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はじまりのない街


帝国暦416年 大地節 1月2日

 考えたことがないわけじゃないわよ。あのままあの国で、何も知らないまんまで生きてられたらきっとあたしは、それはそれで【それなり】に幸せだったんだろうな、ってコトはね。でもそれはやっぱり【それなり】の幸せなのよ。どっちの方が良いわけじゃなくて、あの国に居たらあの国なりの幸せがあったんだろうし、この国に来たらこの国なりの幸せがあるってだけのことなんだわ。





 スウェイ・アル=カーデャーとチェイス・アル=カーデャーが通う【学院】とは、今をさかのぼること15年前、皇帝家によって設立された学問施設である。広義には老若男女貧富の別を問わず、学問を学びたいものであれば誰でもその施設の門を叩けば、完全に無償で求める学問を学ぶことが出来る施設、ということになっている。
 もっともあくまで建前は建前であり、実際には【学院】に通っているのは貴族の血筋が多く、それもすべてが男子に限られていた。隣国パティリエでは先日初の女学校が建てられたというが、そこで学ぶのは花嫁修業に毛が生えた程度のものだ。フォレシア帝国にせよ、パティリエ王国にせよ、基本的に女性が学問を学び、政治に携わることなど【はしたない】と見る風潮がいまだ、強い。

「そういう意味では我がフォレシア帝国の〈聖女〉制はひどく画期的かつ斬新な制度であったと言えます」

 窓の外でしとしとと降り続いている雨に負けないほど陰鬱な口調で、教壇に立った白髭の教授はひどく平坦な抑揚の言葉を発した。それを合図とするように、教室のあちこちからホワァ、とあくびの声が聞こえる。
 スウェイもその中に混じって、あくびの際ににじんだ涙をさりげなくぬぐいながら、ところどころこっくりと舟をこいでいる教室をぼんやりと見回した。その中にはもちろん、双子の片割れのチェイスもいる―――――もっともチェイスは、ずいぶん真剣に教壇に立つ教授の顔を見つめていたが。

「わが国では建国より、政治の中枢に神々の恩恵を受け賜いし聖なる方々をお迎えする風習があります。これはそもそもフォレシア帝国建国の祖王が、この地に辿り着いた際に炎風地水生死の六柱の神々に許しを請い、国を建てることを許されたからでありますが………」

