home
判らない語句はこちらから検索→  
writing fun connect renka
novel poem word&read juel chat mail profile book


 

刻告鳥の世這う朝


第四十七羽


 不意に、暗闇から強引に引っ張り上げられたような感覚があった。まだこの暗闇の中にたゆたって居たいのに、その力はそれを許さない。あくまでも強引に、ファレアの意思などまるで無視して、一気に意識を眠りから覚醒へと引き摺り出す。
  ふ、と強引な目覚めに抗おうとしたのか従おうとしたのか、腹筋に力を込めると鈍い痛みが走った。その鈍痛に、今度こそファレアは意識を覚醒させる。

(………そうだわ)

 〈炎神殿〉の前で、ファレアは何者かに腹部に拳を叩き込まれ、意識を奪われたのだ。もっとも半分はファレアが狙ってそうなるよう仕向けたのだが、結果としては変わらない。何者か、おそらくは先日謎の手紙をよこした人物かその係累によって、気を緩めた一瞬の隙を狙われた。おそらくはそのまま、どこかへと浚われたのだろう。
  だとすれば下手に動かず、このまままずは気を失っているフリをしていたほうが良い。
  そう判断するとファレアは慎重に、目を閉じたまま意識の触手を伸ばそうとした。強力な〈読心力〉を持つファレアにとって、視覚を奪われたとしても周囲の状況を知ることはひどくたやすいはずだった。
  だが、どうしたことだろう?常なら意図せずとも周囲に満ちる心の欠片を読み取ろうとするはずの〈読心力〉が、今に限ってまったくファレアの言う事を聞かない。それはファレアにとってまったく初めての感覚だった。まるで、本来ならあるべき手足がまったくなくなってしまったかのようだ。
  その事態にさすがのファレアも戸惑いを隠せずに居ると、クスクス、と笑う女の声がした。まだ若い、どちらかと言えば少女の域を抜け出ていないような声色だ。けれどもどこか、奇妙にくぐもっているような響きがある。

「無駄だよ。あんたの力はここじゃ効かないさ」

 とっくにファレアが目覚め、〈読心力〉で周囲を探ろうとしていたことすら見通しているかのような少女の言葉に、けれどもファレアは慎重に反応を押し殺して様子を見た。ただ鎌をかけているだけとも考えられる。下手にファレアが意識を取り戻している事を知られるのは、なんとなく良くない気がする。
  だがそんなファレアの内心すら見抜いた様子で、やはりくぐもった笑い声を立てた少女は「無駄無駄」と楽しそうに言葉を紡いだ。

「あたしの結界は完璧だよ。あんたが少しでも力を動かそうとしたら、すぐにあたしに判るようになってるのさ。それに、あんたの力は外には届かないし、外からだってこの中に力を届けることは出来ないよ。ねぇ、水晶の姫、いい加減寝たフリはやめたらどうだい?」

 まるで何か、たとえばゲームでも楽しんでいるかのように悪びれない声色に、どうやら本当にこの声の主にはそれが判っているらしい、という事を理解してファレアはしぶしぶ、無言で寝かされていた固い床から身を起こした。強力な〈読心力〉を持つファレアはけれども、それ以上に人間の声色やしぐさ、ちょっとした視線の揺らぎからその内面を読み取るすべにも長けている。
  果たして、身を起こしたファレアをまったく驚きも見せずにその少女と思しき人物は見返した、ようだった。
  それと言うのも、目を開いたファレアの前に居たのは、肘掛の椅子に轟然と足を組んで頬杖をついた、柔らかな色調の簡素なドレスを身にまとった人物だったのだが、すっぽりと頭からかぶる仮面で覆われていたからだ。その顔は〈六神殿〉の祭りの劇などでよく使われる、非常にデフォルメされた紙の張子のお面だったのだが、生まれてこの方水晶宮スリシュテ・パレアで長い時をすごし続けていたファレアには、ただただその異様な姿しか印象に残らない。
  そのお面で作られている顔もまた、女性のもの。額にこれ見よがしに紅い四葉の刻印がなされており、頭髪の部分が緑茶色で塗りたくられているところを見れば、見たことはなくとも〈フォレシア帝国神話〉の知識に明るいファレアにはその面が〈花の女神〉ウェルファーネを模していること位は察しがついた。
  女神ウェルファーネの面をかぶる少女の両脇には、それぞれ同じような紙の張子のお面をかぶった二つの人影がある。人影はどちらも椅子に座る少女と同じような簡素なドレスを身につけており、同じく少女であろうことが予想できた。右脇に立つ人物に比べ、左脇に座り込んでいる方はまだ幼いのだろう、まだ随分と体も小さいようだ。
  二人がつけている仮面は、左が頭髪を茶色に塗りたくり瞳を緑に塗っていることから〈樹木の男神〉ウー、右が髪も瞳も黄色に塗りたくっていることから〈胡蝶の女神〉ヴィーファであることが知れた。それぞれ、特徴的には他の神々と共通するものではあるが、女神ウェルファーネの側に居る神々といえばこの二神と相場が決まっているのである。
  ここまで徹底しているのなら、彼女らの素性を誰何したところで素直に応えはすまい。どうせそれぞれが被る仮面の名を名乗るくらいが関の山だろう―――――
  そう考えたのを見透かしたわけではないだろうが、女神ウェルファーネの仮面の少女は明らかにファレアを侮った様子がありありと伺える、楽しそうな口調で名乗りを上げた。

