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楽園の獣




 だが一体それが、ナターシャが朝月以外の人間と口を利かないことと、どんな関係があるというのだろう。それは勿論、道案内にせよ同行を求められたなら、ただの人間には迷惑以外の何者でもないだろうが、それにしたって極端だ。
  元々朝月は考えるのが苦手だ。戦略などを考えるのは得意だが、それはもう本能に近い部分である。
  こんがらがってきた思考に眩暈がして、がしがしと頭を掻くのを、イーヴァがじっと金の瞳で見つめていた。それからフンフンと、鼻を鳴らして何かを訴えるようにナターシャへと視線を滑らせる。彼女が銀の髪を揺らして、肯く。
  ほんの少し首をかしげて、迷うように視線を揺らしながら朝月を見上げて、口を開いた。

『私は〈黄金郷〉の蟲達に狙われておりますゆえ』
『なに………?』
『蟲達は私が村を出た時から執拗に私を追ってきております。彼らにとって私は、なんとしても取り除かねばならぬ障害なのです』
『ちょ……っと待て。まさかあの蟲どもが、襲う人間を選んでるって言うのか!?』

 ナターシャの言葉に、思わず朝月は驚愕の叫びを上げた。それに、少女が銀の髪を揺らして頷く。

『ゆえに私は、必要以上に他者と関わってはならぬのです。蟲に見つからぬようにせねばならぬのです。私自身はイーヴァが護ってくれます。けれど蟲達は、私に関わる者も区別なく殺しましょう』

 努めて淡々と言葉を紡ぐナターシャの表情は、ひどく冷めたようにも見える。どちらでもいいのだけれど面倒が多いから他者を巻き込まないようにしている、そんな風に言っているように見える。
  だが、その事実に気付かないほどの驚愕が朝月の全身を支配していた。
  〈黄金郷〉の蟲は確かに人を襲うほど獰猛だが、彼らの襲撃に一貫性があるという話はついぞ聞かない。何と言っても蟲なのだ。それほどの知能があるはずも無い、野生のままに動くだけの生き物でしかないはずなのだ。
  けれどもナターシャの言う事が真実であれば、蟲達は人間と同程度の知性を備えている事になる。少なくともナターシャをターゲットと定めている、というだけでも驚異的だ。
  そんな生き物が居ていい筈が無い、という驚愕と、なるほど〈黄金郷〉に住まう生き物はやはり只者ではない、という妙な納得に、朝月は目眩がしそうだった。
  喘ぐようにぱくぱくと口を動かしながら、けれど何が言いたいのか解らず、結局口をつぐむ。そして改めて、この依頼人の娘もまた只者ではないのだと認識を新たにした。
  はぁ、と大きなため息を吐き、しばらく沈黙する。ナターシャも語るべきことは語り終えたとばかりに口をつぐみ、またポックリポックリと馬の蹄の音だけが辺りに響き渡った。
  あ〜、と我ながら情けない声が出る。

『根掘り葉掘り聞くのは俺の信条じゃねぇんだがな。………あんた、何をやらかしてそう、蟲どもに狙われる羽目になった?』
『何も』

 朝月の問いに、ナターシャは短い言葉できっぱりと答えた。それ以上は何も言わない、とばかりに唇をきゅっと引き結び、まっすぐ前方を睨み据える。
  そうか、と肩を落とした。つまり、心当たりはあるけれど言う気はない、ということだ。そりゃあまあもちろん依頼人のプライバシーにかかわる部分であるし、必要以上にあからさまに依頼人について知りたがるのは趣味が悪い、と言うのが朝月の信条なのだが。
  幾らなんでも厳しすぎるだろう。〈黄金郷〉の蟲と言えばまさに一騎当千のツワモノぞろいなのだ。そんなものに訳も判らず付け狙われる?そんな馬鹿な話があるか!
  口をへの字に曲げて黙りこくった朝月を、さら、と銀の巻き毛を揺らし、飴色の瞳がそこに秘めた意思の光の強さは変わらぬまま見上げた。

