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刻告鳥の世這う朝


第三十二羽


 ―――――ドン…ッ!!
 激しい破裂音と共に古びた建物全体に衝撃が走って、サガはガバッと寝台から跳ね上がり全身に警戒を漲らせた。ピシリ、と音がしそうなほど神経を張り詰めて、何が起こったのかを把握しようとする。
 年季の入った建物は、〈風の色町〉ドーラン街でも随一の娼館《艶璃庵(えんりあん)》だ。サガが居るのはその中でも4階にある、一番上等な部類に数えられる一室で、庶民には到底手も届かない硝子をはめ込んだ窓が特徴である。それだけではない、調度の類もちょっとした貴族の邸宅風の重厚で趣味の良いものが誂えられ、この部屋を与えられた娼婦が相手にする客層を窺わせた。
 その、現在の部屋の主たる二つ名を持つ娼婦、〈花風〉ターニャ・ドーランもまた、突然の騒音にビクリと身体をすくませ、強制的に眠りの中から引き戻されたようだ。けれどもこちらはさすがに、まだ状況の把握が出来ていないらしく、半身を寝台の上に起こしたままパチパチと目をしばたいている。
 それをちらりと見やりながらサガは手早く寝台から飛び降り、適当に脱ぎ捨ててあった服を身に付けた。とは言ってもボロのズボンとシャツのみの簡単なものだ。最後に目の前に残バラに落ちてくる髪を乱暴に後ろに撫で付ければ終りである。
 事態の把握は出来なくとも、サガがどこかへ行こうとしていることはさすがに判り、ターニャが驚きとも非難ともつかない声を上げた。

「サガ!?」
「〈スペラグ〉だ。この建物の中」

 振り返りもせずそれだけ言って、弾かれたように部屋の外へと飛び出した。「ちょっと待ってよッ!」と叫んでバタバタ慌てだす物音を背後に聞きながら、あっという間に4階の廊下を駆け抜け、階段を半ば飛び降りるように駆け下りる。
 さすがに今の物音は大きく、あちこちで人々のざわめきと状況を問い質さんと娼館勤めの者を呼ぶ声が聞こえた。中には事態を自分の目で把握しようというのだろう、ドアが開いてパタパタと廊下をやってくる音もする。今の所かろうじて客足に影響は出ていないものの、やってくる人々の中には〈スペラグ〉について聞き及んでいる者もいて、そうした者が不安に駆られて動き回っているようだった。
 下手をすれば大掛かりな騒ぎになるぞ、とサガは頭の隅で考える。せめて外での騒ぎなら良いが、こんな古びた、狭い建物の中ではそれだけで不安が煽られるものだ。そんな所に下手に人が詰め掛けたり、逆に此処から逃げ出そうとして入り口に人が集中したりすれば、それだけで怪我人どころか死者さえ出る騒ぎになる。
 3階を駆け抜けて再び階下へと続く階段にたどり着き、その階段も飛び降りるようにして下って2階にたどり着くと、通りがかった娼館の者を捕まえて客を部屋から出さないよう指示した。〈風の下町〉のゴロツキの束ね役であり、《艶璃庵》の売れっ子娼婦の〈華翁〉でもあるサガのことは、娼館の者ももちろんよく知っている。すぐに、と請け負うと人手を呼びに走り出した。
 その背中を見届けてから、サガは2階の廊下へと視線を投げる。此処まで来ればさすがに、騒ぎのあった部屋は一目瞭然だった。丁度向かい合うようにして両側に10室ずつ並んだ廊下の、サガから見て右手の真ん中辺りの部屋のドアが開け放たれ、人だかりが出来ている。薄く漂っている血の臭いは、明らかにそこから流れ出したものだった。
 ドカドカと大きな足音を立てながら近づく。

「おい、どけッ!」
「………ああ、サガ」

 サガの怒鳴り声に答えたのは、人垣の一番前にすらりと立っていた女だった。どうやら髪を結い上げる間もなかったと見え、背中に流された髪には櫛を入れた気配もない。夜着のような薄物一枚を肩に羽織り、胸元を掻き合わせている。
 パタパタとあわてて道を空けた人垣の間を通り、ここに集まっている中では一番古参の娼婦に近づくと、サガはちらり、と部屋の中の惨状に視線を走らせてから言った。

