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《審判》 終末を恐れるのはひどく愚かなことである。 新たしき時代が始まればこそ終末は必ずおとずれ、 終末を迎えればこそ新たしき時代は始まらざるを得ない。 それこそが幾度も繰り返されし儚きこの世の不動の定めなれば。 それは永遠の黄金率。 不変の定め。 新たしきものは常に古いものの側にあり、 古いものの中からでなければ新たしきものは生ぜず。 新たしき生命が生じ、 存在し、 生きる為に、 古き生命は終焉を迎える。 それこそが黄金率、神の定めたもうた宇宙則。 何を恐れる事があったのか、人の子よ。 儚きこの世におそるるに足る事は余りにも少ない。 始まりがあれば終わりがあるは必定、 創世があれば終末があるもまた必定。 人の子よ、おそるべしは人の心。 終焉を認めぬ人の心。 終焉を悪しと定める人の心。 気付かぬか、人の子よ。 限りあるこの儚き世界のなんと幸いである事か。 限りあるからこそ限りなく続くこの世界のなんと幸いである事か。 人の子よ、終焉を認めぬ魂は強く哀しい。 永遠を見つめる魂は強かに哀れ。 それが故に永久に神に侍り世界を裁く、 使いらとは何と豪胆で痛ましい存在である事か。 故に人の子よ、我が声を聞けよ。 我が奏でし最後の裁きを告げるラッパの音を聞けよ。 終焉を拒んだが故に永久に、 昔いまし、 今いまし、 やがて来るべきお方に使えるべくある我の姿を見よ。 いつの日か終末が来る事を知りながら認めようとしなかった、 これはその戒めであるのだから。 《審判》。 お気付きだと思いますが、聖書の「黙示録」もごちゃ混ぜになってます。 てゆうか多分元々ごちゃになってるんじゃないかと。 裁かれるのは人の子ではありません。 彼らは人を裁く事で、自分を裁いているのだと思います。 だって「神は人を自分そっくりに創られた」んですから。 ∧top∧ |
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