『朝月、恐ろしいならここで別れましょう。私もイーヴァも、あなたの犠牲を望んでは居りませぬ。ですが〈黄金郷〉への道だけは教えてたもれ。その他の事は何とでもなりましょう。村を出てからイーヴァと二人、こうして〈楽園〉に辿り着けましたゆえ』
『〈楽園〉?』
『ええ。村の外には〈楽園〉が広がっているのだと私は教えられました。…………違うのですか?』

 淡々と紡がれた言葉は、相変わらずそこに含まれた感情を窺わせない。ナターシャがその事をどう思っているのかすら、窺い知る事が出来ない。
  〈楽園〉ね、とあまりの皮肉に笑いがこみ上げる。カラブでナターシャは〈世界の果ての楽園〉から来たと思われていた。けれども当のナターシャは、自分こそが〈楽園〉に来たと思っているのだ。
  馬鹿馬鹿しい話だ、と思う。〈楽園〉なんて言い伝えも、それにすがる人間もだ。そんなものはどこにもない。辿りつけば財宝があるだとか、不老不死が得られるだとか、そんな馬鹿な話はない。そんなものはまやかしに過ぎない。
  唇の端に笑みを引っ掛けた朝月に、ナターシャが少し目を丸くして驚きを表現し、足音もなく歩き続けているイーヴァを見下ろした。けれども今度は、返答はなかったらしい。ちょっとだけ困ったような表情になって、もう一度朝月を見上げる。
  手の中の手綱を握り締めながら、ハン、と哂った。

『あんた、冗談は休み休み言えよ。俺は一度受けるといった仕事は必ずやり通すのが信条なんだよ』
『……………でも』
『何だよ、そんな顔すんな。要は多少蟲どもに狙われる回数が増えるってだけだろ?そのくらい余裕で乗り切ってやるよ。あんたは大船に乗ったつもりでどっしり構えてりゃいいんだ』

 豪快に笑って言ったのに、一握りの虚勢が混じっていた事は否めない。朝月自身も〈黄金郷〉の蟲に襲われた事があるが、正直その時は逃げ出すだけで精一杯で、撃退するどころではなかったのだ。
  だが朝月は契約に縛られ、契約を履行する事で信頼を得る、一流と呼ばれる傭兵だ。そのプライドにかけて、何がなんでもこの仕事をやり通す気だった。自分でも言った通り、それが朝月の信条なのだ。
  空いた方の手で背に負った剣の柄を無意識に握りながら笑った朝月を、ナターシャとイーヴァはじっと見つめた。それから互いに視線を交わし合い、肯きあう。

『ありがとう。あなたが私に雇われてくれて幸運だったと、イーヴァも申しております』

 ナターシャの言葉に苦笑した。彼女はまったく、この闇色の獣を人語を解する生き物として扱う。
  実際にはどうだかな、と思いながら朝月は大げさに肩をすくめて見せた。

『気にすんな。あんた一人の護衛なんざちょろいもんだ。まぁ、そのごついのに感謝されるのは正直妙な気分だがな。せいぜい期待しててくれ。この俺の実力を見せてやるよ』
『……………ありがとう。約束の代価は〈黄金郷〉についてから支払います』
『ああ、そいつも期待してるさ』

 良くも悪くも実直で己の欲望に忠実な男は、大きく頷いた。実際、法外な報酬とバラドナ鉄鋼と言う希少鉱物に惹かれて仕事を請けた部分は、大いにあった。
  朝月が頷いたのを見て、ナターシャも小さく頷く。それから何か考え事をするかのようにまた口をつぐみ、まっすぐに前方を見据えて歩き続ける。その足元をのっそりとイーヴァが付き従う。
  そんな風にそれぞれの思いを抱えながら、一行は一路〈黄金郷〉への道を進んでいくのだった。




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