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Prologue


四話

 今時珍しいほどにきっちりと作りこまれた庭園は、さぞや名のある庭師の手になるものと見える。見渡す限りの広々とした庭園の向こうにはこんもりとした木立があって、それすらもまたこの庭園の一つの造形物であることは疑うべくもなかった。一軒無造作に置かれた岩から草木の一本にたるまで、すべてが緻密に計算されつくされ、究極の造形美を誇っている。
 左手の方を見れば、門から屋敷へと続く道から少し離れたところから、船でも浮かべられそうな大きな池が広がっていた。あまりに広大で、ちょっと見たところでは人造のものとも自然のそれとも区別がつかない。はるかな昔の貴族の邸宅にはそれぞれ、舟遊びできるほどの大きな池を作るのが流儀であったと聞くから、或いはこの池もその名残なのかもしれなかった。
 そうこうしているうちに、はるか彼方と見えた屋敷は見る見る目前に迫り、案内の書生はどこか誇らしげに、あれが御前のおわすお屋敷です、と指を刺して見せた。

「大きなお屋敷でしょう。こんなお屋敷は、私の田舎にもそうそう在ったものじゃありません。ましてこんな大きな街に、一体どうしてこんなお屋敷が建てられたものだろうと、初めてこちらのお屋敷に上がったときにはいぶかしんだ物です―――――そら、此処がたたきです。一寸待ってて居らすて下さい。御前はどちらに御出でなのか、いえね、御前はいつもお気の向かれる所に御出でだから、屋敷の者に聞いてみないと―――――ああ貞(てい)さん、御前はどちらに御出ででしょう?」

 察するに、書生はどこか遠い田舎の出身なのだろう。驚くほどの気安さで先刻初めて顔を合わせたばかりの雪乃輔にあれこれと話しかけながら、たまたま通りがかったお女中と見える女を捕まえて、これこれこういう事情なのだが御前は何処に御出でかと、田舎モノ特有の垢抜けない笑顔を振りまいた。
 対する女中は書生の言葉に、先ずはいぶかしむ様に雪乃輔の姿を上から下までじっくりと眺めて、それからついとその場に膝を突くと、手に捧げ持っていた水差しと白い紙袋を載せた盆を自身の右に置き、それはそれは、と頭を下げた。

「ようこそ御出で下さいました。鴇川雪乃輔様のお名前はよくよく御前より申し付かっております。私は丁度御前の御用を申し付かっている所ですから、此処からは私がご案内致しましょう。どうぞお上がり下さいまし」
「これは申し訳ない。どうぞ宜しく頼みます」

 思いの外丁寧に頭を下げた女中に、また書生と出遭った時かそれ以上の感動が胸に込上げるのを感じながら、それを表現するための多くの言葉を紡ぐ事も叶わず雪乃輔は、言葉少なに頭を下げた。無骨者、と妻にはよく怒られるのだが、雪乃輔はどうにも、自分の内面を言葉で表すような事は不得手であった。
 雪乃輔の無骨な言葉に、ニコリともせず女中は再び、さぁどうぞ、と雪乃輔を屋敷に上がるよう促した。きっちりと姿勢を正したまま客を迎える姿は、無愛想ではあったが、何故だか好感が持てる。
 下駄をガタガタと脱いで揃え、よく磨きこまれた古めかしい廊下に足を乗せると、エイヤ、と勢いを付けて上がり込んだ。そうせねば何故だか、足がすくんでそのまま到底動けそうにもなかったのだ。
 雪乃輔は生来、肝の小さな性質ではない。だがこの西海家の屋敷は何故だか、得体の知れない覚悟を決めずには居られない気持ちにさせる空気がそこかしこから漂ってきて、雪乃輔の心の臓を擽り抜けて行くのだった。
 柄にもなく緊張していると見える。
 その心情を知っていた訳は無論ないだろうが、女中は雪乃輔が間違いなく玄関に上がりこんだのを確認すると、再び置いていた盆を取り上げて、今度は軽く会釈をした。その拍子にかさりと揺れた紙袋に書かれた、はるかな昔にただ一度見えただけの善意の青年の名前を見て取って、かの人の現在の身の上が推し量られた。



to be continued......


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