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刻告鳥の世這う朝


第四十九羽


 いつまで経ってもファレアからの返答がないことに、ウェルファーネの仮面をかぶる少女は強い苛立ちを覚えたようだった。表情こそ判らないものの、全身から放たれる気配がそれを如実に証明している。
 それを確認して、ファレアは細く息を吐いた。大丈夫だと、誰にともなく独白する。シュドを初めとする残りの三人はまだ未知数だが、少なくともウェルファーネが相手であれば、ファレアは十分に対等以上に渡り合えるはずだ。
 だからコクリ、と首を傾げて見せた。

「それは、どんなゲームかしら?判らなければ答えようがないと思いませんか?」
「ふん。判ったってあんたの答えは一つしかないだろうさ、水晶の姫。断ればあんたは死ぬんだから」
「そうね、死にたくはないわね」

 ファレアはウェルファーネの言葉を静かに肯定した。この身に授かった〈伝説を生むもの〉の預言を果たさない限り、ファレアは何があっても死ぬわけにはいかないのだ。〈伝説の聖女〉シク=カルフィ=レイアは、後の歴史家たちが〈暗黒時代〉と呼んだこの時代にあっては唯一の希望である。その希望を民から奪う事を、例え自分自身であってもファレアは絶対に許せない。
 それが、ファレアが生れ落ちてからこの方、〈現代の聖女〉と崇められてきた意味だ。水晶身やスリシュテ・パレアを与えられ、多くのものがその身を守るために命を犠牲にしてきたのは、ファレアが〈伝説を生むもの〉エシィリアラとしてその役割を果たすためなのだ。それこそが、ファレアの絶対にして唯一の存在意義なのだと、ファレアはちゃんと理解している。
 だから、何があっても死ぬわけには行かない。預言を果たさねばならない。そうでなくて、一体どうして自分を慕ってくれる者たちに、守ってくれる者たちに、そしてファレアのためにその命を奪われた者たちに申し開きが出来るだろう?
 ファレアの命を奪わんと送り込まれ、返り討ちにされた刺客たちだってそうだ。ここであっさりファレアが己の信念を翻したら、それこそ彼らは無駄死にではないか。ファレアがこの意志を貫くために、与えられた預言を果たすために命を奪われたことが、まったくの無駄になってしまうではないか。
 だから死ねない。死にたくない。死ぬわけにはいかない。
 そんな意志を込めて頷いたファレアの言葉を、けれどもウェルファーネはありがちな命乞いと受け取ったようだった。ふふん、と馬鹿にしたように満足げに鼻を鳴らし、いっそ傲慢に腕を組む。

「だったら、あんたの答えは一つしかないはずさ、水晶の姫。あんたはあたしと、その命を賭けてゲームするしかない」
「―――――じゃあなおさら、どんなゲームなのか教えてくれても良いのではなくて?私が断る心配をしているわけではないのでしょう?」
「………ッ!当たり前だろッ!」

 ファレアの判りやすい挑発にあっさりと乗せられて、ウェルファーネは肩を怒らせながら轟然を胸を張る。パチン、とこれは人を使い慣れているしぐさで指を鳴らすと、〈胡蝶の女神〉ヴィーファの仮面をかぶる少女が「はい」と小さく頷いて、やはりかしずくに慣れた動作でウェルファーネの側に進み寄ると小さな箱を掌に載せて差し出した。ウェルファーネは満足そうに鷹揚に頷いてその箱をつまみあげる。
 もっとも、その一連の動作がどこか芝居がかって見えるのは、おそらくは彼女たちが貴族階級ではないからなのだろう。真の貴族であれば一瞬の隙すら見せず優雅に振舞おうとするものだ。彼女たちの動作には、不自然ではないにせよ、その気負いが感じられない。例えて言うなら一代で財を築き上げた商人の娘と、その家に仕える侍女と言った風情だろうか。そんな、染まりきっていない不安定さが感じられるのだ。
 勿論その背後に貴族が居ないとも限らない。それでも、少なくともこの少女たちが貴族に連なるものではない、と言うのは大いに役立つ情報になるだろう―――――何か事を起こすときでも、貴族相手とそうでないのとでは、根本的に対処の仕方が違ってくる。
 ウェルファーネは小箱のふたをかちりと開くと、その中に入っている何か小さな粒のようなものを摘み上げ、ファレアにも良く見えるようにかざして見せた。

