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Holy sinneR


「嘘をつくのが、絶対悪だとは言わないわ」


女は吐息のように言葉を紡ぎ、琥珀色の液体を口に含んだ。

年代物のウィスキー。

それをロックでゆっくりと舐めるように喉に流し込む仕草は、非常に扇情的で、浮世離れしている。


「……………人間だもの。

すべてを曝け出して真正直に生きることなんて、出来るはずがないでしょう?

誰しも心に秘密を抱えているものだし、

生まれてから死ぬまでに一度も嘘をつかずに生きることなんて出来るはずがない」


わざと照明を絞ったショットバーの中で、お決まりのようにカウンターの中でシェイカーを振るバーテンダー。

思い思いに寛ぎ、談笑する客達。

それらから隔絶されたようなカウンターの一番隅で、女はグラスを傾け続ける。


「そう、嘘は絶対悪ではない。むしろ必要悪と言えるでしょう」


隣に座る男が口にしているのは、女とは対照的に透明なジンロック。

喉を焼くような強いアルコールに、わずかに眉を顰めながらゴクリと喉を鳴らす。

視線は、カウンターの上のグラスに落ちたまま。


「必要悪、か……………」


男と女は友人だった。

互いに視線を交わすこともないが、それでも深い友情で結ばれていた。

困ったとき、迷った時、男は女に助言を求める。

女は静かにそれに答える。

ただそれだけの関係だったとしても。


「それでも、やっぱり嘘をつくのは罪なのよ。

どんなに必要に迫られたとしても、

他に選択肢がなかったとしても、

誰かを騙すことは許されない罪」


女から連絡を取ってくることは、思い返せば一度もない。

連絡を取るのはいつも男のほうからだった。

だが女は、どんな時でも必ず、その声に応える。

必ず。


「だから、ね。あなたが彼女に嘘をつくのを、止めはしないけれど。

あなたがそれを必要と判断したんだから、止めようとは思わないけれど」


カラン、グラスと氷が触れ合って乾いた澄んだ音を立てる。

飲み干したグラスをカウンターに置き、視線だけで問いかけてきたバーテンダーに「同じものを」と小さく呟いて、

女は小皿からチーズの切れ端を取り上げた。


「それだけ、覚えておいて。

嘘をつくのは、誰かを騙すのは間違いなく罪なのよ。

許されない罪なのよ。

許されてはいけない罪なのよ」

「……………許されては、いけない」

「そう」


コトン、かすかな音を立てて女の前に、琥珀色で満たされたグラスが置かれる。

女は静かにそのグラスに口をつけた。

男の前のジンロックも、残りわずかだ。


「許されてはいけない。

許される事を求めてはいけない。

言ったでしょう?

嘘をつくのは罪だって。

誰かを騙すのは罪だって。

それでも、嘘をつかなければならない場面はある。

誰かを騙さなければならない、偽らなければならない時はある―――――

それは、相手にとって真実が心を壊すほどに重い時」


そのグラスを一気に飲み干して、男はバーテンダーに身振りだけで同じものを要求した。

いつも、女と会うたびに使うこの店で、思えば男はジンロックしか飲んだことはない。

同時に女もまた、同じものしか頼まなかった。


「真実を告げることが常に正しいとは限らない。

偽ることが、騙してあげることが相手のためになる時だって、ある」


そもそも、一番最初に女に会った時のことを、男は覚えていなかった。

気付けば彼らは友人だった。

みつに連絡を取り合うでもなく、何かがあったときに気付けば最初に女の携帯を鳴らしている。


「あなたは彼女に嘘をつくのが必要だと考えたんでしょう。

彼女をだますことで、彼女の心を守ろうとしたんでしょう。

私はそれを間違っているとは思わないわ。

あなたらしいと思う」


そんな時、仕事やプライベートに関係なく、必ず女は電話を取る。

会ってくれと言えば、その日の内にだって会いにくる。

そんな友情で、彼らは結ばれている。


「だからね、私はあなたを止めない。

ただ、嘘をつくならつき通しなさい。

騙すからには最後の瞬間まできっちり騙しきりなさい。

相手が【騙されているかもしれない】なんて疑惑を感じられないほど、完璧に騙してあげなさい……………

それが、せめてもの礼儀でしょう」


今回の始まりは、十も年下の少女に告白されたことだった。

男の勤務先の店に良くやって来る少女で、いつもどこか不安そうな瞳を揺らしていた。

けれどもそれを覆い尽くさんばかりに、少女は明るく朗らかだった。


「罪って、知ってる?