 今は伝承歴史学の授業だ。スウェイはこの授業を、時々教授が始めるまったく関係のないおしゃべりも含めて割りと気に入っていた。内容としては子供の頃から聞かされる、フォレシア帝国に昔から伝わる数々の伝説や伝承をより学問的に解釈したものだが、結局はお伽話の延長線であることには違いない。
 中には【学院】に入ってまでお伽話を学ぶなんて、と馬鹿にしている院生も居ないわけではない。けれどもフォレシア帝国にとって〈フォレシア建国神話〉とそれにまつわる数々の伝説・伝承は、国家が認める正式な歴史である。そうである以上やはり、この科目が【学院】の正課として挙げられるのは仕方のないことだった。
 他にも外国語や文法、作詩、魔法学術論、数字理論、政治学、社会学、民族歴史学、etc、etc。おおよそ将来政治に携わるべき貴族の子息たちなら当然知っているべき授業から、よほど専門的に学びたい者だけが取る授業まで、皇帝家は【学院】にありとあらゆる授業と、その道のエキスパートたちを教授として用意した。
 それが可能だったのは、【学院】の建設を望んだのが時の〈炎の姫〉シキレイアル=リネアラと、その弟で〈風の王〉カナトロアン=ケイヴズだったから、というのは【学院】の短い歴史の中で大きく記されるべき事実だろう。はるか異国で育ったこの尊き姉弟は、時としてひどく斬新で、言ってみれば突拍子もないようなアイディアを提案することがあった。
 彼らの育った異国では、男女は性別を問わず一定の教育を与えられる権利があり、国家は国民に対して一定の教育を与える義務を負っていたという。もちろんそれはリネアラとケイヴズも例外ではなく、当時としては珍しく一定水準の教育を施された女性であったリネアラは特に、人々には平等に学問を学ぶ権利を与えるべきであり、そのための施設を国家が率先して建設するべきだ、と強く提唱したのだ。
 それから20年近くが過ぎた今年、【学院】は15周年を迎え、かつては数人ほどの院生しか居なかったのが嘘のように、良家の子弟らの殆どが集う学び舎となっている。リネアラが望んだ男女平等の、身分を問わない自由な教育スタイルは未だ確立されてはいないが、以前は貴族はそれぞれ家庭教師を招いて子弟に教育を施し、どの教師について学んだかで歴然とした差が出ていたことを思えば、一律に【学院】で学ぶ今のスタイルは遥かに良い、と言える。
 もっとも姫様は、ご自分やご自分のお子様がその【学院】に通えないなんて、思っても見なかったんだろうけれど―――――ふとスウェイはそんなことを思い、かすかに苦笑した。
 リネアラという人は良くも悪くもストレートに感情を出す人だった。当時は幼いどころかまだ生まれてもいなかったスウェイに詳しいことはわからないけれど、それでもリネアラの性格をかんがみるに、きっと彼女は自分が【学院】に通いたくてその建設を強く望んだのに違いない。リネアラという女性は高貴な存在でありながらどこか、そういう庶民的なところがあった。
 けれども、リネアラも、その一人息子である帝太子も、【学院】に通ったことはない。それは警備上の問題であったり、その他の色々な問題のせいであったり、けれどもそれは全部些細なことだ。結果としてリネアラは一度も【学院】に足を踏み入れることなくこの世を去ったし、帝太子もやはり【学院】に姿を現すことはなく、帝城の奥深くで大切に育てられている。
 姫様はもう叶わないにしても、せめてショウ様だけでも【学院】にお連れ出来たらきっと、姫様はどんなにか喜ばれるだろう。そう考えることはスウェイにとって、ひどく魅惑的なことだった。

「………………というわけで、我が国では歴史上、幾人かの得がたき聖なる方々をお迎えしたわけであります。では本日はまず三大聖女と並び称される方々からお話したいと思いますが、リッケン・クレイン、三大聖女の御名をすべて上げて見なさい」
「はい。〈始まりの聖女〉パンバニーシャ媛、〈安らぎの聖女〉ラジュカリナ=クレア媛、〈伝説の聖女〉シキレイアル=リネアラ媛です」

 リッケン・クレインの答えに教授は白髭をもごもごと動かした――――どうやら満足だったらしい。

「よろしい。近年ではここに〈伝説を生むもの〉エシィリアラ=ファレア姫を含めて四大聖女とするべき、と言う説もあるがそれは時期尚早と言うものでありましょう。ではまず〈始まりの聖女〉パンバニーシャ媛からお話したいと思いますが…………」
「待ってください、教授!それは納得できません」
「………ふむ?それは何故かね、エヴィル・タスキル」

 名指しを受けて、エヴィル・タスキルはすっくと立ち上がった―――――チラリと、スウェイのほうをさりげなく振り向いた際にニヤリと笑って見せながら。とてもたちの悪そうな、明らかに何かを企んでいることを隠しもしないエヴィルの笑みに、スウェイは今度こそ深いため息を吐いた。
 エヴィル・タスキルはアル=カーデャー家をひどく嫌っているのだ。だから何かにつけてスウェイや、チェイスに絡んできてはアル=カーデャー家を貶めようとする。
 チェイスが少し離れた席で、ピクリと背中を動かすのが見えた。

「〈伝説の聖女〉シキレイアル=リネアラ媛は果たして、正しく〈聖女〉で在られたと言えるのでしょうか?」

 案の定、エヴィルはニヤニヤ笑いを消さぬまま、ちらちらとスウェイやチェイスのほうに視線を向けながらそんなことを言いだした。教室でけだるげに机の上に沈みかけていた少年たちが、その不穏な空気にざわざわと―――――半分以上は「またか」と言ううんざりした気配をまとって―――――顔を上げ始める。
 ピクリ、と教授の白い眉が動いた。