「あたしはウェルファーネさ。女神ウェルファーネ」

 その言葉にも、ファレアは沈黙をもって答えた。それが偽名であることなど明白だったし、そうである以上応える必要もない。ただ相手の出方を観察するようにそっと息を潜め、せいぜい思いも寄らぬ事態に怯えを隠せずにいるか弱く力ない皇女に見えるよう、ぎゅっと胸元の辺りできつく両手を握り締める。
  どうやらウェルファーネを名乗る少女は、それに満足したようだった。ふふん、と馬鹿に仕切ったように鼻を鳴らす。ゆっくりと、恐らく本人は優雅だと思っているだろう仕種で立ち上がると、軽く両腕を組んでファレアの方へ近寄ってきた。

「なーんか興ざめだね。聞いてた限りじゃあんたはこんな、簡単に攫われてくるようなおとなしい玉じゃなさそうだと思ってたんだけど」
「侮るのはまだ早いぞ、ウェルファーネ」
「―――――はん、そりゃどういうことだい?」

 突如、部屋に新たな声が沸き起こった。けれども声の主は部屋のどこを捜しても見つからず、まさに沸き起こった、と言う表現が相応しいほどの唐突さだったが、ウェルファーネの口調からは動揺の様子は読み取れない。代わりに自分の言葉を否定された苛立ちのようなものが強くにじみ出ている。
  そう、とファレアは胸中で呟く。どうやらこの少女は、女神を名乗るだけあって随分と自己中心的な、自信過剰な性格をしているようだ。そうでなくば例え女神の仮面を被っていても、恐れげもなく女神の名を名乗れはすまい。
  じっと観察されていることも知らず、少女は苛立たしげに天井の辺りを睨みつけ、「ちょっと、シュド!?」と再度苛立ちの声をあげた。シュド、と言うのが先刻の声の主の名なのだろう。勿論この目の前の少女同様、偽名に違いない―――――古代語で『暗黒』を意味するその言葉を、わざわざ名づける人間はいない。
  そうしてしばらく少女、ウェルファーネは天井の方へ仮面を向けながらイライラと言葉を発していたが、その全てに沈黙が返されると、ふん、と大きく鼻を鳴らしてその苛立ちを表現した。ずいぶんと幼いしぐさだ。体つきは十分成熟した大人の女性を思わせるが、案外その精神は幼いのかも知れない。
  だが、それで気が済んだのだろう。改めてファレアのほうへと向き直ったウェルファーネは、すでについ先刻まで纏っていた不機嫌のオーラをどこかに押しやってしまった、元通りの強気で己に対する絶対の自信を揺らがせようともしない、高慢でそれがゆえに女神の名を纏うにふさわしいとさえ思える少女に戻ってしまった。なかなか、気持ちの切り替えも早い娘らしい。
  どうやら、哂ったようだった。

「ねぇ、水晶の姫。どうして自分が攫われたとお思いだい?あんたはあたしとゲームをするのさ」
「………ゲーム?」
「そうさ。あんたが勝てばあたしはあんたの命は取らない。あたしが勝てば、あんたは死ぬ。ちなみにこのゲームを断ってもあんたは死ぬよ。あんたを攫ってきたあのシュドはあんたを殺したくて仕方ないんだからね。あたしが良いって言えば、すぐにだってあんたを縊り殺すよ」

 それはどうかしら、とファレアは冷静な頭で考える。おそらくウェルファーネの自信の根拠は、そのシュドとやらが〈炎神殿〉の前で煙幕にまぎれて見事ファレアを攫いおおせたことに起因するはずだ。無力に攫われてきたファレアが、万に一つでもシュドに対抗できるはずがない、と考えているのだろう。
  だがそれは少なくとも、現時点では大きな間違いだ。ファレアはなすすべもなく無力に攫われてきたのではない。正確には十分ソレに対処できるだけの余裕はあったが、ソレに対して手加減をするだけの余裕がなく、そしてその時点で命の危険がなかったからこそ、おとなしく攫われる道を選んだに過ぎないのだ。
  多分その事実を、シュドは気付いている。だからこその先刻の警告なのだろう。だがその警告を受けてすらその事実にウェルファーネは気付いていない。これを好機と取るべきだろうか―――――どうやらシュドは先刻の警告だけで義務を果たしたと、後は静観する構えの様子だ。そうでなくば今に至っても沈黙を貫く理由がない。
  もしくは、シュドもまたファレアに対して本気を出して居らず、万一ファレアが抵抗を見せても十分に対処できる、と判断しているのか、だ。その場合、情報のない現時点で動くことは危険を伴う。
  さてどう答えるべきか、とファレアは改めて、目の前の少女の仮面に覆い隠された素顔を見透かそうとするかのようにじっと見つめた。


to be continued.....


<back<   ∧top∧   >next>





top▲