「あんたは知ってるはずだね。わざわざ見せてあげるために、あの男に飲ませたんだから」
「………ッ!?まさか………」
「そう。あんたに送ってあげた警告は役に立っただろう?―――――呪薬〈スペラグ〉さ」

 禍々しい言葉を楽しそうに吐く少女に、ゾクリと背筋を震わせながらファレアは食い入るように少女の指先に掲げられたものを見つめた。あれが―――――アレが、スペラグ。ファレアの最も信頼するボディガードが手を尽くしてもなかなか尻尾すらつかませぬ、人を爆死させる恐ろしい呪薬だというのか。
 ファレアの反応は、ウェルファーネの自尊心を満たすに十分だったようだった。多分笑っているのだろう、肩を小刻みに震わせている。

「極上の夢を見せてくれるのは本当さ。その一瞬先が地獄だってね。お貴族様には判らないだろ?特にあんたみたいに、誰からもちやほやされて愛されて美顔術やエステに精を出して一番良いものを差し出されるのが当然だと思ってるようなお姫様にはね。あたし達は、こんなものにすがっても夢を見たいのさ」

 ウェルファーネの発言からして、彼女が貴族階級に属する人間でないことは明白だった。だがそれだけでは、正確に彼女がどんな身分の人間なのかは判らない。人を使う事を知っているからには一般庶民よりは富裕な階級に属するはずだが、そんなウェルファーネですら「夢が見たい」と言わしめるほど、この国は乱れているのか。
 ファレアはいたたまれずに視線を落とす。自分が一般国民からどんな風に見られているのか、それを見せ付けられた。ファレアが着飾り、美しさを磨くのは〈現代の聖女〉たるに相応しく在ろうとする彼女なりの考えだったが、そんなものに手を出したくても出せない国民から見れば確かに贅の限りを尽くした浪費に見えるだろう。たとえファレア自身にそんなつもりがなくても、はたから見れば同じことだ。
 国民から謙譲された極上品を受け取るのも、下手に断ってその人間が〈現代の聖女〉ファレアから切り捨てられた、と取られないためだ。それが国民にすれば『一番良いものを差し出されるのが当然と思っている』と言うことになるのだろう。ファレアなりに精一杯に考えた気遣いが、こうも裏目に出てしまうのはさすがに辛い。
 ファレアの打ちひしがれた様子に、ウェルファーネは心から満足したように笑い声を上げた。その様子に、ふと、誰かに似ている、と思う。けれどもその答えを出せないうちに、ウェルファーネは次の句を紡いでいた。

「これからあんたに〈スペラグ〉を飲んでもらう。知ってるだろうけど、〈スペラグ〉はそれだけじゃただの麻薬と変わんないよ。良い夢が見れるだけのただの薬さ。ただし、あんたが〈三つの言葉〉を聞いたり、言ったりすればあんたの中に残った〈スペラグ〉が暴走してドカンッ!ってわけ」
「………それじゃあ賭けにならないわ。結局貴女がその言葉を言えば、私は死ぬではありませんか」
「もちろん。あんたがあたしの気に触ればね」

 言いながらウェルファーネはファレアの手を取り、無理やりその中に〈スペラグ〉を握りこませた。コロン、とした感覚を掌に感じる。そっと開いて視線を落とせば、小さな丸薬の表面に、多くの呪薬がそうであるように構成している魔法式が次々と現れては消えていくのが見えた。
 じっと視線を〈スペラグ〉に落とすファレアに、ウェルファーネは楽しそうに囁きかける。

「でもこれは賭けだよ。あたしだってそのくらい判ってるさ。だからあたし達は絶対に〈三つの言葉〉を言わない。でもあんたには〈三つの言葉〉を教えない。だから、この賭けにあんたが勝てば生きるし、負ければ死ぬ。そう言うことだよ」
「―――――賭けはいつまで?」
「あんたが死ぬまで」

