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楽園の獣




 イーヴァの声は静かでありながら、聞くもの全ての耳にはっきりと届く、まさにフライと同質の声だった。だが決定的に違う事には、宙に浮かぶ少年の声に秘められた得体の知れない強制力が、闇色の獣の声には無かった。
 一体どんな声帯を持っているのか、くぐもった様子もつっかえた様子もなく、先刻までの唸り声が嘘のように静かに響くのは、老成した男のそれ。静かな声に、フライが楽しそうに顔を歪める。
 それから白と黒の少年はイーヴァに、朝月に向けるものともナターシャに向けるものとも違う、初めて見せる蔑みの抜けた笑顔を見せた。そうすると少年の雰囲気は、たちまち年相応のものになる。
 かと言って朝月に与える影響力が減ったかというとそうではなく、相変わらず恐怖にとらわれる四肢に苦慮していたのだが、閑話休題。
 フライは頬杖をついた腕を解いて後ろで組み、言葉遊びを楽しむようにふわりとさらに地上近くに舞い降りてきた。イーヴァの鼻先すぐ近くまで来ると、ぴたり、と宙に静止する。
 そこで子供のように胡坐を組んで両手で頬杖をつき、イーヴァを見下ろして目を細めた。

『その名は懐かしいな。久しく呼ばれた覚えがない。俺は、今は〈フライ〉だ。俺達の女王が与えた名ゆえな―――――もっともそれ以前より、イーヴァ以外の者が俺の名を呼びはしなかったが』
『そうであったな。そなたは頑なであったゆえ』

 イーヴァもまた金の瞳を細めて頷いた。過ぎ去った遠い時間を思い返しているかのようだった。
 だがやがて獣は視線を地に落とす。それからちらりと、背後で短剣を構えたまま毛を逆立てた猫のようにフライを睨みつけるナターシャを振り返り、再びまっすぐな視線をフライへと戻す。
 黒く、長い尻尾でパタン、土地を叩いた。

『………ならばフライ。何故執拗に我らを付け狙うのか、その理由を聞かせてはくれまいか』

 イーヴァの言葉を聴いた瞬間、さも心外だ、と言う風にフライは肩を竦めた。理不尽に叱られた子供のように、どこか拗ねた表情になる。
 唇を尖らせてフライが訴えた。

『言っておくけど、俺は何もしておらぬぞ?コイツらが勝手になした事』

 頭上でホバリングしている蟲たちを指す。ブーン、と羽音がひときわ高くなったように感じられた。
 それをチラ、と見上げてイーヴァは静かに反論する。

『だが、黙認はしておったのだろう。それともフライ、そなたの女王が直々にご指示を?』
『それは有り得ぬ。どちらかと言えば、女王は今回の件に関してご不快ゆえな』
『キリアが………』

 ぴく、とナターシャの表情が動いた。だがそれ以上の反応を見せない娘を振り返り、イーヴァは優しい眼差しを向ける。彼女の心中を思いやったのだ。
 朝月もナターシャの複雑な表情を見た。喜んで良いのか怪しんで良いのか、まったくどうしたら良いのか判らない混乱した表情。フライの言葉を喜びたいと思いつつ、その言葉を素直に受け取れない心境が伺える。
 なんだか話がややこしくなってきた、と朝月は渋面を作った。今まで判らないまま良しとしてきた情報が、ここに来て一気に溢れ出たようだ。

(あの小僧の言う女王が、ナターシャの言うキリアって奴なんだよな)

 それでもって、おそらくナターシャがずっと無視に付け狙われていた、という理由になっているのもその、キリアという女王なのだろう。だが朝月の記憶にある限り、世界中の国家の中で、女王と呼ばれる人物は二人だけであり、そのどちらもキリアなどという名前ではなかった。

(まさか〈黄金郷〉の女王とか?)

 蟲と廃墟しかない滅びた王国の?そんな事はありえない。第一国民も居ない王など存在自体が矛盾だ。
 だがこの事態がすでに異常なのだ。
 考えを巡らせる朝月を外に、フライは面白くなさそうにイーヴァとナターシャの様を見つめ、イーヴァ、と不機嫌な声で獣を呼んだ。

『何故イーヴァは俺達の女王ではなく、その娘に従った?それはガル・イーの意思ではなかった筈』
『そう。ガル・イーは我らに命じた、黄金郷を護り、黄金郷を受け継ぐべき者を迎え、従えと。やがてその者が生まれるべき〈永久牢獄〉を監視し、追放された〈永久虜囚〉を監視するのが、ガル・イーより我に与えられた使命であった。我は使命を全うし、そなたはそなたに与えられた使命に従い現れた娘を〈黄金郷〉へと誘った』
『だがイーヴァだけが新女王の元に戻らなかった。それは何故だ?その娘はガル・イーに選ばれた娘ではないのに、何故イーヴァはその娘に支配される事を良しとした?』
『それは、フライ。そなたが知るべきではなく、またそなたの知り得ぬ事だよ』

 言い諭すような静かなイーヴァの言葉にフライは、傍から見ていても納得した様には見えなかったが、それに対して表立っては何も言わなかった。ただ面白くなさそうに鼻を鳴らし、拗ねた子供のような表情をイーヴァに向ける。
 宙で組んでいた足を解いたフライは、ふわりと再び空高く舞い上がった。興味を失った様子でナターシャと朝月を交互に眺め、最後に再びイーヴァに視線を据えると、無造作にポケットに両手を突っ込み、肩を揺らして笑う。

『女王はイーヴァをお待ちだ。イーヴァが自らの翼で舞い戻るのを、〈黄金郷〉の玉座で待ちわびておる』
『―――――ならば女王にお伝えせよ。我の主はもはや定まった、と』

 揺るぎ無いイーヴァの言葉に、フライは確かに、と請け負った。伝えられた言葉を惜しんでいるようでもあり、信じていない様でもあった。
 それから大きく肩をすくめて、そうそう、と付け加える。

『コイツらの軽挙を黙認していた事は否定せぬ。俺も女王もな。だが〈特別な娘〉ナターシャ、これよりは蟲の襲撃は〈黄金郷〉の意思と心得よ。そのための顔見世ゆえな』

 その言葉に、ナターシャは目に見えて混乱した。言われた言葉を理解しかねたようで、え?と驚いたように目を丸くする。
 黙認していたと言う事は、もしナターシャやイーヴァが死んでも良い、と判断していたと言う事だ。だが女王がこの件を不快に思ったのはは、女王が一行の死を望んでいないと言う事ではないのか。それなのに、これからの襲撃は〈黄金郷〉の意思ということは、女王の意思ということではないのか?
 どう判断して良いのか判らないナターシャを思いやるように、イーヴァは彼女に視線を注いだ。今の彼女に、かける言葉は必要無かった。
 そうして華奢な少年の姿をしたフライが巨大な蟲達を引き連れて遥かな空の彼方へ消えて行くのを、地に落ちた蟲の屍に囲まれた一行は、為す術も無く見送ったのだった。




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