「ドーリー姉さん、状況は判るか」
「さて、見ての通りだね。あたしの知る限り、あの娘以外にはこの部屋に入ってないよ」
「はん」

 鼻を鳴らして、サガはもう一度部屋の中に視線を走らせる。
 天井から床まで、壁一面も、何もかもが血の赤に染まった狭い部屋だ。元々2階は個室を与えられていない娼婦たちが、指名を受けた時にだけ客とことに及ぶためのスペースで、中にあるのはせいぜい寝台とちょっとした飲み物を置くためのサイドテーブルくらいのものである。もっともその寝台にしてもサイドテーブルにしても、生臭い赤に染まってもう使い物にはなりそうになかった。爆発の衝撃だろう、狭い窓板は見事に吹っ飛んでいて、そこからのぞく青空が妙に場違いだ。
 その赤の中にある人影は、三つ。一つは真っ赤に染まった寝台の上に、腰でも抜かしたのだろう、全裸のままへたりこんで全身を周囲と同じ赤に染め、白目ばかりがぎょろぎょろと目立つ男だ。もしかしたらとっくに気絶しているかもしれない。
 もう一つは寝台のすぐ脇に倒れる裸身の女。これが壁と天井と床と問わず、赤々と染め上げた血の主だと言うことは、無残に破裂した腹の具合からも知れた。所々、よく見れば飛び散った肉片のようなものも見て取れる。かっと見開いたまま事切れた顔は驚きに満ちていて、彼女が己の身に起こった事態を把握しきれないままその生を閉じたことを窺わせた。
 最後の一つは、その事切れた女の頭を胸に抱き、ガクガクと震えながら声もなく目を見開いて涙を流している女だった。この女だけが部屋の赤に染まることなく、羽織った夜着のごとく白いままだ。ドーリーの言った『娘』は彼女のことだろう。
 ドーリーが髪を掻き揚げながら淡々と言う。

「止める暇がなくてね。あの娘、サラって言うんだが、死んだ娘とは同じ村から売られてきてね、同郷意識って言うか、本当の姉妹みたいに思っていたようだから」

 それは娼婦の間では珍しいことではなかった。ただでさえ多くの娼婦たちは借金のかたに親などに売られてきたものばかりだ。だからこそ仲間内で『姉さん』『妹』と呼び合うような文化が根付いているのである。そんな中で同郷の人間に出会うことは、まるで自分の肉親にあったのと同じような感慨を覚えるものらしい。
 サガたち下町のゴロツキには持ち得ない、それは恐らく金と引き換えに身を売られたものだけが持ちうる感覚なのだろう、と思う。サガ自身は戦災によって焼け出されて流れてきた口だし、多くは疎まれて故郷を追われたものたちには、故郷というものに対する望郷は抱きにくいものなのかもしれない。
 その頃になってようやくサガに追いついてきたターニャが、周囲と同じく夜着だけを羽織った姿で現れ、部屋の中を見て「ヒ…ッ!」と引きつった悲鳴を上げた。驚いて部屋に駆け入ろうとする。

「ジェイン姉さん…ッ!?そんな、まさか姉さんまで……ッ!!」
「入るんじゃないよ、ターニャ」
「でもドーリー姉さん!?」
「良いからお止め。恨むんならあたしを恨んで良いよ。これ以上妹たちが無残な姿になるのを、あたしは見たかないからね」

 その言葉にターニャはぐっと押し黙った。〈スペラグ〉によって死んだものに血に触れれば、同じく〈スペラグ〉に感染する。そのことを思い出したのに違いなかった。
 すまんな、と目で謝るとドーリーは目を細める。さすがはこの街で長らく暮らす娼婦だった。貫禄はもちろんのこと、とっさの時の判断能力と、何より度胸が据わっている。
 階下でバタバタと複数の人間が駆けてくる音がした。数秒後にその足音は2階へと辿り着き、まっすぐサガたちのいる血塗られた部屋へと向かってくると、人垣を掻き分けて数人の少年たちが現れた。揃って身に付けているのは魔法具屋のビレズが作った、外部からの魔法干渉を一切弾く効果のあるツナギと手袋だ。
 少年たちはその場にサガの姿があるのを見ると、揃って急停止して整列した。一番背が高いのは、少年というよりは青年の域に足を踏み込んだ、下町にありがちな痩せぎすの男である。彼は一歩進み出た。

「サガ、お早う。珍しいな、サガとこんなとこで会うなんて」
「ああ、ご苦労だな、シャン。現場はこの中だ。保感者は2人」
「判った。他の現場じゃ炎で浄化することになってんだけどさ」
「ああ、ここじゃ無理だな。延焼しかねねぇ」

 少年たちの中心核に当たるシャンの言葉に頷いた。シャンはやってきた少年たちの中では一番古くサガの側に居て、サガがファレアのボディガードを勤める前はソールと二人、悪事をやらかす際のサガの参謀役を務めていた男だ。当然頭の回りも早く、非常に重宝する人材である。
 代わりにターニャがスッとドーリーの陰に隠れた。ターニャはソールにせよ、シャンにせよ、頭の回りが速くて口の立つ人間が苦手だ。自分が言い負かされるからだろう。それを目の端に見ながらサガは頭を掻いた。

「この部屋だけ解体するってのも現実的じゃねぇしな………かといってお前の手駒じゃ、この部屋だけ封じるなんて真似はできねぇだろ」
「そりゃ無理ってもんだ。ファウの野郎が居れば別だけどな」
「ああ、ありゃあいつの得意技だからな」
「………あたし、出来るけど。ようはこの部屋だけ、魔法も力も外からも中からも通らなくすれば良いんでしょ」

 ドーリーの影からひょこ、と顔だけ出してターニャが主張した。

「あたしの力、知ってるでしょ、サガ。あたしが決めたモノはなんでも、外からも中からもどんな力の干渉も受けないの。そりゃあんまり長続きしないし、あたしより強い力がかかれば効き目ないし、人間とか、あんまり大きなモノとか場所は駄目だけどさ―――それで良いんでしょ」

 まるでなんだか、子供がすねているような口調だった。


to be continued.....


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