home
判らない語句はこちらから検索→  
writing fun connect renka
novel poem word&read juel chat mail profile book


 

楽園の獣




 旅に必要な品々を買い揃え、二人と一匹がナミヤの街を発ったのは、二日後のことだった。
 食料は幸い、カラブを出る時に町の人々からもらったものがまだ大量に残っているので、追加で買い揃えるものは殆どなかった。だから買い求めたのは、水と、川や池、沼などの水を飲用水に替えるための浄化石と、いよいよいざという時に口に含んで噛むとジワリと水分が出てくるテジヤの木の枝に、いくつかの応急処置に必要な薬や用具が殆どだ。
 あとはナターシャの防備。カラブを出る時に、これまた町の住人からの善意である程度は格好がついたナターシャだったが、今後あの巨大な蟲が支配する〈黄金郷〉へ向かうことを考えても、ここである程度充実した装備を整えておくべきだった。
 とは言え、乱世のこの時代にあっても女性用の防具は一般的に商われているものではない。基本はすべてがオーダーメイドであり、当然その分かかる費用も馬鹿高い。
 これを解決したのは、今回の依頼人たる女鍛冶師だった。

「ようは、そのお嬢ちゃんに合う防具があればいいんだろう?ならうちの店の、小柄な男用の鎧をほんのちょっとばかしいじれば良いだけさ」

 いかにも簡単そうに言った女鍛冶師は、言葉通り店に並んでいる中から一番小さな胸当てを引っ張り出してくると、ナターシャの身体に当ててみてはカンカンカンと鎚を振るい、まるで元からナターシャにあつらえたような胸当てを一つ、完成させてしまった。見た目も、強度も問題ない。彼女が打った剣や槍を見ても明らかではあるが、やはり、この女鍛冶師は生半可な鍛冶師よりよほど確かな腕を持っているようだ。
 ちなみにお代は「胸当て代だけおくれ。細工料は依頼金につけさせて貰えると嬉しいねぇ」とのこと。現実に懐から出て行く金が少ないにこしたことはないので、朝月はそれを了承した。
 閑話休題。
 そんな訳ですべての準備を整えた一行は、日の明けやらぬうちにナミヤの東、グリッダの森に向けて旅立ったのだった。
 幸い、グリッダの森への道のりには夜盗やゴロツキなどの無頼者は居らず、順調な旅路だった。まあ考えてみれば、街道筋からは完全に離れてしまっているし、街の者だってそんないわくつきの場所へは早々出かけないだろうから、そんな場所を狙ってわざわざ待ち構えている無頼者も少ないだろうが。どう考えても効率が悪いし。
 いずれにせよ一日目の道程を問題なく終えた一行は、日が傾きかけた頃にようやくグリッダの森の、黒々とした陰影を視界に捉えることが出来た。いかにも深そうに、こんもりと小山のように盛り上がる息苦しいばかりの緑のシルエット。
 これから日が暮れようとするこの時間に森に踏み入るような、愚かな真似は子供だってしない。朝月は、もしグリッダの森に生息すると言う獣が襲ってきてもすぐその姿を捉えられるよう、森から十分に距離を隔て、遮蔽物もない場所を見定めると、そこを本日の野営場所に決定した。
 ナターシャとイーヴァに薪を集めさせ、自分は地面を掘って即席の炉をこしらえ、辺りの枯れ草を底の方にこんもりと盛り上げる。ぐるりと辺りを見回して水場も、食べられるような草や木もないことを確認すると、背負ってきた荷物の中から小鍋と干し肉を引っ張り出し、小刀を器用に操って薄く削り落とした。
 そうこうしている内にナターシャが両手いっぱいに薪を抱えて戻ってくると、朝月は干し肉を削るのをナターシャに任せ、盛り上げておいた枯れ草の上に手馴れた仕草で薪を積み上げると、火打石を擦って枯れ草に火をつけた。たちまちチロチロと赤い炎が燃え上がり、積み上げられた薪を舐めるように広がって行く。
 時折火の勢いや薪の燃え具合を確認しながら、荷物の中から折りたたんだ火渡し棒を取り出して組み上げ、燃え上がる火の上に据えつけていると、やや危なっかしい手つきで小刀を操っていたナターシャが、朝月、と男を呼んだ。

「ああ?」

 火渡し棒がぐらついていないか、と言うことに真剣になっていた朝月は、半ば上の空でぶっきらぼうに応えを返す。何度か揺すっては地面にねじ込み、ようやく納得行く仕上がりになったところでまた、朝月、と呼ぶ声。
 振り返ると、ナターシャの手元の鍋は十分な干し肉片で埋められていた。それで呼んでいたのか、と納得して鍋を取り上げ、荷物の中から乾燥野菜を適当に引っ張り出して放り込み、水を注いで火にかける。この段階で固パンも放り込んで柔らかく煮ることもあるが、噛みごたえがなくなってしまうので、朝月は基本的に出来上がったスープに浸して食べる派だ―――――そのまま齧るのは、幾ら朝月と言えどなかなか難しい。
 だがナターシャは、それらの動作をぼんやりと眺めながら三度、朝月、と彼の名を呼んだ。

「どうした?」

 これはさすがに何かあるようだ、と朝月は眉をひそめ、訝しげな面持ちでナターシャの白い小さな顔を振り返った。銀の眉は愁いにひそめられていて、飴色の瞳もどこか翳を落とした、その容貌。
 無意識にナターシャの傍らで寝そべっているイーヴァに視線を移し、この闇色の獣が特に重大な反応を示していないのを確認すると、朝月はふう、と大きなため息を吐いた。腰を上げてナターシャの正面に座り直し、火にかけた鍋をかき混ぜながら、愁いを帯びた少女の顔を見る。
 ナターシャ、と滅多に口にしない少女の名前を呼ぶと、ピク、と肩が揺れる。

「何が気になっている、ナターシャ?」
「あ………」
「あんたが何を悩んでようと俺には関係ねぇけどな。旅に支障が出る前に、さっさと吐いてくれるとありがたいね」

 ぶっきらぼうで乱暴極まりない朝月の言葉に、責められた、と感じたのかナターシャが表情を曇らせ、飴色の瞳を軽く伏せた。手に握ったままだった小刀を、細い指で弄び始める。
 朝月は、軽く方眉だけを上げた。フォローの必要は感じない。呼びかけてきたのはナターシャの方だし、間違ったことを口にした気はなかった。
 しばし、パチパチと火が燃える音と、鍋と杓が触れ合うカタカタと言う音だけが、辺りを満たす。
 迷うように視線を伏せていたナターシャが、やがて、はい、と小さく肯いた。

「森。獣、居る、言った」
「―――――ああ。確かにそう言ってたな。獰猛な人食いの獣だって話だが」

 首をかしげながら、朝月は少女の言葉に頷いた。いったい、彼女は何を言いたいのだろう?
 朝月の反応にはまったく気づいていない風で、ナターシャは相変わらず小刀を弄び、視線をその指先に落としたまま言葉を繋ぐ。

「村にも、獣、居た。イーヴァ、獣の王。ガル・イー、獣、創った」
「………?」
「ここ、同じ。村と、同じ、匂い」
「同じ匂い?」

 いぶかしげに繰り返した朝月の言葉に、そう、とナターシャは頷いた。イーヴァのピンと尖った右耳が、ピク、と動く。
 ナターシャは訥々と繰り返した。

「同じ、匂い。イーヴァの匂い……村の、匂い。森から、村と、同じ、匂い、する」

 


 




<back<   ∧top∧   >next>





top▲