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楽園の獣




「―――――私、〈永久牢獄〉から、来たの」

 ゾルファット語で紡がれたつたない少女の告白は、そんな言葉から始まった。

「朝月、前、言った。私の、目的、なに?私、大切なモロ………モノ?大切なもの、取り戻す、言った」

 時々発音を間違えては訂正しながら、ナターシャはゆっくり、とつとつと言葉をつなぐ。ちらちらと視線がイーヴァに落ちるのは、言っている言葉が正しいのか確認しているからだ。獣が首を振ると、言葉を間違えたことを悟ってナターシャは言い直す。
 否、それどころか、どうかすればナターシャは、自分の言いたいことを無言でイーヴァに伝え、イーヴァにゾルファット語へと訳してもらって、その言葉を鸚鵡返しに繰り返しているのかもしれない。そんな馬鹿な夢想が頭をよぎるほど、ナターシャはイーヴァを頼りにしていたし、イーヴァがナターシャを見守る視線は柔らかかった。
 だが、目を見交わしただけで相手が何を言わんとしているか、位はわかったとしても、そんな微細な部分まで視線を交わしただけで伝わるはずがない―――――ナターシャの操る言葉が、すでに自分が教えた範疇など遙かに超えていることに気づかないふりをして、朝月は自分にそう言い聞かせ、火酒をあおった。

「私、の、大切なもの。キリア。〈永久牢獄〉から、失われ、た、もの」
「キリア………あの野郎が言ってた〈黄金郷〉の女王か」
「そう。私の、一番、大好き、な、幼馴染。私の、お姉さん。私の、お母さん」

 ぎゅぅっ、とナターシャの両手が胸の前で、祈るようにきつく握り締められた。無表情だった飴色の瞳が鋭さを増し、白い面に刷いたように朱が浮かぶ。
 ぐびり、と火酒をあおる。言葉はつたないが、言わんとすることは痛いほど伝わってきた。ナターシャはキリアという女を、実の姉とも母とも思うほどに慕っているのだ。
 だが、それほど大切な存在が、なぜ失われたのか?
 朝月はあごをしゃくって続きを促した。ナターシャがうなずき、イーヴァに視線を落とす。フンフン、と闇色の獣が鼻を鳴らした。

「私は、キリア、取り戻す………取り戻しに、来た。フライ、キリア、騙した。騙して、〈黄金郷〉、連れて行った」
「騙した?あの野郎は、キリアって女は自分で〈黄金郷〉の女王に納まったような口ぶりだったじゃねぇか」
「違う!フライ、騙した。決まってる。そう、でないと、キリア、出て、行かない。ある訳、ない!」

 ナターシャは弾かれたように顔を上げ、強い口調で言い切って朝月の顔を睨みつけた。だが朝月にはそれは、彼女自身が自分に言い聞かせているようにしか見えなかった。
 キリアという女は、自分の意思で出て行ったのではない、と。フライに騙されて失われたのだから、取り戻せばまた帰ってくるのだと。
 その思考に気づいた朝月は、どうやらこれ以上この件には触れないほうが良さそうだ、と肩をすくめた。事情は大いに知りたいが、感情論に付き合う気はない。まして若い女のヒステリーほど不毛なものはない。
 ぐびり、とまた火酒をあおり、朝月は話をそらす意図で少女に尋ねた。

「それで。〈永久牢獄〉ってのは何だ?俺ぁそんなもん、一辺たりとも聞いた覚えはねぇが」
「あ―――――うん」

 ナターシャは虚をつかれたようにぱちぱちと目をしばたき、それから慌てて朝月の言葉にうなずいた。ええと、と小さく中央大陸語で呟いて、視線をイーヴァへと向ける。
 どうやら彼女は、ここまであからさまにやったにもかかわらず、話をそらされたことに気づいていないようだった。

「〈永久牢獄〉は、〈永久虜囚〉を、閉じ、込める、地の果て、の、牢獄」

 唇を小さな舌でぺろりとなめて湿らせ、ゆっくりと語りだす。

「ずっとずっと昔、〈黄金郷〉の、皇帝、ガル・イー、造った、聞いた。痩せた、土地、厳しい、気候。周り、獣、いっぱい。〈永久虜囚〉、閉じ込め、られた」
「〈永久虜囚〉?」
「そう。〈黄金郷〉から、永遠に、追放、された、罪人。私の、先祖」

 とつとつと語るナターシャの言葉に、不意に馬鹿馬鹿しい符号に気づいて朝月は酒をあおる手を止めた。〈黄金郷〉、〈黄金皇帝〉ガル・イー、地の果て。それらの記号が指し示すもの。
 〈世界の果ての楽園〉がまさにそれだった。〈黄金郷〉をかつて支配した〈黄金皇帝〉ガル・イーによって造られた、地の果ての楽園。そこにはガル・イーの莫大な財宝が眠っているとも、不老不死の秘密が隠されているとも言われている。
 そう言えばナターシャはそもそも、〈世界の果ての楽園〉から来た〈楽園の乙女〉という触れ込みなのだ。朝月はそれを眉唾だと思っていたし、本人もそれを否定していたが。
 まさか、と思う。奇妙に一致する符合。

「お前………まさか、本当に〈楽園〉から来たのか……………?」

 朝月は呆然と、思いついた事実を唇に乗せ、その事実に愕然と目を見開いた。




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