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楽園の獣




 翌日早朝、朝月はだるい体を引きずり起こすようにして目が覚めた。
 習慣でまず腕に抱いた剣を確認しようとし、愛剣は永遠に失われたことを思い出す。同時に〈黄金郷〉の蟲たちのことも思い出し、盛大に顔をしかめた。
 ちっ、と舌打ちをして寝台から這い出す。そのままぐしゃぐしゃの寝台の上に腰掛けて部屋の反対側を見ると、ナターシャが長い銀の巻き毛をぐしゃぐしゃに絡め、すやすやと眠っていた。安らかな寝顔。寝台の頭側の床にはイーヴァがのそりと寝そべり、目を閉じている。
 その光景をしばらくじっと見て、朝月はがりがりと頭をかき、半分寝ぼけた思考を覚醒させた。どうするか、と考える。
 当面何が問題になるかと言えば、愛剣を失った事だ。もともとは双子の兄弟のようにして育てられた親友の夕凪と、一つの鉄塊から打ち出してもらった双剣を分け合った片割れ。そして傭兵として各地を巡るようになってからただの一度も身から離した事のない大切な相棒。

(まっさか、アレを失うたぁな……………)

 ナターシャの衝撃の告白を聞いた翌日、火酒に半分以上浸かったままの、ようは二日酔いの脳みそをフル回転させながら、朝月は長々とため息を吐いた。

(ったく、〈古代種〉ってやつは言い伝えどおりのバケモンだぜ)

 もしくは言い伝え以上だ、と苦々しく唇を歪める。子供でも知っている〈古代種〉伝承は、手も触れずものを砕き、人間をいたぶる、絶対的な悪者だ。あのフライはソレを全部、しかも想像を遙かに越える激しさでやってのけた。
 おまけに朝月が投げつけた鉄の大剣を、ぱちんとひとつ指を鳴らしただけで、粉々の塵に返してしまったのである。
 そのことを思い出して、朝月は昨日から何度もそうしてきたように、ぞくり、と背筋を震わせた。朝月が感じているのは生理的な恐怖であり、根源的な畏怖だった。
 ブン、と大きく頭を振り、その感情を追い払う。クワーン、と二日酔い特有の耳鳴りがした。まったく、らしくない。あの程度の酒で二日酔いになったと知れたら、養父には散々馬鹿にされまくることだろう。
 ああ、と呻く。幸いにして頭痛はない。水を飲んで意識をはっきりさせれば、このまま動き回って支障ないだろう。

(………で、どうする?)

 朝月は自分自身に問いかけた。部屋の反対側に据え付けられた寝台で眠るナターシャを見つめる。少女はまだ目覚める気配もない。当然だ、今はまだ日が昇るか上らないか、と言う時刻なのだから。
 あの時フライに向かって剣を投げた判断を、いまだに朝月は悔やんでいない。むしろ正解だったとすら思っている。あの時にはあれ以上の攻撃は出来なかった。朝月はベストを尽くした。
 だが、こうなってくるとあの剣が塵に還された事は痛手だ。もちろんフライにあんな人外の技が可能だと思わなかった、と言うのもある。だがそれは言い訳に過ぎない、と朝月は自分に戒めた。傭兵たるもの、あらゆる事態を想定して動くべきだ。そして朝月はその思慮が及ばなかった。こうして生き延びたのは幸運だと言える。

(どうする?)

 この幸運は生かさなければならない。次を、期待するのは愚か者のすることだ。常に万全を。それが養父から叩き込まれた、傭兵としての勤め。
 朝月はナターシャを〈黄金郷〉へ連れて行かなければならない。
 カタカタと両手が震えた。朝月はそれを自覚した。

(どうする………?)

 この事情に、どっぷりと巻き込まれた自分を自覚している。今さら手を引こうなんて考えつかない自分の性格も、嫌と言うほど判っている。
 朝月と言う男はまったく、戦乱の申し子で、混乱の寵児だった。すべての混沌は朝月の存在を求め、朝月はこの世のすべての惑乱の腕に抱かれることを求める、そういう男だった。
 だから判る。この震えは、恐怖ゆえのものではない。久々に巡り合った血沸き肉踊る、自分の命のぎりぎりまでを試されるこの事態に対する、並ならぬ興奮ゆえだ。展開の判らないゲームに巻き込まれた楽しさを、今の朝月は感じている。不謹慎にも。
 もちろんフライは恐ろしい。彼を恐れるのは朝月の細胞のひとかけらにまで刻み込まれた異質のものへの恐怖だ。フライは異質すぎる。変わってるなんてものじゃない、存在その者が異なっている。
 それが魔法だと言うのならそう呼べば良いが、生憎朝月はそんな不確かなものを信じていない。〈古代種〉は滅びたのだ。アレがその〈古代種〉の遺物ならば、どうして人間である朝月が勝てないことがあるだろう?不可視の力なんて得体の知れないものを操る人外の存在に、どうして人間である朝月が劣っていることがあるだろう。
 〈古代種〉は滅びた。彼らが人畜と蔑んだ人間達の手によって、最後の一人に至るまで完璧に。
 だから朝月がフライを恐ろしいと感じるのは、もっと別の感情のはずだ。そう、それは例えば、自分と対等以上の力を持つものと対峙する興奮。勝つか負けるか判らない、どっちかと言えば負ける可能性のほうが高いこの事態だからこそ感じられるぎりぎりの感情。

(まずは剣を手に入れねぇと)

 フライと戦うのに、それは必須だ。向こうは空を飛んでいるのだから飛び道具のほうが有利かもしれないが、剣を生業とする傭兵として生きてきた朝月が下手に別の得物に手を出しても、その利点を活かせず逆に弱点になることは目に見えている。
 だから、剣を手に入れること。これが最優先事項だ。飛び道具のほうは、何なら、今からナターシャを仕込んで使わせてもいい。

(次は?)

 馬は要らない。あの凶暴な蟲等と戦うのに、馬はむしろ邪魔なだけだ。効率が悪いように見えても堅実に自分の足で歩いたほうが遙かに早い。
 じゃあ、次は……………?
 ゆっくりと明けていく空を見上げながら、朝月はじっと考えた。すやすや眠っているナターシャの顔を見ながらじっと、考え続けていた。




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