 それじゃあやっぱり賭けにならないじゃない、と思う。勝ち続ければ良いだけのことだが、それにはひどく分の悪い賭けだ。それよりは、己の実力がシュドより上回っていることに賭けて反撃と脱出を試みた方が、よほど勝算があるように感じられる。運動代わりに護身術を学ぶファレアは、かなりの使い手だ、とサガにも言われたことがあり、実際それなりの使い手だった亡き叔父にも打ち勝ったことがあるのだ。
 ただ、勝てないわけじゃない―――――彼女たちが〈三つの言葉〉とやらを言わないと言うのなら、ファレアは彼女たちが発した言葉しか口にしなければ良いのだ。それには想像を絶する忍耐と自制心、そして記憶力が必要となるが、それでも確実に勝つ方法がないわけじゃないのだ。だったらやはり、それこそ本当に賭けに過ぎないシュドとの勝負を選ぶよりは、ウェルファーネの要求を受け入れるべきだろうか。
 あなたたちが〈その言葉〉を言わないと言う保証は?と尋ねればウェルファーネは、とっくにその言葉も予想していたのだろう、すぐに「〈風の男神〉ロアンに誓って」と誓約の言葉を唱える。その言葉にウーもヴィーファも、どうやらシュドも同意したと見え、誓約が立てられた証にウェルファーネとファレアの間にぽっと光る珠が現れた。それがファレアの中に吸い込まれ、正しく誓約が成った事を教える。
 それでもどうしたものかと、〈スペラグ〉をじっと見つめながら考えを巡らせるファレアを見て、何を考えていると思ったものだろう、ウェルファーネが小さな笑い声を上げる。

「言っとくけど、誰かに助けてもらえるなんて思わないほうが良い。あんたがここに居ることはあたしたち以外誰も知らないんだから」
「………そう。なら、サガは―――――私のもっとも信頼するボディガードは、私を見つけ出すわ。必ず」
「…………ッ!!」

 その自信たっぷりの物言いが癪に障ったのだろう。ウェルファーネはたちまち激昂し、ファレアの頬を打ち据えた。バシッ!と鈍い音が部屋中に響き渡る。
 とっさに打たれて熱を持ち出した頬に手を当てたファレアを、ウェルファーネはさらに殴りつけようと腕を振り上げたが、さすがにやりすぎだと思ったのか〈樹木の男神〉ウーの仮面をかぶる少女が飛びつくようにウェルファーネを引きとめた。それがさらに腹立たしいらしく、振り返ったウェルファーネがウーを蹴りつける。
 無言でその仕打ちに堪えるウーを、大きく肩を怒らせて見下ろしたウェルファーネは、そのままファレアを振り返りもせず冷たく命じた。

「さっさとその〈スペラグ〉をお飲み。それともその口をねじ開けて押し込んでやろうか」

 その声に含まれるぞっとする響きに、判ったわ、とファレアは覚悟を決めて応じた。勝ち続ければ良いだけのことだ―――――サガがファレアを見つけるだろうその時まで、この賭けに勝ち続ければ良いだけのことなのだ。
 ふん、と鼻を鳴らして振り返ったウェルファーネの視線が届くよりも早く、ファレアは〈スペラグ〉を口中に放り込んだ。その外見から苦いのかと思いきや、まったく何も味を感じられないままに喉の奥に滑り落ちていく。
 次の瞬間、魔法を発動するとき特有の力が放出される感覚と、強いめまいが襲ってきて、たまらずファレアはその場に崩れ落ちた。あはははは、と哄笑するウェルファーネの声が奇妙にエコーがかかって聞こえる。

「せいぜい良い夢でも見ると良い、水晶の姫。どうせあんたは死ぬんだから―――――」

 いいえ死なないわ、と呟けたのかどうか、判らないままファレアの意識は再び急速に暗闇の中へと滑り落ちていった。


to be continued.....


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