「リネアラ媛が正しく〈炎の女神〉レイアの神子で在られたことを疑うわけではありませんが、かの媛がなさったことはいたずらに帝国を混乱させ、罰せられるべき犯罪者を野放しになさったことだけではないでしょうか―――――例えばラピュロス=ビーン・アル=カーデャーとその一族のような」
「………ッ!エヴィル・タスキルッ!!」
「ああ………失礼、君の目の前で言うことではなかったかな、チェイス・アル=カーデャー?もっとも君の父上が帝国史上まれに見る無差別殺人を犯したことは、わざわざ俺が言わなくてもここに居る者なら誰でも知っていることだけれど?だったら犯罪者の血脈である君もまた本来なら死罪に処せられるべき、とは思わないか?」

 それは必要以上にエヴィルがしつこく言いふらしているからだが、あえてそれを指摘するようなものはここには居なかった。気まずそうに視線を交わしながらさっさとこの騒ぎが収まらないか、と考えているらしい院生たちの中、今やはっきりと悪意を持ってチェイスを見ているエヴィルと、そのエヴィルを睨み殺さんばかりのチェイスがただ、一触即発の空気で対峙している。
 そして、もう一方の当事者であるべきスウェイは、もう一度だけ睨みあっている二人を見据えた後で、その視線をそのまま教壇の上にスライドした。

「………教授。このままでは埒が明きません。教授のご意見を伺っても?」
「ふむ、いいだろう。座りたまえ、エヴィル・タスキル、チェイス・アル=カーデャー」

 コツコツコツ、とかかとで教壇を叩きながら白い髭をもごもご動かし、教授は大きく頷いた。

「学問においてさまざまな意見が出ると言うことは、真実を探求する徒にとっては非常に良いことです。まずその観点で述べるなら、エヴィル・タスキル、リネアラ媛は正しく〈聖女〉であられたと断じられる、と考えてよい。媛は罰せられるべき犯罪者を野放しにしたのではなく―――――なぜなら媛はラピュロス=ビーン・アル=カーデャー本人はその罪の重さゆえに死刑に処せられたのだから―――――罪人の血脈はみな罪人とみなして死刑に処すべし、と言う帝国の悪しき風習を断たんとされた、と考えるべきでしょう」
「ですが教授、帝国律法上は」
「エヴィル・タスキル、君の父上である警備隊長官ハルシュ・ラディス=ド=タスキル卿に伺ってみればわかることだが、君の言う【帝国律法】はもう10年も前に改定され、罪人の血族はすなわち罪人となすべし、と言う条項は削除されています。これは我が国のみならず、諸外国に例を見ても正しい行いであったし、それを15年も前に敢行されたリネアラ媛は実に先見の明を持った、正しき〈聖女〉であられたと考えるのが自然でしょう」

 ギリッ、とエヴィルの歯軋りの音が聞こえたような気がして、反射的にスウェイはそちらの方を振り返った。けれどもエヴィルは、少なくとも表面上は真面目くさった表情のまま、判りました教授、と頭を下げていた―――――もっともその下げた顔の下で、どんな表情になっていたのだかは窺い知れなかったが。
 エヴィル・タスキル―――――エヴィル・ラディス=ド=タスキル。現警備隊長官、かつての帝国軍警邏隊長ハルシュ・ラディス=ド=タスキルの長子。
 だからエヴィルはスウェイとチェイスを、かのハルシュ・タスキルが唯一拿捕することの出来なかった15年前の無差別殺人事件の犯人、ラピュロス=ビーン・アル=カーデャーの息子である双子を、まるで自分が捕まえ損ねた犯人を見るかのような目つきで、いつも憎々しく睨むのだった。






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