例えれば重りのようなものなのよ。

一つ一つはそれほどでもないけれど、時間が経つに連れて重さを増すもの。

罪が増えれば、重りも増える。

そういうもの」


明るさと影を同居させる少女のアンバランスさには、最初から気付いていた。

それはあくまで少女自身の問題で、手を出すべきものではないと思っていた。

だが、少女の揺れる瞳の訳を、偶然知ってしまった。


「罪はけして消えない。

罪の重りもけして消えない。

ただ人の背にのしかかり、腕を絡め取り、足を引っ張って、人の魂を束縛するもの。

死んでなお縛り付けるもの」


少女の心には闇があった。

それは幼い頃から着実に少女の心に根を下ろし、育まれてきたものだった。

少女は心の闇ゆえに絶望し、心の闇を糧に生きていた。


「罪を許すと言うことは、許した罪の重りをシェアしたり、肩代わりすること。

それは誰にでも出来ることではないわ。

普通であれば、罪を犯された相手を許すことで、相手が背負った罪をシェアするだけ。

第三者の罪を許すことが出来るのは聖者と呼ばれる人々のみ」


闇に潰されそうな心の中で、少女は男に救いを求めた。

理由は知らないにせよ、間違いなく少女の救いを求める手は男に差し伸べられていた。

その行為を、恋と呼んだ。


「けれどあなたがこれから犯す罪は、許されてはいけない罪。

何故なら許されると言うことは、あなたが罪を犯したことを相手が知るということ。

それは絶対に許されない。

何故なら嘘は、知られた瞬間に真実以上の刃を持って相手の心を切り裂くものだから。

あなたは彼女のために決して、その嘘を悟られてはいけない。

命を懸けてもあなたが彼女を騙していることを知られてはならない」


少女の心は闇に満ちていた。

告白する言葉は真実の響きに満ちていて、それは恋よりも哀願に近かった。

もし少女の手を取らなければ、きっと心が砕けてしまうと思った。


「判る?

彼女が許さなければ、あなたが彼女を騙した罪は消えない。

けれども彼女を騙したことを彼女に知られてはいけない。

ならばあなたの罪は未来永劫許されてはいけないと言うこと」


少女を可愛く思う気持ちはあった。

けれどもそれはあくまで、年下の友人へのそれだった。

間違っても恋ではないという自信があった。


「その重みを心の底から理解して、その上で紡がれた嘘は、祈りにも似て誠実だと思うわ。

だから私は、あなたを止めない。

ただ覚えておいて欲しいだけ」


カラン、とグラスの音がする。

もう何杯目になるのか判らないウィスキーを飲み干して、

けれども少しも酔った様子のない女はそこで始めて男に視線を向けた。

男の手元のジンロックも、もう半分も残っていない。


「あなたはこれから罪を犯す。

その罪の重みを誰かにシェアしたいと願ってはいけないわ。

たとえどんなことがあっても。

それがあなたが犯す罪の意味だから」


白く細い腕が伸びて。

男の前のジンロックを取り上げ、口に含む。

抑えた照明の下で煌めくグラスの雫に、かすかに目を細め。




在りもしない恋を求めて、心の闇に囚われる少女の手を取り。





罪人になることを、決めた。











犯さなければならない罪は、間違いなくあると思います。

一番犯しやすく、その危険性に気付かない罪。

それが【嘘】ではないでしょうか?

私は嘘をつくのは嫌いですが、嘘をつかれるのはもっと嫌いです。

けれども最も耐え難いのは、自分が嘘をついたことを、

付いた相手に知られることではないか、と思いました。

今回はそんな話です。



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