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楽園の獣




 グリッドの森は、ナミヤの街から歩いて一日ほどの距離にある、黒々とした巨体を横たえる広大な森だ。
 棲息している動植物はほぼ不明。理由は簡単で、女鍛冶師も言ったように、いつの頃からグリッドの森に住み着いた獰猛な獣のおかげで、学術調査が進まない。めったな事では近づくものも居ないので、噂話を集めたところでろくな話も出てこない。
 こういったときはまず酒場などに行き、集う者たちに話を聞くのがセオリーだが、それだってはかばかしい成果は得られなかった。たいていは女鍛冶師が語った御伽噺と似たり寄ったりで、せいぜいが、肝試しがてらグリッドの森に近づいたものの、恐ろしい姿をした獣の姿を見て怯えて帰ってきた、というぐらいのものだ。
 参った、というのが正直な感想。
 戦場ともなれば敵地の状況もわからず突っ込むことは珍しくないし、依頼主から与えられた情報がまったく間違っていて、現地で舌打ちをする羽目になることだって少なくない。
 だからまぁ、問題がないといえば、問題がないのだ。朝月個人に限っては。

(問題はナターシャだよなぁ………)

 そう、そこが最大の問題にして、朝月がせこせこと街を歩き回って情報を集めて回り、芳しくない成果に渋い顔をしなければならない原因なのである。
 女鍛冶師の仕事を請けることにした朝月は、当然のように、ナターシャとイーヴァはナミヤに置いていくつもりだった。どの程度の腕かは知らないが、仮にも英雄と呼ばれた男が殺され、猛者と呼ばれる男たちも良くて重傷を負ったような、獰猛な獣が生息しているというグリッドの森に、そもそもの依頼人であるナターシャを連れて行くことなど、ありえない話だ。
 イーヴァは役に立つだろう。何しろ一匹で、あの〈黄金郷〉の蟲を次々と仕留めるのを、朝月はこの目で見ている。獣に対してだって、闇色の獣の牙と爪と角は有効に違いない。
 だがそもそも、イーヴァは朝月のものではなく、ナターシャのものだ。それを連れて行くのは話がおかしいし、そうしてしまったらナターシャがナミヤに一人で取り残されることになる。彼女の身に何かが起こったとき、守るものが居なくなる。
 ナターシャは、剣はかろうじて扱えるらしいが、決して強くはないだろう。〈黄金郷〉の蟲にたびたび襲われながら逃げ延びてきた幸運は注目すべき点だが、それだけでは乗り切れまい。
 それに、ナターシャとイーヴァはそもそも、キリアと言う名の幼馴染を取り戻すために〈黄金郷〉を目指しているのであって、今回の依頼にはまったく関係がないのである。
 朝月には死ぬ気はないが、最悪の事態は予想しておかなければならない。もしグリッドの森に棲むという獣が予想以上に凶暴で、朝月の手に負えなかった場合、それでなくても足手まといになること必至のナターシャも共倒れだ。雇われた身としては、それだけは避けなければならない。
 だから、もし一週間経っても自分が戻らなければ構わず〈黄金郷〉へ行け、と言ったのだが。

「………?朝月、何、言う?」

 きょとんと目を丸くしたナターシャに心底不思議そうに言われて、逆にこっちが「何を言ってる?」と聞き返したくなった。今の言葉がナターシャの拙いボキャブラリーでは理解できなかったと言うことか。いやだがそうだとしても、ほとんど同時通訳状態のイーヴァが居るのだし。
 案の定ナターシャはちら、とイーヴァの方を見た。闇色の獣は金の瞳で、考え深げにナターシャに頷いてみせる。うん、とナターシャも頷いた。
 そして、当然のように言う。

「道、知らない。朝月、案内。だから、一緒、行く」
「〜〜〜〜ッ!馬鹿かッ!?」

 半ば予想通りの言葉に、朝月はギリギリと奥歯を鳴らしてナターシャを怒鳴りつけた。キョトン、と少女が飴色の瞳を丸くする。

「どうした、朝月?」
「どうしたじゃねぇッ!こいつぁヤバいヤマだからおとなしくすっこんでろって言ってんだよ!あんたについて来られたって足手まといだ!」
「剣、ある」
「ありゃあ良いってもんじゃねぇ!大体あんた、キリアって娘を取り戻すっつっただろうが!ありゃ嘘か!?」
「嘘、違う。キリア、絶対、取り戻す」
「だったら俺に構ってねぇでさっさと行けって言ってるんだ!!」

 道案内までしてもらうのは無理かもしれないが、〈黄金郷〉への道を教えてもらうだけなら朝月じゃなくとも、そこらじゅうに幾らだっているのだ。よほどのことがない限り、忌まわしき〈黄金郷〉の場所は誰もが知っている。そしてうっかり近づかぬよう、細心の注意を払っている。
 だから、わざわざ危険を冒して朝月に付き合う必要は、まったくないのだ。むしろ避けて通るべきで、本来なら一週間といわず、今すぐにだって別の案内人なり何なりを見つけたほうがずっと賢い。
 それなのにナターシャは、ますます目を丸くする。

「なぜ?朝月、エスカーヴァ、手に入れる。〈黄金郷〉、行く。イーヴァ、必要、言った。だから、大丈夫」

 いやまぁたしかに、それは先刻、女鍛冶師の依頼を受けるときにも聞いたけれど。
 それはそれ、これはこれだ。常に最悪の事態は予想しておくべきなのだ。それが乱世に生きる者の義務である。
 グルル、とイーヴァが珍しく低い唸り声を上げた。たいていこの闇色の獣は、実は人語を喋れると判ってからだって、めったな事では言葉どころか声さえ発さないのだが。
 お、と一瞬気がそがれ、朝月はイーヴァを見た。イーヴァは、朝月を見上げていた。何かもの言いたげな瞳で、けれど朝月はナターシャではないのだから、彼が何を言いたいのかは判らない。
 代わりにナターシャが、イーヴァの言葉を朝月に伝えた。

「イーヴァも、賛成、してる。ついて行く。イーヴァ、ついて行く、必要、言ってる」
「………このデカブツもかよ」

 まったくどいつもこいつも。
 朝月は唸り声を上げて天を仰いだ。まったく、どうしてこいつらは朝月の言うことを聞こうとしないのか!
 深いため息をついた。それは、諦めが多分に含まれたため息だった。





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