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楽園の獣




『それで結局、あんたは〈世界の果ての楽園〉から来たのか?』

 朝月がナターシャにそう尋ねたのは、〈黄金郷〉への旅支度に町でこまごまとしたものを買い揃えている時のことだった。
 きょとん、と聞かれた言葉にナターシャが目を丸くする。ちなみに彼女は今、あんまりぼろぼろの格好をしていては目をひいて仕方がない、という朝月の強い主張により、渋々ボロボロの皮よろいやシャツを脱ぎ、アレリア寺院で揃えられた洗いざらしの綿のシャツと細身のズボンに身を包んでいた。
 隣をのっそりと歩いていたイーヴァがフンフンと鼻を鳴らす。それに頷いて、ナターシャは口を開いた。

『そのような場所は知りませぬ。私は森の奥の小さな村から来ましたゆえ』

 嘘をついたり誤魔化したりしているようには見えないので、そうか、と朝月は頷いた。
 ナターシャと契約を交わして帰った翌朝、宿で主人夫婦に数日中には出立する旨を伝えると、二人は心から残念そうに「もっとゆっくりして行けば良いのに」と言った。それから、必ずまた来てくれることを約束させるまで、朝月を放してくれなかった。
 ずいぶん気に入られたものだ、と思う。まったくもって、カラブの小さな宿の夫婦は人の良い連中だった。だからこそ朝月も気に入り、たびたび訪れているのだけれど。
 彼らには出立のための簡単な食料を準備してくれるように頼んである。もちろん〈黄金郷〉まではゾルファット大陸を縦断する必要があるが、カラブから徒歩で一週間程度のところに、カラブより比較的大きな町があるから、本格的な保存食はそこで揃えるつもりだ。
 だから今買い揃えているのは、切らしかけていた剣の手入れの油と粗布、念のために火打石を一組、それからナターシャの分のシュラフなどだ。このくらいは必要経費である。
 シュラフといっても本格的なものはかさばるから、簡素な、夜気を防げる程度のものを買う。ナターシャは村からカラブまで身一つで旅をしてきたのだから、野宿には慣れているだろうし必要ないかもしれない。だが大事な雇用主に風邪を引かれでもしたら困る。
 傭兵仲間の中には要人の護衛などを請け負っても、報酬だけを持ってとんずらをこくものも居る。だかそんなのは三流以下だ。傭兵業は信頼と実績の上に成り立つもので、その信頼を自ら地に落とすなど、信じがたい行為だ。
 朝月がナターシャに〈報酬〉のバラドナ鉄鋼を返したのもそれが理由だ。もちろん持ち逃げしようと思えば出来ただろうが、それは朝月の流儀に反する。何より傭兵の仁義にもとる。
 ナターシャは自分のために買い上げられたシュラフを、興味深そうな飴色の瞳でまじまじと見ていた。物知らずもここまで来れば立派なものだが、ナターシャは町に売っているもの、溢れているものの大半を『知りませぬ』と言い切った。
 よほど貧しい村から来たのだろう―――――そう思う。おそらく〈世界の果ての楽園〉を目指して旅立ったものの、断念した者が幾人か寄り集まって村を形成し、細々と生き延びてきたのに違いない。

(となると中央大陸語しか判らない、ってのが気になるが)

 〈世界の果ての楽園〉を目指して旅立ったものは多く、その出身も多種多様にわたっている。だが中央大陸語が使われていた地域は〈黄金郷〉跡地とその関連の地域のみだ。それも150年前の〈黄金郷〉滅亡と同時にほぼ廃れた、と言って間違いない。
 まだかろうじて中央大陸語が使われていた頃に旅立った者の末裔か。だが〈楽園〉ブームが訪れたのはここ100年ばかりのことだ。それより前に〈楽園〉に向かった人間が居るかどうかは、さすがに朝月には判らない。
 代金を払って店の親父がシュラフをナターシャに渡すと、その手触りが気に入ったらしく、ナターシャが何度も撫でたり、擦ったり、叩いたりしている。闇色の獣がナターシャの隣に座り、ふわぁ、と大きなあくびをした。
 財布を懐に戻しながら、ふぅ、とため息を吐く。まったく調子を狂わされる二人組みだ。
 朝月はシュラフを興味津々のナターシャの手から取り上げ、さらに小さく折りたたんでギュッ、と紐で縛った。掌より一回り大きいくらいのサイズになったのを、ナターシャに渡す。旅の荷物は小さく少ないに越したことはない。
 小さくなったシュラフをやっぱり興味深そうにナターシャが見た。引っくり返したり回してみたり、縛った紐の箸をもってぶんぶん振り回してみたりする。まるでおもちゃを初めて見た子供のようだ。
 それは放っておいて次の店に向かう。携帯用の傷薬や応急セットの中で切れているものを補充しておかなければならない。その後は鍛冶屋に寄って預けておいた朝月の剣と、ナターシャの短剣が仕上がっているかどうか確認して。

