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カルマの坂


10

「ヒイイィィィ………ッ!!」

 ザシュッ!!
  体重を掛けて振り下ろした剣は、女の体を右肩から左の腰に掛けて、袈裟懸けに切り裂いた。時が止まったかのような一瞬の後、女の体は切り裂かれた傷口から大量の赤く生暖かい液体を撒き散らし、そのまま仰向けに崩れ落ちる。
  ビシャッ!!
  身体に生暖かい液体が掛かって鉄臭い匂いがした。先刻舌先に触れた塩辛いものと同じような感覚。良く判らないながらに少年は理解する―――――この液体は命の源なのだと。それを大量に撒き散らして女は死に、男は死んで倒れながらやはり同じ液体を撒き散らした。
  ふうん、と思った。ただそれだけだった。女が死んだという事実、それをもたらしたのが自分だと言う事実、それはひどくどうでも良い遠い世界の出来事のようだった。平等に訪れる死の瞬間が、ただ、今訪れただけのことだ。
  女の悲鳴に、さすがに屋敷の中がざわつき始めた。不穏な侵入者の存在にようやく気付き、雇われているらしい屈強な体躯の男たちが、各々手に剣を掲げて少年の方へと走りよってくる。その表情には明らかな不審、一体本当にこの痩せっぽちな少年がこの惨劇を成し遂げたのだろうか、という疑問がありありと浮かんでいる。
  男たちの判断を鈍らせたのが、その疑惑だったことは否めない。切り裂かれた女の死体のそばに立ち、返り血を頭からたっぷりと浴びて、血に濡れた剣を下げているとはいえ、見るからに極限までやせ細り、お世辞にも逞しいとは言いがたいこの少年が、一体本当にこれほどの惨劇を引き起こした犯人なのか、男たちは一瞬戸惑い、振り上げた剣を下ろすのを躊躇った。
  ―――――そして少年には、その一瞬で十分だ。

「ゥアアアアァァァ………ッ!」

 獣のような唸り声を発して、少年は渾身の力を込めて両手で握った剣を水平に振り回した。腕だけでは力が足りないことを直感で悟り、全身を駒のようにぐるりと回して勢いをつける。ようは剣が相手に当たれば良いのだ。あの赤い液体を撒き散らせば、きっとこの男たちもさっきの女や、門前のボディガードのようにあっけなく死んでしまう。
  少年は、無知だった。何の力もなく、何の知識もなく、ただ本能としか言いようのない衝動だけで動いていた。だからこそ、きっとこの場の誰よりも、強かった。
  ザシュザシュドシュッ!!
  次々に少年の振り回す剣の切っ先に切り裂かれ、男たちの腹がパックリと裂けた。幸いにして致命傷に至ったものは居ないが、さすがに咄嗟に動けない。そこに少年は畳み掛けるようにむちゃくちゃに剣を振り回し、当たるを幸いに男たちを次々に切り裂いていく。
  幾人かが、体勢を立て直して流れる血をそのままに、少年に向かって剣を振り上げた。すでに少年の剣に切り裂かれ、その場に居た男たちの半分ほどが血溜まりの中に倒れ伏していた。全てが死んだ者ばかりではないだろうが、すぐに動けない重傷を負っているには違いない。その事実が男たちの怒りに油を注ぎ、何としてもこの少年を殺してやらねばならぬ、と激しい怒りを燃え上がらせた。

「ハアァ…ッ!」

 勇猛な掛け声と共に男たちが少年に一斉に切りかかる。その様子を咄嗟に見て、少年は即座に活路を見出し、ほんのわずかに男たちの間にあった隙間に飛び込んだ。元々が食料を盗んで生き永らえてきた少年だ。どうすればこの場を切り抜けられるのか、どうすれば逃げられるのか、どうすればつかまらずにすむのか、その場その場での判断力と行動力、そして瞬発力はある意味、この場の誰よりも群を抜いている。
  もちろん、剣の素人である少年には、すれ違いざまに男たちに切りつけていく、なんて高度な技は使えない。そんなことを思いつきもしない。けれども襲い掛かってきた男たちの間をすり抜けた瞬間にはクルリと男たちの方へ向き直り、目標を見失った男たちが少年の方へ向き直るよりもなお早く、両手に握った剣を思い切り振り上げた。
  ドシュッ!
  振り下ろした先に居た男が二人、揃って首から血を吹き上げてドウと倒れる。これで後は、三人。
  少年には最初から、この屋敷の人間を区別する気はなかった。男も女も、使用人も主人も、少年にとっては全てが等しく敵だった。人間は等しく二つに、厳密に区別される。そしてこの屋敷の人間はすべからく、少年とは対極に位置する人間だ。
  なぜ彼らを許してはいけないのか―――――少年は、明確には理解していない。ただ視界が赤く染まる怒りの向こうに見えるのは、あの透明な青い瞳だった。剣戟の向こうに聞こえてくるのは、「神様」と呟く声だった。それが何故なのかすら、少年は理解していなかったけれど。
  少年は何も考えず、どこか冷静に、淡々と男たちの様子を観察し続ける。そうして隙をついては動き回り、男たちを翻弄し、両手に握った剣を振り回す。そうしては男たちが生暖かい液体を撒き散らして倒れてゆくのを、じっと見つめる。
  多分―――――後から振り返ってみれば、少年は彼らに対して、言いようのない怒りと憎しみを同時に抱いていたのだ。自分とは対極の場所に位置して自分を見下ろすことを神から許された人種に対して、嫌悪感を抱いていたのだ。そしてその事実に疑問を抱かず、むしろ当然の権利として自分を虐げ、さげすむ彼らにきっと少年は、ずっとずっと憎悪を抱いていたのだろう。
  その象徴は、あの少女。異国から奴隷商人に連れてこられ、大量の金貨と引き換えに売られた、あの美しいトパーズの瞳。あの青のために剣を振るうことと、自分のために剣を振るうことを、いつしか少年は同一視していた。売られた少女の怒りが、大地を睨みつけていた憎しみが、まるで少年の上に宿ったようだ。
  ―――――ザンッ!
  最後の一人の背中に思い切り剣を叩きつけ、ブシュッと勢い良く噴出す赤い液体を全身に浴びて、ようやく少年は動きを止めた。もはや余すところなく赤に染まった少年に、近づいてくるものは誰も居ない。この惨劇に巻き込まれては堪らぬと、みな遠巻きにして少年を恐ろしげに見つめ、それで居てこの場を立ち去ればどんな罰が待っているか判らず、逃げることも出来ずに立ち尽くしている。
  その中に少年は、身なりの良い痩身の男を見出した―――――昼間、奴隷市場で少女を競り落とした男だ。あの時はどこか下卑た表情で少女の鎖を引いていたのに、今はすっかり血の気を失って、恐怖に凍りついた瞳で少年から視線を逸らせずに居る。まるで視線を逸らした瞬間、自分に少年が切りかかってくるかもしれない、とでも言うように。
  ビチャ、と血溜まりの中を一歩、その男の方へと近づいた。


to be continued......


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