地にあって神々の御心に適わずは足を踏み入れること値わじと
  忠実なる小さき僕エシィリアラ=ファレアがその名に懸けて希うは
  迅く神々の恩寵のこの地に現されんことを"

 パシッ、と聴覚とはまた別の部分で空気の鳴る音がした。ファレアの唄った古代語によってこの場に結界が張られたのだ。正体不明の〈スペラグ〉の感染呪術にどれほど対抗しうるものかは判らないが、当面この地下牢は呪術的に凍結され、ファレアが術を解くか別のものが強制的に術を解かない限りは安全に保たれるはずだ。
  心配そうに様子を見て居たルサカとギルレイにその旨を告げ、ファレアはもう一度、動かぬバラバラの死体を見つめた。例え幻であったとしても、この耳に響いた言葉は今もはっきりと覚えている。

(警告、ですって?)

 何に対しての、なんてそんなの、たった一つしかファレアには思いつかない。このタイミングで、こんなやり方で、ファレアに〈警告だ〉と告げる理由が、ファレアにはたった一つしか思いつけない。
  あの、サガの名前で送られた差出人不明の手紙には、開封確認の魔法がかけられていた。それをファレアは、手紙の中に記された〈明日〉という日時を特定するためにファレアが手紙を読んだタイミングを知るためだろう、と判断していたけれども。そしてそれはきっと、まったくの的外れではないだろうけれども。

(必ず〈炎神殿〉に来い、と言いたいのね)

 来なければ次はまた別の誰かがこうなるのだ、と―――――もしかすればファレア自身がこうなる運命にあるのだ、と。そう示したいがために、差出人は開封確認の魔法を施し、ファレアが手紙に触れるタイミングを計っていたのだ。もしかしたらこの刺客が送り込まれたタイミングや、その理由すらもただその為だけだったのかもしれない。
  だとすれば、それは何を意味するのか。
  ファレアは青石の剣を握り締め、ギリッ、と唇をかんだ。


to be continued.....


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