『行くぞ、ナターシャ』

 声をかけると、ナターシャは存外素直についてきた。のっそりと立ち上がったイーヴァがその後に続く。
 小さなカラブの町では、この一行は恐ろしく目を引いた。一番目を引いたのはもちろんナターシャとイーヴァだ。〈楽園〉から来たと言う触れ込みの娘と獣は、カラブではすっかり有名人だった。
 どこへ行くにも人々の視線が集まるのに、朝月は顔をしかめる。どちらかと言えば傭兵は裏家業的なところがあるので、注目されることには慣れていないし、苦手だ。
 ぶんぶんと紐を回し、きょろきょろ辺りを見回しながら歩くナターシャにまた、ため息を吐く。契約を結ぶ、と決めた以上はそれを翻す気はないが、なんだかやっぱり早まったような気がしてならない朝月だ。
 道程上鍛冶屋のほうが近かったので、先にそちらに向かうことにする。
 カラブのような小さな町にあるのが奇跡のような鍛冶屋は―――――実際には農具や採掘道具の手入れなどでそれなりに仕事はあるらしい―――――ちょうど手が空いたところだったらしく、彼らを両手を広げて出迎えた。

「やぁ、朝月さん!ちょうど仕上がったところですよ。結構刃こぼれがあったので打ち直しておきました」

 そう言いながら奥から新品同然に研ぎあがった朝月の愛剣を取り出し、ほらどうですか、と刃を日の光にかざして見せる。銀の輝きにはもちろん一点の曇りもない。
 朝月は目を細め、満足げに頷いた。

「ああ、良い仕上がりだ―――――あともう一本の方はどうだ?」
「ああ………そっちなんですが………」

 途端に鍛冶屋の親方の表情が曇った。その表情に大体を察し、ああ、と朝月は肩をすくめる。予想していた事態だった。
 もう一本手入れを頼んでいたのは、前述の通りナターシャの短剣だった。彼女が彼女の村から携えてきた数少ない品々の一つで、彼女の持ち物の中でたった一つの武器だ。
 朝月が最初に短剣を見せられたとき、愕然としたものだ。柄に巻いた皮が使い込まれてボロボロになっているのは、新しい皮を買って巻き直せば良い。だが刀身自体が曲がり、先も欠け、刃もボロボロに毀れて錆付いているのには、呆れるのを通り越してむしろ感心した。
 一体どれだけ放っておけば、ここまで使い物にならない剣にすることができると言うのか。これぐらいなら野菜切り包丁を持っていたほうが、まだ護身用に役立つに違いない。
 よくもまあこんな武器だけで旅をしようと思ったものだ、と妙に感心しながら朝月の愛剣と一緒に鍛冶屋に手入れを依頼した。親方も短剣の惨状に目をこぼさんばかりに丸くして、直らない可能性が高い、と受け取りながら渋面で言った。
 そうして案の定、だ。親方が見せた短剣は、見た目こそ錆が取れて綺麗になっていたが、実戦になれば一合で折れるに違いない。
 ナターシャが親方から短剣を受け取り、錆の取れた刀身に驚いたように目を丸くして、クルクルと柄を持っていろいろな角度で眺めだした。それを見ながら親方が渋い声で言う。

「基礎から駄目になってまして。打ち直すんなら、溶かして一からやらんと」
「幾らぐらいかかる?」

 朝月が尋ねると、親方は渋い顔のまま、新品の長剣を一振り買うのと同じだけの金額を口にした。簡単に言えば、溶かす手間だけ価格が高くなっている、と言うことだ。
 さてどうしたものか、とまだ熱心に銀の輝きを見ているナターシャを見下ろし、あごに手を当てて思案した。




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